ラジオ生活:ベストオブクラシック ドボルザーク「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品96 “アメリカ”」
聞き逃しサービス 2024/11/21 放送
ベストオブクラシック
ヴァン・カイック弦楽四重奏団 演奏会
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「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品96 “アメリカ”」
( String Quartet No. 12 in F major, Op. 96, "American" )
[ Smyčcový kvartet F dur „Americký“, op. 96 ]
作曲: ドボルザーク ( Antonín Dvořák )
ヴァン・カイック弦楽四重奏団(演奏)
[ 2024/05/29 浜離宮朝日ホール(東京)・ライブ録音版 ]
(26分43秒)
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開始より16分17秒頃 (終了より1時間02分02秒前頃)
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配信終了 2024/11/29 21:10
(すでに配信終了してます)
番組情報
Google検索 URL>
https://www.google.co.jp/search?tbm=vid&hl=ja&source=hp&biw=&bih=&q=Dvořák+String_Quartet_No_12_Op_96
Bing検索 URL> https://www.bing.com/videos/search?q=Antonín_Dvořák+Streichquartett_Nr_12_op_96
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☆★☆ ドボルザーク「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品96 “アメリカ”」について【目次】☆★☆
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1. ドボルザーク「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品96 “アメリカ”」について
1.1 Wikipedia JA(日本版)の抜粋
1.2 Wikipedia EN(英語版)の抜粋、および、その日本語翻訳
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2. 作曲者:ドボルザークについて
2.1 Wikipedia CS(チェコ版)の抜粋、および、その日本語翻訳
2.2 vドボルザークの作品一覧へのリンク・Wikipedia EN(英語版)
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<<< 以下、参照しているWikipediaなどへのリンクはそれぞれの先頭あたりで紹介してます。>>>
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1. ドボルザーク「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品96 “アメリカ”」について
1.1 Wikipedia JA(日本版)の抜粋
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Wikipedia JA(日本版) URL> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/弦楽四重奏曲第12番_(ドヴォルザーク)
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弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 作品96, B. 179 は、アントニン・ドヴォルザークが1893年に作曲した弦楽四重奏曲。ドヴォルザークの室内楽作品の中でも最も親しまれている作品のひとつであり、一般に『アメリカ』( "American" )の愛称で親しまれている。
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【作曲の経緯】
1892年9月、ドヴォルザークはニューヨーク・ナショナル音楽院の院長としてアメリカに渡った。彼は黒人霊歌やアメリカ先住民達の歌に興味を持ち、黒人霊歌の編曲者で歌手であったハリー・サッカー・バーレイを自宅に招いて歌を歌ってもらったり、大衆的な歌謡ショーであるミンストレル・ショーのためにスティーブン・フォスターが作曲した歌曲にも興味を持っていた。こうした音楽が彼のアメリカ時代の作品には大きな影響を与えている。その代表作が前作の『交響曲第9番 ホ短調《新世界より》』(作品95, B. 178)であり、本作であり、後に書かれる『チェロ協奏曲 ロ短調』(作品104, B. 191)である。
彼は、1893年5月に『交響曲第9番《新世界より》』を書き上げ、アメリカでの最初の夏期休暇を、チェコからの移民が多く住んでいたアイオワ州スピルヴィル(en)で過ごすことにした。音楽院でヴァイオリンを学んでいた学生ヨゼフ・ヤン・コヴァリックの父親の家に招かれたのであった。この地でくつろいだドヴォルザークは、コヴァリック一家が演奏するためにこの作品を驚くべき速度で作曲した。1893年6月8日に着手するとわずか3日間でスケッチを終え、6月23日には完成させていた。
初演は1894年1月1日に、クナイゼル弦楽四重奏団(en)によってボストンで行われた。
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《》愛称の由来
『アメリカ』という愛称はドヴォルザーク自身の命名ではなく、本作がアメリカ滞在中に作曲され、黒人霊歌やアメリカ先住民達の歌から着想を得ていることが由来であるが、ドヴォルザーク自身は本作について「アメリカで書かれた2番目の作品である」とコメントを遺している。また、『アメリカ』という愛称が定着する前は、「黒人」を意味する『ニグロ』( "Negro" )や『ニガー』( "Nigger" )といった愛称で呼ばれていた[2][3]が、この単語は黒人への蔑称(Nワード)としても使用されてきたため、1950年代頃に廃止された。
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〜[上記wikipediaより抜粋]
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1. ドボルザーク「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品96 “アメリカ”」について
1.2 Wikipedia EN(英語版)の抜粋、および、その日本語翻訳
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String Quartet No. 12 (Dvořák)
Wikipedia EN(英語版) URL> https://en.m.wikipedia.org/wiki/String_Quartet_No._12_(Dvořák)
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The String Quartet No. 12 in F major, Op. 96, nicknamed the American Quartet, is the twelfth string quartet composed by Antonín Dvořák. It was written in 1893, during Dvořák's time in the United States. The quartet is one of the most popular in the chamber music repertoire.
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【Composition】
Dvořák composed the quartet in 1893 during a summer vacation from his position as director (1892–1895) of the National Conservatory in New York City. He spent his vacation in the town of Spillville, Iowa, which was home to a Czech immigrant community. Dvořák went to Spillville through Josef Jan Kovařík. Kovařík had finished violin studies at the Prague Conservatory and was about to return to Spillville—his home in the United States—when Dvořák offered him a position as secretary. When Josef Jan accepted, he went to live with the Dvořák family in New York. He told Dvořák about Spillville, where his father Jan Josef was a schoolmaster, leading Dvořák to spend the summer of 1893 there.
Dvořák felt very much at ease in Spillville. Writing to a friend he described his state of mind, away from hectic New York: "I have been on vacation since 3 June here in the Czech village of Spillville and I won't be returning to New York until the latter half of September. The children arrived safely from Europe and we're all happy together. We like it very much here and, thank God, I am working hard and I'm healthy and in good spirits." He composed the quartet shortly after the New World Symphony, before that work had been performed.
Dvořák sketched the quartet in three days and completed it in thirteen more days, finishing the score with the comment "Thank God! I am content. It was fast." It was his second attempt to write a quartet in F major: his first effort, twelve years earlier, produced only one movement. The American Quartet proved a turning point in Dvořák's chamber music output: for decades he had toiled unsuccessfully to find a balance between his overflowing melodic invention and a clear structure. In the American Quartet it finally came together. Dvořák defended the apparent simplicity of the piece: "When I wrote this quartet in the Czech community of Spillville in 1893, I wanted to write something for once that was very melodious and straightforward, and dear Papa Haydn kept appearing before my eyes, and that is why it all turned out so simply. And it's good that it did."
Dvořák gave the subtitle for his symphony as, "From the New World". To the quartet he gave no subtitle, but there is the comment "The second composition written in America."
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【Structure】
The quartet is scored for the usual complement of two violins, viola, and cello, and comprises four movements: A typical performance of the work lasts 26 to 30 minutes.
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《》I. Allegro ma non troppo
<<< Music Score omit. Refer Wikipedia. >>>
The opening theme of the quartet (see above) is purely pentatonic, played by the viola, with a rippling F major chord in the accompanying instruments. This same F major chord continues without harmonic change throughout the first twelve measures of the piece. The movement then goes into a bridge, developing harmonically, but still with the open, triadic sense of openness and simplicity.
The second theme, in A major, is also primarily pentatonic, but ornamented with melismatic elements reminiscent of Romani or Czech music. The movement moves to a development section that is much denser harmonically and much more dramatic in tempo and color.
The development ends with a fugato section that leads into the recapitulation.
After the first theme is restated in the recapitulation, there is a cello solo that bridges to the second theme.
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《》II. Lento
<<< Music Score omit. Refer Wikipedia. >>>
The theme of the second movement (see above) is the one that interpreters have most tried to associate with a Negro spiritual or with an American Indian tune. The simple melody, with the pulsing accompaniment in second violin and viola, does indeed recall spirituals or Indian ritual music. It is written using the same pentatonic scale as the first movement, but in the minor (D minor) rather than the major. The theme is introduced in the first violin, and repeated in the cello. Dvořák develops this thematic material in an extended middle section, then repeats the theme in the cello with an even thinner accompaniment that is alternately bowed and pizzicato.
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《》III. Molto vivace
<<< Music Score omit. Refer Wikipedia. >>>
The third movement is a variant of the traditional scherzo. It has the form A–B–A–B–A: the A section is a sprightly, somewhat quirky tune, full of off-beats and cross-rhythms. High in the first violin there appears the song of a bird the composer believed to be a scarlet tanager; however, the song was likely not that of the tanager.
The B section is a variation of the main scherzo theme, played in minor, at half tempo, and more lyrical. In its first appearance it is a legato line, while in the second appearance the lyrical theme is played in triplets, giving it a more pulsing character.
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《》IV. Finale: vivace ma non troppo
<<< Music Score omit. Refer Wikipedia. >>>
The final movement is in a traditional rondo form, A–B–A–C–A–B–A. Again, the main melody is pentatonic. The movement's rhythm was inspired by Dvořák's experience riding on trains and hearing them chugging on tracks while traveling across America, as seen in the "chugging" of the second violin and viola throughout the piece.
The B section is more lyrical, but continues in the spirit of the first theme.
The C section is a chorale theme.
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〜[ Excerpt from above wikipedia. ]
〜[上記wikipediaの日本語翻訳は次の通り。翻訳にはアプリ「DeepL」を使用。]
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弦楽四重奏曲第12番ヘ長調作品96は、アントニン・ドヴォルザーク作曲の弦楽四重奏曲第12番で、アメリカ四重奏曲の愛称で親しまれている。 ドヴォルザークがアメリカに滞在していた1893年に書かれた。 室内楽のレパートリーの中でも最もポピュラーな曲のひとつである。
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【作曲】
ドヴォルザークがこの四重奏曲を作曲したのは、1893年、ニューヨークの国立音楽院の院長(1892~1895年)を務めていた夏休みのことだった。 彼は、チェコ移民のコミュニティがあるアイオワ州スピルヴィルという町で休暇を過ごした。 ドヴォルザークは、ヨゼフ・ヤン・コヴァリクの紹介でスピルヴィルに行った。 コヴァリクはプラハ音楽院でヴァイオリンの勉強を終え、アメリカでの故郷であるスピルヴィルに帰ろうとしていたところ、ドヴォルザークから秘書の仕事を依頼された。 ヨゼフ・ヤンはそれを受け入れると、ニューヨークのドヴォルザーク家に身を寄せた。 彼はドヴォルザークに、父ヤン・ヨーゼフが校長をしていたスピルヴィルのことを話し、ドヴォルザークは1893年の夏をそこで過ごすことになった。
ドヴォルザークはスピルヴィルでとてもくつろいだ。 友人に宛てた手紙には、慌ただしいニューヨークを離れた心境が綴られている: 「6月3日からここチェコのスピルヴィル村で休暇を過ごしており、ニューヨークに戻るのは9月後半になる。 子供たちはヨーロッパから無事に到着し、みんな一緒に幸せに過ごしています。 私たちはここがとても気に入っているし、神に感謝しながら、私は懸命に働いているし、健康で元気だ」。 この四重奏曲は、新世界交響曲のすぐ後、その作品がまだ演奏される前に作曲された。
ドヴォルザークはこの四重奏曲を3日間でスケッチし、さらに13日間で完成させた! 私は満足している。 早かった"。 ヘ長調の四重奏曲は、彼にとって2度目の挑戦だった。 アメリカ四重奏曲は、ドヴォルザークの室内楽作品における転機となった。何十年もの間、彼は溢れるようなメロディーの発明と明確な構造のバランスを見つけるのに失敗していた。 アメリカン・クァルテットでは、ついにそれが実現した。 ドヴォルザークは、この曲の見かけ上の単純さを擁護した: 「年にスピルヴィルのチェコ人コミュニティでこの四重奏曲を書いたとき、一度でいいからとてもメロディアスでストレートなものを書いてみたかった。 だから、こんなにシンプルになったんだ」。
ドヴォルザークは交響曲に「新世界より」という副題をつけた。 四重奏曲には副題はつけなかったが、"アメリカで書かれた2番目の作品 "というコメントがある。
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【構成】
この四重奏曲は、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという通常の編成で、4つの楽章からなる: 典型的な演奏時間は26~30分。
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《》I. アレグロ・マ・ノン・トロッポ
<<< 楽譜省略。 ウィキペディア参照。 >>>
四重奏曲の冒頭主題(上述)は、ヴィオラが奏でる純ペンタトニックで、伴奏楽器には波打つようなヘ長調の和音がある。 この同じヘ長調の和音は、曲の最初の12小節を通して和声の変化なしに続く。 その後、楽章はブリッジに入り、和声的に発展するが、開放的でシンプルな三和音の感覚は変わらない。
第2主題はイ長調で、これも主にペンタトニックだが、ロマーニやチェコの音楽を思わせるメリスマティックな要素で装飾されている。 この楽章は、和声的にはるかに密度が高く、テンポと色彩がはるかに劇的な展開部へと移る。
展開部はフガートで終わり、再現部へと続く。
再現部で第1主題が再現された後、第2主題への橋渡しとなるチェロ・ソロがある。
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《》II. レント
<<< 楽譜省略。 ウィキペディア参照。 >>>
第2楽章の主題(上記参照)は、解釈者が最も黒人霊歌やアメリカン・インディアンの曲を連想させようとしてきたものである。 第2ヴァイオリンとヴィオラによる脈打つ伴奏とシンプルな旋律は、確かに霊歌やインディアンの儀式音楽を想起させる。 第1楽章と同じペンタトニック・スケールを使って書かれているが、長調ではなく短調(ニ短調)である。 主題は第1ヴァイオリンで導入され、チェロで繰り返される。 ドヴォルザークは、この主題を発展させるために、中間部を拡張し、弓とピチカートを交互に使った、さらに薄い伴奏で、チェロで主題を繰り返す。
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《》III. モルト・ヴィヴァーチェ
<<< 楽譜省略。 ウィキペディア参照。 >>>
第3楽章は伝統的なスケルツォの変形である。 A-B-A-B-Aという形式を持ち、Aの部分は、オフビートとクロスリズムに満ちた、快活でやや風変わりな曲である。 第1ヴァイオリンの高音部には、作曲者がコサメビタキと信じていた鳥の歌が現れるが、おそらくコサメビタキの歌ではないだろう。
Bセクションはスケルツォの主題の変奏で、短調、半分のテンポで、より叙情的に演奏される。 最初の登場ではレガート・ラインだが、2回目の登場では叙情的な主題が3連符で演奏され、より脈打つような性格を与えている。
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《》IV. フィナーレ:ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポ
<<< 楽譜省略。 ウィキペディア参照。 >>>
終楽章はA-B-A-C-A-B-Aという伝統的なロンド形式。 ここでも主旋律はペンタトニックである。 この楽章のリズムは、ドヴォルザークがアメリカ横断中に列車に乗り、線路の上をチャグチャグと走るのを聞いた経験から着想を得たもので、曲全体を通して第2ヴァイオリンとヴィオラの「チャグチャグ」に見られる。
Bセクションはより叙情的だが、第1主題の精神を引き継いでいる。
Cセクションはコラール主題。
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2. 作曲者:ドボルザークについて
2.1 Wikipedia CS(チェコ版)の抜粋、および、その日本語翻訳
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アントニン・ドヴォルザーク (Antonín Leopold Dvořák)
Wikipedia EN(英語版) URL> https://en.m.wikipedia.org/wiki/Antonín_Dvořák
Wikipedia CS(チェコ版) URL> https://cs.m.wikipedia.org/wiki/Antonín_Dvořák
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Antonín Leopold Dvořák (8. září 1841 Nelahozeves – 1. května 1904 Praha) byl český hudební skladatel, který je označován za jednoho z nejvýznamnějších českých skladatelů a světově nejhranějšího českého skladatele vůbec.
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〜[ Excerpt from above Wikipedia. ]
〜[ 上記Wikipediaの日本語翻訳は次の通り。翻訳にはアプリ「DeepL」を使用。 ]
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アントニン・レオポルド・ドヴォルザーク(1841年9月8日、ネラホゼヴェス - 1904年5月1日、プラハ)はチェコの作曲家で、チェコで最も重要な作曲家の一人とされ、世界で最も演奏されたチェコの作曲家である。
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〜[上記wikipediaの翻訳より抜粋]
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2. 作曲者:ドボルザークについて
2.2 ドボルザークの作品一覧へのリンク・Wikipedia EN(英語版)
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List of compositions by Antonín Dvořák
Wikipedia CS(チェコ版) URL> https://cs.m.wikipedia.org/wiki/Seznam_děl_Antonína_Dvořáka
Wikipedia EN(英語版) URL> https://en.m.wikipedia.org/wiki/List_of_compositions_by_Antonín_Dvořák
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