見出し画像

慣れと海


友人が亡くなったのは金曜の午後だった。
もうまずいかもしれない、と聞いて、居ても立っても居られず、彼女の家に向かった。多摩川を超えたあたりで、『28分◯ちゃん終わりました』と、ギリギリ間に合った別の高校同期からLINEが来た。

連絡をくれてありがとう、と返し、部活同期のグループに彼女が亡くなったことを伝えた。

数時間後、最期を看取った友人と合流し、渋谷でおでんを食べた。今後の段取りや、各方面への連絡について話し合い、分担した。


友人が亡くなった翌日、私は元々、去年亡くなった別の友人の家に行く予定があった。

友人のお母様とアルバムを見て、「七五三めちゃくちゃかわいいですね」「この時こんなことあったんですよ」と、思い出話をしながら笑った。
去年亡くなった友人と昨日亡くなった友人が一緒に写っている写真を見つけて、この2人、高2の修学旅行の班行動一緒だったんだ、なんてことを思った。

そろそろ一年が経つ彼女の部屋は、彼女がいた時のまま、綺麗に掃除され、温かいような冷ややかなような、不思議な空気感を保っていた。
壁に貼り付けられた付箋に残された彼女の丸みを帯びた文字に、貸した古文のノートが落書きでいっぱいになって帰って来たことを思った。不躾に本棚を眺め、これ私があげた伊坂幸太郎の『砂漠』なんだよな、と、最後に西嶋の話をしたことを思った。

その翌日、2日前に亡くなった友人のお母様に呼ばれ、自宅に伺った。
数ヶ月前とあまり変わらない、リフォームされて新築のようなワンルームの一室には、医療ゴミやボトルのワセリンと、見覚えのある彼女の私物とが混在していた。

お母様から、彼女の最期の数日の話を聞いた。
亡くなる2日前、退院する前に「もう治療することはできない」と主治医に言われ、彼女が流したという涙の意味を咀嚼しようとして、辞めた。
涙ながらに語られる最期の瞬間を、密度の違う空気の層を挟んでいるかのような感覚で、ぼんやりと聞いた。

葬儀で娘の足跡のようなものを流したい、とお母様に頼まれ、実家から持ってきてくださったアルバムを見せてもらった。
「七五三めちゃくちゃかわいいですね」「この時こんなことあったんですよ」と、思い出話をしながら笑った。

家を出て、葬儀会場で彼女に対面した。
数分だったのか、数十分だったのかわからないが、痩せてしまった彼女の顔を見つめ続けた。

結局その日は夜まで安置室にずっといた。
葬儀社の方と何度か話をさせてもらい、こういう風に写真を飾りたい、だとか、こんな映像を流したいんだが機材は使えるか、とかいう相談を繰り返した。


通夜の日も、告別式の日も、火葬場まで同行させてもらい、彼女だったものを納骨する瞬間も、私はたぶん、彼女の死を悲しんではいなかった。

2つの死に向き合い続けた三連休、私は平然と知り合いから牡蠣を送ってもらい、牡蠣ご飯を作っていた。
「通夜と葬儀で有休取るから、仕事しなきゃまずいな」と、移動時間にちょこちょこ仕事をしていた。
葬儀の段取りを確認する時、「去年はこうだったな」と、亡くなった友人のことを無感情に思い出し、経験として参考にしていた。

私はそんな自分のことが、本当に、心の底から、気持ち悪い。

小6で出会い、中高大、部活でもずっと一緒だった友人が亡くなったことに対して、泣けない自分がキモい。
亡くなった当日にもLINEしていて、自殺してしまったことをあんなにも悔やんで泣き叫んだ友人のことを、平然と葬儀の参考にしている自分のことが、心底キモい。
「仲の良い友人が亡くなる」ということに対し、「慣れ」を感じてしまっている自分のことが、心が動かなくなっている自分のことが、本当にキモい。

おそらく人間が生存のために持っている防衛本能のようなもので、自分の心が守られているのだろうことは、なんとなくわかる。
亡くなってからの数日間は常にひどい頭痛で、鎮痛薬なしではいられなかったし、横たわる彼女に対面した時は、明確に自分の思考が途中でロックされたのを感じた。

ただ、少し時間が経ったいま、心のリストカットをするように、色々なことを思い出し、考えようとしても、感情は軋んだまま動かない。
ゆで卵を剥くのを失敗した時に、殻に身がへばりついて欠けてしまうように、去年立ち直ろうとした時に、心の中の「悲しい」を感じるところを本来失ってはいけない部分まで捨ててしまったような、そんな感覚がある。

悲しみたいと、思う。
ちゃんと正面から受け止めて、誰かの死と重ねることなく、もう会うことも喋ることも笑うこともできないのだと言うことを、理解したいと思う。

この前LINEグループを遡っていたら、高3の秋、鎌倉遠足の帰りに先生の目を盗んで、海へ行った時の動画が出てきた。
コンビニで足を洗う用の水を買って、アイスを買って、4人で海岸へ行った。
受験勉強が本格化し始めたシーズンだったのもあり、凄まじい解放感だったのを思い出す。

「2016年、10月5日!天気はー?」
「晴れ!!」
「何してんの?」
「動画撮ってる!」

無邪気な私たちが、膝まで水に浸かり、やってくる波ひとつで大爆笑している。

「テンションヤバすぎwww」
「ねえこれ、数十年後に見たらなんて思うんだろうね」

誰かの分まで、なんて思わないし、私は生きたいだけしか生きたくないけれど、こういう小さな未来の約束は忘れずにいたい。数十年後に見返して、なんでこいつらこんなことで笑ってんだって、必ず思いたい。また、海に行きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?