祈り


ひとりになると何もできない。幸い今は複数のコンペの結果待ち期間だったので、出席しないと本当に社会的に終わる打ち合わせにオンラインで出る以外は、だいたい寝ている。

自分を落ち着ける意味も込めて、とりあえず書いてみる。

5月8日の夜だった。少し風邪気味だったので22時くらいには寝ていた。23時50分頃、着信音で起きる。表示された友人の名前(酔って電話をかけてくるようなタイプではない)と、深夜帯であること、この時点でまあいい話ではないだろうと思いながら、電話に出た。涙交じりの声で、また1人、友達がいなくなってしまったことを知った。

寝ぼけているのか、受け入れられないのか、実感がないのか、もう心が動かないのかわからないが、どこか冷静だった。驚きと絶望と、死を選んだ彼女が抱えていたであろう圧倒的な苦しみを思った。「そっか。」と返してから何の言葉もかけられず、数分間友人は電話の向こうで泣き、警察に呼ばれたといって電話が切れた。

しばらくベッドの上で呆然としていた。ただ漠然と、誰に対してかもわからないが、ごめん、と思った。誰かの死を他の死と比べることも重ねることもすべきではないと分かってはいるが、それでも「またこの痛みだ」と3年前を思わずにはいられなかった。また、友達を、1人で逝かせてしまった。

少ししてから、いま1番に考えるべきは、電話をくれた友人のことだと思った。改めてLINEでいまどの病院にいるのかを聞き、親に頭を下げて車を出してもらった。そのまま仕事に行けるよう、pcも持って家を出る。高速を吹っ飛ばして1時間弱、深夜1時半くらいに都内の病院についた。

警察の事情聴取を終えた友人と合流し、病院の廊下に座って、2人でぼんやりとしていた。ポツポツと、今日何があったのか、話をしてくれた。友人が置かれたあまりにもキツい状況に、言葉が出なかった。

亡くなった友人のお母様、旦那さんとそのお姉さんと合流し、霊安室に向かった。

彼女と対面する。相変わらず美人で、綺麗だった。Twitterへの投稿とか、雑誌への寄稿とか、本人が書いていたnoteとか、最近は文字媒体でしか触れていなかった彼女という存在と、まさかこんな形で向き合うことになるとは思わなかった。学生の頃の無邪気な笑顔の印象と、大学卒業以降、彼女の書いた文章で断片的に知っていた幼少期からの過酷な虐待経験とそれらに伴うPTSDの苦しみが、ぐるぐると脳内を巡った。どうか今、苦しみのない、安らかなところにいますように、と、ただそれだけを祈った。

病院の近くには24時間営業の店がなかったので、3時頃、1人で東京ドーム近くのジョナサンに移動した。ホットミルクを頼んで、カップを持った。そのあたたかさで、自分の手が物凄く冷えていたことに気づいた。

彼女の訃報は、拡散された。
色んな人から連絡があった。Twitterで見たが、本当なのか。なにか知っているか。3年前に亡くなった別の友人のお母様からの連絡が一番辛かった。『どうかみんな、元気でいて、悪いのは病気だから、自分たちのことを責めないで、ただ笑顔で日々を過ごせることを、それだけを祈っている。』なんて痛切な祈りだろう。

3年前に親友が自殺してから、大切な人の「死にたい」にどう向き合うべきなのかずっと考えている。私は彼女に生きていて欲しかった。貴方と過ごす時間が、積み重ねてきた思い出が、貴方の眼を通じて見る世界が、生み出してくれる面白いものが、本当に好きだった。ただくだらないLINEをして、クリスマスにはトイザらス縛りでプレゼント交換をして、会いたくなったら餃子の王将で食べたいだけ食べてレモンサワー飲んで、コスパ最強じゃんって自画自賛する、それだけでよかった。

けれどそれは私のエゴでしかなく、できるのは話を聞くくらいで、彼女の病気や苦しみを取り除ける訳でも肩代わりできる訳でも背負える訳でもなかった。
死なないで、と言うのは簡単だが、いつか楽になるよ、とか生きてたらいいことあるよ、とかはその人の人生を本当にリアルに想像したら出ない、無責任な言葉だ。考えれば考えるほど、他者ができるのはせいぜい気晴らしくらいで、苦しみの根幹にはどうしたって立ち入れないのだと感じる。

亡くなった直後はとにかく悲しくて辛くて痛くてどうしようもなかったが、数年かけて、彼女が抱えていた「死にたい」という気持ちを受け容れられるようになっていった。

だからだろうか、霊安室で友人と対面した時に、悲しさと同じくらい、苦しみのないところに行けたのかな、という安堵のような気持ちがあった。悲しみに対する私の自己防衛だと思う、けれど、やっぱり、私は彼女の選択を絶対に否定したくないと思った。

先週亡くなった彼女は、3年前に友人が亡くなった時に、連絡をくれていた。久々にLINEを見返す。どんな風に亡くなったことを捉えればいいのかな、という問いに、お互いポツポツと思いを書き連ねて、彼女は最後に『周りからは強い人だって思われてると思うけど、これから先何があるかわからないし、何が不調を抱えたときは弱い部分も周りに教えてね』と伝えてくれていた。

優しくて聡明で努力家で、みんなから愛されていた大切な友人が、苦しみ続けていたことを、これからも想う。いま安らかなところにいることを、心から祈っている。

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