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仙台・石巻・気仙沼旅行

隙間時間にポツポツ書いていたら完成がすっかり遅くなってしまいました。10月最終週の旅行記録。

出発前

月曜と火曜は仕事で沖縄にいた。
関東が急に冷え込む中、半袖でちょうどいい沖縄はまさに楽園。仕事でヒアリングさせてもらった沖縄の方によると、衣替えは11月にあって、それまでは半袖のかりゆしウェアを着るのがスタンダードらしい。お洒落でかわいかった。

沖縄料理も満喫。

郷土料理フルコース

水曜・木曜は関東に帰ってきて仕事をし、木曜の夜中に発車する夜行バスに乗って、次は仙台へ。夜行バスに乗るのは3年ぶりくらいだった。カーテンで区切られた真っ暗な自分のスペースって、何であんなにワクワクするんだろう。

木曜ということもあり、東京-仙台間はまさかの3300円。安すぎる。仙台で買った同居人おすすめの和菓子が3500円くらいしたので、和菓子1缶よりも安い値段で400kmも移動してしまった。

1日目


朝の7時に仙台駅東口に到着。マックで朝ごはんを食べながら、ボロボロの伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』を読み返す。伊坂作品の中で、魔王、チルドレンに続いて3番目に好きな作品。何度読み返しても面白いし(とはいえ初回の面白さは格別なので、アヒ鴨に関する記憶だけ消してもう一回読みたい)、切なくて、心の柔いところにスッと入ってくるような感動がある。

9時くらいに読み終わり、地下鉄に乗って八木山動物公園へ。作中に出てくる動物園のモデルと言われており、映画化された時にはロケも行われた。

表示だけでテンションが上がってしまう

八木山動物公園に着くと、そこにはおびただしい数の子供たちが。幼稚園の親子遠足と、複数の小学校の遠足が重なっていたらしい。雛鳥のように先生に着いて周り、かわいい歓声を上げる小学校1年生(推定)から、班で競い合いながら課された課題を埋めていく小学校4年生(推定)まで、多種多様な子どもたちがいた。

そんな中、スーツケースをガラガラと引き摺りながらソロ動物園を楽しむ私は、おそらく若干異質ではあったが、そんなことが気にならなくなるくらいの、いい天気だった。

時間もあまりなかったので、猛スピードで園内を巡り、一番奥にあったレッサーパンダのところへ。作中屈指の印象的な場面がレッサーパンダ前だったので、空気感を存分に味わいつつ、小学生達と「あっちに行ったよ!!」等と交流しながら愛らしい姿を満喫した。

透明ポーラーベア!
たしかに盗み出せそうな距離感
いい動物園だった
ほーーんとにいい天気


次の予定もあったので10時半には公園を出発して仙台へ戻る。仙台駅前の事業構想大学院大学に寄って所用を済ませ、バスに乗って石巻へ向かう。

今回の旅の目的は、石巻で働く大学の先輩に仕事について紹介してもらうことと、美味しい海産物をたくさん食べることの2つ。

私は漠然と「社会課題を解決したい、公共のための仕事をしたい」と思い続け、今は民間の立場から政策実行に関わっているが、上流にいることもあって現場を少し遠く感じ、仕事の手触り感が薄いことが気になり始めていた。(とはいえ、中央官庁に近い立場はそれはそれでかなり面白いが)
現場に近いところで、社会課題そのものと対峙しながら働くことについてイメージを膨らませたく、今回は大学卒業後に石巻に移住し、水産業の課題と向き合う先輩に仕事の紹介を依頼した。

仙台から石巻までバスに乗って1時間で到着。まずは先輩の働く一般社団法人 フィッシャーマンジャパンの石巻拠点へ伺い、メンバーの皆さんに挨拶させてもらった。普通に仕事中だったのに皆さん快くお話しさせてくれて有難い…。
フィッシャーマンジャパンは超ざっくりいうと、三陸を中心に水産業を盛り上げることを目的として活動する団体である。水産業のイメージとして根強い3K(きつい、きたない、危険)を一新し、新3K(カッコいい、稼げる、革新的)を実行すべく、漁師の担い手育成事業や流通事業を行っている。
HP、超カッコいいので是非。

仕事について紹介してもらった半日だけで色々な関係者の方に会わせていただいたが、皆さん背筋の伸びた恰好いい人たちだった。

FJ(フィッシャーマンジャパン。以後面倒なのでFJで統一)に荷物を置かせてもらい、近くの寿司屋へ。大将も女将さんも朗らかでお話しが面白く、それだけで最高なのに出てくる寿司が全部美味しすぎて、食べる度に「めちゃくちゃ美味しいです!!!一番好きです!!!」を連呼してしまった。全部美味しかったけど、最後のアナゴが一番美味しかったかもな……

出てきたお寿司はほぼ全て石巻で水揚げされたもの


昼食の後は、軽トラに乗ってI-HOP CAFEへ。
ゲストハウスが併設されている、超上質空間だった。

今にも壊れそうな軽トラ。
愛を込めて「ベンツ」と呼ばれている


カフェでは、大手証券会社を1ヶ月で辞め、FJの担い手育成事業を利用して石巻で漁師になったMさんと、高校生の頃から漁師を志し、Mさんと同じ親方のもとで働くSさんを紹介してもらい、漁師になりたいと思った経緯や今の仕事について色々と伺った。
以前先輩が携わった事業の製品として牡蠣や銀鮭を送ってもらい、美味しく頂いていたが、その生産者がMさんだということが判明。よく農産物に生産者の顔が書いてあるけど、自分が食べて無茶苦茶美味しいと思ったものを作った人が目の前にいるのって、本当に凄いわ。
Mさんの弟弟子であるSさんは年齢で言うと私の2つ下。コミュニケーション能力が無茶苦茶高く、牡蠣のこととか船のこととか色々教えてくれてもの凄く楽しかった。

しばらくお話を伺った後にみんなで移動し、FJの皆さんとも合流して牡蠣の入札会場へ。長靴に履き替え、髪の毛が入らないよう不織布の帽子を被る。消毒液に浸かってからドアを開けると、そこには宮城県中から集められた牡蠣がズラーーーっと。普段の一回の食事では多くても4,5個しか食べないものがとんでもない量存在している光景に、この世界にはヒトがとんでもない数存在していて、それぞれの人生があり、食事があり、牡蠣との出会いがあるのだ、と圧倒された。この量が毎日集められて出荷されていくの、凄い。

集まってくる水産加工会社の人たち、
かなりの割合で高級車乗ってた
長靴に履き替えて不織布の帽子を被る
牡蠣!!!


そしてこのタイミングで、先輩が日頃からお世話になっているという牡蠣漁師で、私の目にはまさに"地元のドン"に見えたMさんが登場。皆んなに着いて周り、解説してもらいながら産地による差異を見ていく。
入札会場に集められたのは、全て剥き身の牡蠣で、漁協が一括で入札行い、管理する「共販」という方法がとられている。一方、殻付きの牡蠣は剥き身のようにまとめて扱われることはなく、生産者と購入者が個別で売買契約を結ぶらしい。形態によって流通経路が全然違うの、面白い。

最近は牡蠣の量が少なく、値段が上がっている。水産加工会社は納品先に対して◯円で月に◯kgを出荷しますね、ということを年単位で約束しなければならないため、値段が高騰する今は3万で買って2万で売る、という非健康的な状態になっているらしい。
値段が高ければ漁師側としては急激に生産量を増やす必要もないので、なかなかwin-winの状態にするのは難しい。「そうすると、生産者と加工会社の関係性って最悪なんじゃないですか?」と先輩に尋ねたが、そこはお互いにうまくやっているようで、関係性は良好だそう。ステークホルダーが多いし歴史と経緯が複雑なので、まだまだ流通には課題が残る印象だった。

目利きたちの話を聞きつつ、産地別に牡蠣を眺める


ちなみに入札は口頭で手を挙げるような方式ではなく、牡蠣の状態を見た後は会議室みたいなところに移動してタブレットに入力していく。水産業にも着実にDXの波が押し寄せている。

入札現場を後にし、船を見に浜へ。自分の船を持ちたいSさんが「使っていない船外機があったら譲ってもらえないか」とMさんに頼み、Mさんの伝手を紹介してもらえることになったので、便乗して見学させてもらった。
結局サイズの問題で譲ってもらうことはできなかったが、初対面の歳の離れた先輩漁師に臆することなく頼み事をし、必要なものを貪欲に求める彼らの逞しさ。自立して生きていて、凄い。

結局船外機はサイズが合わなかったが、
船について色々聞けて面白かった



その後帰ろうと車で走り始めたところで、どこからか子供の声が。「Mさんの孫かもしれない!」と先輩は大急ぎでUターンし、Mさんのご実家へ。「地域のドン」という失礼な第一印象の通り、大漁旗や歴史のありそうなものがたくさん飾られた、大きなおうちだった。
今日の移動に何故かずっと同行している謎の人物であるところの私を快く迎えていただき、小2のHくんと5歳のSくんと真っ暗で何も見えなくなるまでバトミントンやスケボーをして遊んだ。

Hくんと遊んでいる最中、燃えるような夕焼けの逆光で何も見えない方向から
「明日遊ばないーーーー??」と同級生が叫んで来た時には、あまりのノスタルジーに頭を抱えた。

「いいよー何時ーーー?」
「3時!!!!」
「朝の3時は早いよ!!!」
「違うよ!夕方の3時!!!Hくんちの前ね!!」
「おっけーー!!」

互いの姿が見えない中で叫び合う彼ら。良すぎた………
(3時って言われて朝の3時が選択肢として候補に上がるの、さすが漁師の息子だった)

堤防の先はすぐ海


本当は夕飯は別のお店で食べる予定で、予約までしていたが、「夕飯を食べていきなよ」という奥さまからの魅力的なお誘いを受け、2回夕飯を食べることに。
鯨、松阪牛のすき焼き(偶然贈られて家にあったらしい)、自家製いくらなどご馳走をお腹いっぱいいただいた。お孫さん2人と戯れ、Mさんと奥さん、娘さんとその旦那さん(孫2人のご両親)とたくさんお話しし、先輩が呼んでくれたFJの別メンバーから事業について詳しく伺い、超充実した時間を過ごさせてもらった。
出会って数時間の私の膝に躊躇なくよじ登ってテレビを見始める5歳のSくん、ヒールのあるブーツだった私に対して「手加減してやるよ」とニヤニヤしながらバドの勝負を誘い続ける小2のHくん、可愛すぎてやばかった。

5歳児の命の重み
バトミントンが最近のブームだというHくん


その後、もともと予約していた、先輩の知り合いが切り盛りする駅付近の料亭へ。正直胃袋は既にはち切れそうだったが、店員さんが最高に可愛く、またメニューも全て最高に美味しいということで、結局一食分普通に食べてしまった。

石巻の蛸。まーーーじで美味しかった

日々の仕事の悩みをうっすらと吐きつつ、先輩の生き方についても色々話してもらい、お腹も心もいっぱいになったところで帰宅。終電の新幹線でやってくる彼女を迎えに行く先輩を見送り、持参した寝袋とエアマットで就寝。翌朝先輩と彼女さんから「ミノムシみたいなスタイルで爆睡してて、あまりの生命力に笑いが止まらなかった」と爆笑された。

2日目


朝6時くらいにもう1人東京から夜行でやってきた友達が合流し、4人のメンバーが揃った。どっかで既に書いたかもしれないが、今回は毎週オンラインでやっている読書会のメンバー4人での東北旅行。私だけ前乗りして、先輩の職場紹介をしてもらっていた。

朝ごはんを食べ、レンタカーを借りてまずは石巻漁港へ。石巻の港は震災で全て流されてしまったので施設が新しく、かつ入港する船の漁法が多種多様なのでそれに対応するために横に長い構造となっている。施設の長さはギネスにも登録されているらしい。けれど現場の人からはデカすぎて使いづらいと言われているとかなんとか。補助金行政の難しいところだよなあ。
「これは◯◯漁法で、こういう魚を取る船」と先輩の紹介を聞きながら船を眺める。
やっぱりサンマ漁船がメカっぽくて好き。

石巻漁港。早起きすれば見学も出来たが、起きられず…


近くの水産総合振興センターには、石巻の水産に関する資料が展示されていた。小学校の頃とかって校外学習で行かされる資料館とかあんまり好きじゃなかったけど、年齢を重ねるほど、面白くて仕方なくなってくる…。隅から隅まで眺めて色々学び、上映されている動画資料も全て見た。

すごいよかった


漁港の周りには水産加工会社の団地が広がる。石巻は、単純な水揚げ量では例えば銚子など他の漁港に劣るが、水産加工会社の発達が日本随一の街。150から200程度の水産加工会社がいるらしい。「定期的な水揚げがある」ことが発展の要因だということで、世界三大漁場の一つを擁する石巻ならではだと理解した。そんなことをきいていたら、道の駅でのお土産購入で財布の紐が緩みすぎてしまい諭吉が数人旅立ったが、後悔はない。

その後は万石浦の牡蠣工場へ。外から牡蠣剥きの作業を眺めたり、大量のホタテの殻(牡蠣の稚貝をつけるため、48枚で1列になっている)に圧倒されたり。

ここで玄人たちが牡蠣を剥きまくっている
今日もいい天気
全てホタテの殻


昼ごはんにサバ出汁ラーメンを食べ、北東に移動して大川小学校へ。数年前に弟と石巻を訪れた際にも大川小学校に来ていたが、その時にはまだなかった震災伝承館が作られていた。

遺された人たちの生々しい声が展示されていた

震災からはもう11年が経つ。ほぼ同年代の子供たちが皆亡くなったというニュースに、当時もショックを受けた記憶があるが、大きくなってから訪れると、学校の管理下でここまでの被害が出てしまったこと・緊急時の判断の難しさ・指揮系統が混乱している中での責任の所在など、子供を守らなければいけない"大人"側の問題が見えてくる。
何度訪れてもショッキングな場所ではあるが、まだ目にしたことのない人がいたら、是非行ってみてほしい。

老朽化の進む校舎。伝承館で全天球カメラの映像を見ることができる

その後は海沿いへ戻り、雄勝へ。入り組んだ湾ということもあり、海とは思えないほど水面が穏やかで綺麗だった。

地元のスーパーに寄って、鮮魚コーナーの充実具合を確認し、少し内陸に戻って今夜泊まる追分温泉へ。こちらも数年前に来た時に泊まった旅館だが、何度来ても良い。廃校になった小さな小学校を開拓したという建物は、廊下や洗面所に「学校」感を感じられる。
そして何よりも夕飯!!品数と海鮮のバリエーションと蓋を開けるときのワクワクがたまらない。

風呂に入り、瓶の牛乳を飲みながらぐだぐだし、部屋に戻ってこたつに入りながらぐだぐだ。みんな人生に迷っている。

3日目

朝イチから無茶苦茶美味しい鮭を食べ(ほんっっとに美味しかった)、気仙沼へ北上。今日も今日とて最高に天気が良かった。私、晴れ女かもしれん。

最高の標識

まずは気仙沼の漁港付近で、魚市場で働く人を支える鶴亀食堂へ。絶品の鰹が食べられるが、営業は朝6時から13時まで。朝ご飯もめいいっぱい食べ、そして昼ごはんには最高の牡蠣料理を予約していた私たちは「だめだ、これ以上食べたらもう昼ごはんが入らない…」と葛藤しながらも鰹の刺身とメカジキのカマ煮をペロリ。太陽光で最高に盛れてるカマ煮、可愛すぎる。

朝からビールを飲み出す人も
口に入れた瞬間にトロける最高のカマ煮

気仙沼の漁港は沖合まで出て数日かけて漁をする大型の漁船が多く入ることもあり、石巻とはだいぶ雰囲気が異なる。
特に有名なのはカツオとマグロ。カツオといえば高知のイメージだったが、冷凍せずにそのまま水揚げされる「生鮮カツオ」の水揚げ量は気仙沼が20年以上日本一をキープしている。カツオを取るためにはイワシなどの餌が必要だ、ということもあり、気仙沼の漁港は震災からわずか3ヶ月で復活し、漁師は海に出始めたんだとか。すごい…。

遠洋まで出るマグロ船が港を離れるときは、関係者が岸から航海の安全と大漁を願って見送る「出船送り」が行われる。漁師たちを迎え入れ、そして送り出す気仙沼の人々の温かさに惹かれ、全国から漁師たちが集まるんだとか。実際、港に泊まっている船のほとんどは県外から来ている船だった。

石巻と同様に、先輩に船の種類と漁法を解説してもらいながら港を散策する。マグロ漁船は海面からマグロを引き上げられるよう、右舷だけが低くなっているのでわかりやすい。
あと面白かったのはメカジキをとる漁船。人が梯子の上から海面を見て魚影を見つけ、下にいる人に指示を出してモリで突く。大海原で、目視で、モリ突き…工数と釣果の釣り合いは取れるのか!?と思ってしまったが、きっとその漁法で釣り上げられたメカジキを先程美味しくいただいたばかりなので、「本当にありがとうございます」の気持ちしかない。

船の先端、怖

お昼は大島に移動し、海が目の前にある最高のロケーションで牡蠣御膳をいただいた。ヤマヨ水産という牡蠣の生産者が直接運営するヤマヨ食堂。朝ドラのロケ地にもなったのか、サインがたくさん飾ってあった。
牡蠣御膳は洋風のAと和風のBがあり、前菜からメインまで全てが牡蠣で構成された、まさに牡蠣のフルコース!ほーーーんとに美味しかったし、こんなに色んな食べ方ができるのか、と目から鱗だった。

牡蠣はヨーロッパでも養殖されているが、日本とヨーロッパでは育て方が全く違う。ヨーロッパでは長靴で入っていけるような干潟で育てる。海面に上がったりまた沈んだり、日々ストレスに晒されることで牡蠣たちは強くなり、貝柱もしっかり育つ輸出向きの牡蠣となるらしい。一方日本は垂下式と呼ばれる生育法が主流で、稚貝から基本的にずっと海の中で育てる。常に餌が豊富な良い環境にいるため、栄養豊富で美味しい牡蠣ができるんだとか。女川ではヨーロッパ式の生育法を一部取り入れようとする漁師がいるらしく、試行錯誤し続けていると知った。

牡蠣処理場の中に食堂。そりゃ新鮮で美味しいわけだ

その後大島を一望できる亀山展望台へ。駐車場から展望台までをつなぐシャトルバスに乗ろうとしたら「乗れるのはあと2名です」と言われてしまい、仕方なく足で登ることに。想像していたよりも道は険しく長く、いい腹ごなしになった。

頂上!

帰りは無事バスに乗り込み、次は近くの十八鳴浜へ。くぐなりはま、と読む。展望台から駐車場まではすぐだったが、その後浜まではまた予想以上に長いハイキング!!!愚かにもこの旅行にヒールブーツで臨んでいた私は滑らないように全集中しつつ、15-20分くらい歩いて浜に到着。

全然もうすぐじゃなかった

十八鳴浜の砂は黄褐色の石英粒からなり、砂を踏むと「キュッキュッ」あるいは「クックッ」(9+9=18)と鳴くことからこの名が付けられたらしい。実際、歩いたり砂を手で撫でると「キュッキュッ」と音がして面白かった。

砂を鳴らして遊んでいるうちに普通に砂浜遊びが楽しくなってしまい、漂着物のペットボトルを拾い、山からの水流を探して、友人がTikTokで見たという砂のボール作りで大盛り上がり。
予定していた滞在時間を大幅にオーバーしてしまったものの、めちゃくちゃ楽しかった。真っ暗になるまで公園で砂遊びをしていた幼い頃の自分を思い出した。やっぱ砂遊びって面白い…!

出来上がった渾身の砂ボール

その後本島に戻り、気仙沼魚市場の水産振興センターへ。私のリクエストで連れて行ってもらったが、石巻以上に力が入った展示で、マグロ漁・カツオ漁のことや、水産業に携わる人々の暮らしや学校のこと、どのような方がどのような形で関与しているのか等々、ほんとーーに色々学ぶことができて超面白かった。

一番面白かったのがこの気仙沼漁師世界地図。どの時期にどのマグロを求めてどの海域に移動するかが小ネタと共に示されており、1時間はこれだけ眺めていられる。

左下に書かれたコメントも良い。

大漁のこともあれば、まったく魚と会えない日もある。そんな産業が中心にあるまちが気仙沼です。
不確実性をのみこんで自分の信じることをする
海と生きるまちは「胆力」をもつ人たちであふれています。
海よりも深く、やさしく、
そして、豪快で、ほがらかなまちです。

先輩おすすめのコーヒースタンドで美味しいコーヒーをいただき、最後に岩井崎へ。海水に侵食された石灰質の岩の割れ目から、侵入した波が高く噴き上がる光景が名物の景勝地だが、天気が良すぎて波が低かったのか、潮吹きは見られず。でも龍の松はまさに龍だ…!という感じだったし星は綺麗だったし、最高だった。

かっけえ

トイレに行きたすぎて全員変なテンションになりながら石巻のファミマのトイレに駆け込むなど事件がありつつも、無事石巻にレンタカーを返し、仙石線で仙台へ。仙台では旅の〆めに牛タンをガッツリ食べ、お土産通りの閉店ギリギリに駆け込んでずんだシェイクを流し込み、今回の宮城県旅行は幕を下ろした。初日のマック以外、まーーーーじで美味しいものしか食べてない。全身の細胞がここで食べた美味しいもので構成されてるんじゃないか!?と思ってしまうくらい、最高の気分だった。

22時くらいの新幹線に乗り、茨城あたりを通過中にばっちりアイナナ最新話を視聴。毎週本当に面白いし心抉られる…。


3日間案内してくれた先輩には絶大な感謝を。今思えば出会って仲良くなったきっかけは、大学2年で履修してた社会学研究のグループが一緒だったことなんだなあ。読書会メンバーの他の2人もジェンダー論演習で出会ったので、駒場の少人数ゼミ形式授業って凄い良かったとしみじみ。

人生掛けて取り組みたい社会課題やアプローチの方法は引き続き考えつつ、知らない世界には積極的に飛び込んでいきたいな、と思った3日間でした。
あと、結局一番面白いのは人との出会いかもなあ。皆さんにまた会いたい。

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