モンゴル旅行記2023 その1
今年もモンゴルへ行ってきた。
(公開で文章は書いていないが、実は去年も1週間モンゴルに行っている。国家をあげてのお祭り、ナーダムの見学や、知り合いの伝手で遊牧民のゲルにホームステイさせてもらったりなど、去年は去年でとんでもなく濃密な1週間だった。またどこかで書きたい)
今年はナリワイの伊藤さんが主導する、モンゴル武者修行というワークショップの中級編に参加した。
2019年に初めて参加した初級編のことは、以前記事にまとめている。その時に出会ったモンゴルの高校生のインスタを無断転載したところTwitterで大層バズり、モンゴル旅行記も沢山読んでもらうことができた。もう4年前か、懐かしい…。
8/8(0日目)
19時55分成田発の飛行機だったが、18時半まで顧客との打ち合わせがあった。チェックインを先に済ませてから出発カウンター付近のワークスペースで会議に出席し、終了後にJALの手荷物預かりカウンターでPCと社用携帯を預けて出国というギリギリのスケジュール。
搭乗口で、同じ飛行機で向かう3名と合流し、23時頃に仁川へ到着した。
ウランバートルへ行く飛行機は朝だったので、仮眠を取ることに。仮眠スペースは沢山あると聞いていたが、どこも満員で床に人が寝ているような状況だったので、絶妙に寝心地の悪い傾きのソファで体を休めた。
8/9 (1日目)
5時30分頃起床。身支度を済ませ、transfer deskへ行って搭乗券を発行し、8時10分発のウランバートル行きに乗る。
十分に仮眠が取れなかったので機内では寝るつもりだったが、ディスプレイをぼんやり眺めていたら公開当時完全に観るタイミングを逃していた『SHE SAID』が入っていることに気づき、結局一睡もせずに観続けてしまった。
感動と悔しさと尊敬と危機感と、いろんな感情が混じった涙が出続けた。素晴らしい映画だった。この映画のことを一緒に語りたい人が沢山思い浮かんだ。
SHE SAIDで胸がいっぱいになったところで、11時30分頃にウランバートルに到着。(以降ウランバートル時間)
入国審査を終え、最初の2日間滞在するツーリストキャンプのアギーさんと合流した。お会いするのは2019年ぶりだったが、全然変わってなくてなんだか安心した。
1年ぶりのモンゴルは、降り立っただけで「やっぱりこれだわ」と、なんとも言えない納得感があった。
前回滞在との違いとして、今回はモンゴル語を習っている方のお誘いで短期集中講座を受けさせてもらっていた。自分でも大学時代の復習を少ししていたこともあり、若干(本当に若干)キリル文字が読めるようになっていた。
空港から市街を抜けてキャンプへ向かう時にも、道路沿いの複数の看板を見て、単語の重複を見つけて「ということは、засварは修理かな?」と少しずつ語彙を増やすことができたのは、世界を自分の力で紐解いていくようで、なんだか楽しかった。
今日本でもモンゴルでロケが行われたドラマ『vivant』が大ブームとなっている。日本人観光客数にはまだ流石に影響していないようだが、アギーさんによると、最近は韓国からの観光客急増しているらしい。特にインフルエンサーがこぞってゴビ砂漠に訪れているそうで、若者たちがインフルエンサーを追いかけて砂漠を訪れ、おしゃれ写真を撮影してるんだとか。
実業家として様々なビジネスを手がけるアギーさんは、2019年に初めて訪れた時、日本に帰りたくないと溢す私に「いつでもモンゴルにおいでよ。ゲルと馬は用意してあげるよ」と言ってくれた。「冗談でも、そう言ってもらえたことで私は無敵な感じがして、頑張れているんです」とお伝えしたところ、「モンゴルは若い国だからビジネスチャンスが多いよ。一緒にやらない?」と今度はガチめな勧誘。私はなんやかんやいって大企業体質なので、まずは社内でモンゴル関連の仕事を作れないかチャレンジしたい。(これ、Twitterでも呟いたら、金融系大企業に勤める友人数人から「お前は大企業体質ではない」と大ブーイングだった)
13時頃にキャンプに到着。
キャンプに滞在していたイギリス在住の女の子から、到着早々お花をもらった。
お昼ご飯を食べて、草原をぶらぶらする。
今年は雨が多いらしく、白いきのこが草原中に生えていた。食べられるものもあるらしい。
昼食後は乗馬の予定だったが、雨が降ってきてしまい、断念。
宿泊するゲルの中に入ってダラダラしていた。
バギーキャンプには色々な種類の宿泊用ゲルが用意されており、私たちが泊まったのは最もシンプルなもの。
冬にも滞在できるようにするため、床暖房を完備したもっと現代的なゲルも増設したそうだ。
しばらくすると雨が上がったので、馬に乗れることになった。
今回の滞在では、15才の中学生(たぶん)、ジョモくんと、おそらく同学年のバットローくん、ジョモくんの兄(一度名前を聞いたが、発音が難しくて聞き取れず)の3人の少年が乗馬をサポートしてくれた。
私の僅かなモンゴル語語彙を駆使して「名前は?何歳?」と話しかけたら、無事通じて答えてもらえたのが嬉しかった。コミュニケーションが取れるのって、本当に楽しい。
ただ、それによりモンゴル語がわかると思われたのか、向こうからも話しかけてくれるが、手持ちの玉を早々に全て出し切ったので、向こうからの問いかけには全然答えられない。少なくとも疑問文はもっと勉強しておくべきだった。
少年2人もすぐに「僅かな単語しかわからないが、どうやらモンゴル語に対する意欲はあるらしい」と認識してくれたらしく、乗馬中はずーっとモンゴル語講座だった。
花はцэцэг、石はчулуу、鞭はташуур、鞍はэмээл、たてがみはдэл、雲はүүл。教科書を眺めているだけではなかなか覚えられなかったが、少年達に教えてもらった言葉は、見せてくれた花や石、乗っていた馬の息遣いと合わせて鮮明に蘇ってくる。
彼らは発音に非常に厳しく、正しい発音に私が辿り着くまで何度でも繰り返し指導(?)してくれた。モンゴル語には母音が7種類あり、子音も日本語にはないものがいくつかあるので、巻き舌もできない私にとってはかなり難易度が高い。
馬に「前に進め」と伝える合図である「チュ/トゥ」という言葉も、20回くらい繰り返し言わされたのがスパルタでめちゃくちゃ面白かった。出来の悪い生徒にも、指導を諦めない彼らの優しさ。
夕食後には、民族舞踊と軟体芸を見せてもらった。軟体ショー、意味がわからなくてすごかった…。体の柔らかさだけじゃなく、体幹がすごい。
度肝を抜かれた後は、ヨーグルトを食べさせてもらい、仕込みも見学。種ヨーグルトを牛乳に加え、人肌に温めると一晩でヨーグルトになる。家でヨーグルトを作ることはあるが、一晩ってのはかなり早い気がした。絶妙な温度調整で最も菌が活性化する状態にしているんだろうな。
8/10(2日目)
6時半頃、陽の光で起床。
朝食は8時だったので、近くの丘に登ってみることにした。往復30分くらいでいけるかな、と思っていたが、歩いても歩いても頂上が近づいてこない。これはモンゴルあるあるだが、視界が開すぎていて、かつずっと同じ景色なので、距離感が全然掴めないのだ。
ここまできたら引き返せない、という気持ちにもなり、ひたすら頂上を目指す。場所によって咲いている花や、虫の音が違っていたのも面白かった。
7時半頃、ようやく頂上に到着。石が積んであり、何か動物の骨が置いてあった。モンゴルでは、山のてっぺんにはだいたいこのように石が積んであり、オボーと呼ばれている。
8時頃に朝ごはんを食べ、10時から午前中の乗馬。
この時キャンプには私たち以外にも日本からの乗馬クラブご一行が泊まっており、彼らが先に出発したため馬が足りなくなってしまった。少年たちはなんとか2人乗りを試みていたが、馬が嫌がったので仕方なく歩きに。草、きのこ、鎧、道、食べちゃいけない草、白、蝶、などなど、相変わらずのモンゴル語講座を開催してくれた。
昼食前には、ウルム作りを見学。ウルムとは、熱した牛乳を上から落とすことによって脂肪分を分解させ、一晩置いて固めたモンゴルの生クリーム。砂糖やレーズンを入れてパンにつけて食べると激ウマである。私の大好物!
昼食のホーショール作りも見学させてもらった。ホーショールは羊肉を小麦で作った生地で包んで揚げた料理。夏のお祭り、ナーダムで必ず食べられるほか、道路を車で走っていると、日本でいうコンビニくらいの頻度でホーショール屋があるくらい、日常的なメニューである。皿を使って形をくりぬくのが、生活の技という感じがしてよかった。
お昼ご飯を食べ、15時半頃から、午後の乗馬。
この日は気温が高かったこともあってか、馬達の機嫌が悪く、落馬も発生してしまった。とは言えモンゴルでは落馬は「悪いものが落ちる」みたいな良い意味合いも込められている。
モンゴルを訪れるたびに感じているが、暴れて遠くへ行ってしまった馬を追いかけ、手綱を掴もうと高速で並走する遊牧民の青年って、本当にかっこいい。
途中、青年が急に馬を走らせて遠くに行ってしまった。何かと思って訊くと、私たちが乗っていた馬達の仲間の群れが遠くにおり、馬達がそちらに向けて急に走ってしまう可能性があるので、群れの位置を移動させに行ってくれたらしい。
すぐ近くに別の群れがいるのに、遥か彼方の馬群を更に遠くへ追いかけるのを見て、高校の友人が研究している馬の仲間意識の話を思い出した。
天気が良かった昼間から急転し、夕方は、急な豪雨があった。視界が広いから、雨が近寄ってくるのが目視でわかるのが面白い。
雨が上がったあとには、持ってきた凧を上げて遊んだ。
物凄い急風に煽られ、凧糸に指を抉られたのが、モンゴル滞在中唯一の怪我だった。
その後夕飯を食べて外に出ると、美しい夕陽が。
水たまりに光が反射してピンクになっていたのもとても綺麗だった。
この日の深夜3時頃にキャンプを出てしまう予定だったので、乗馬をサポートしてくれた少年たちへのプレゼントとして、空港で買ったハンカチを渡そうとしたところ、既に家に帰ってしまったとの情報が。御礼を伝えたいのだと相談して、メッセージを書いたメモと合わせて渡してもらうことにした。
(この時教えてもらい、初めて少年たちの正しい名前を知る)
後日、もう一回キャンプに戻ったメンバーから、ウルギーで撮った写真を見せたところ少年達が私を指さして名前を言ってたよ!と教えてもらい、無事にプレゼントが渡ったことを間接的に確認できた。よかった!!
ゲルの中では、夜食的な感じで、暖炉でマシュマロを炙って食べた。持ってきたさきいかを燻製しようとしたけど熱くて無理だった。
暖炉でゲル内が温かくなった結果、急激に体温が上昇して眠れず。一旦体を冷やすために外に出たら、雲間から電気がついてるみたいに星が見えた。コンタクトをしていなかったのでかなり視力は低い状態だったが、雲の切れ間から見えるだけで星座がわかるくらい、星の輝きが濃かった。
8/11(3日目)
2時30分、起床。激寒。ヒートテックタイツの下を持ってこなかったことを後悔した。
3時出発でウランバートル空港へ向かう。
郊外の大きなスーパーマーケットににяапон(日本)と書いてあり、何かと思ってよく見たらcan doがテナントで入っていた。こんなところにも進出してるのか…!!!
4時半前に、空港に到着した。おにぎり、りんご、サンドイッチ、ヨーグルト、ゆで卵の朝ごはんを食べた。
ウランバートル空港から国内線に2時間ほど乗り、今回の旅のメインの目的地、モンゴル西端のウルギーへ。
15kgの荷物制限もみんなクリアし、小型ジェットに乗り込んだ。
離陸して即寝てしまったが、途中、寒くて目が覚めると、窓の外は砂漠のような景色が広がっていた。しばらく眺めていると、たまに川が現れ、その周りだけ緑が生えていた。
「剥き出しの大地」という印象の景色をぼーっと眺めていると、大きめの山を越えたら急に街が現れた。それが目的地のウルギーだった。
ウランバートル空港で合流したモンゴル人の通訳、ツェギーさんも「モンゴル人からしても、ウルギーは外国に来たみたい」と話す、西の果ての街。ウルギーはカザフ語を話すカザフ人が多く、街の看板はモンゴル語とカザフ語が併記されているらしい(どちらもキリル文字なので、正直あまりわからない)
ウルギー空港からは、ホブド(ウルギーの一つ南の県)出身で、モンゴル大学で日本語を学んだアリューカさんが通訳として加わってくれた。
車を運転してくれるのは、現地のカザフ人ドライバー2人。2人とも親切で陽気でとても良い人だった。
移動は全てロシア車、vaz。サスペンションなんてものは無い、という事前評判の通り、地面の凹凸をそのまま全身で感じられるタイプの車だったが、私は激しく揺れる速い乗り物なら何でも好きなので最高に楽しかった。
この後は遊牧民のゲルをお借りしながら各地に滞在することになっていたので、自炊のため、スーパーでまずは買い物。肉屋で肉を買い、道端の露天八百屋で野菜を買った。一般的なサイズの玉ねぎと一口サイズの玉ねぎがあり、前者は中国産、後者はカザフ産だと言われ迷わずカザフ産を選択。せっかくならご当地のものを食べていきたい。
街の中央の広場には、カザフの戦争の英雄の銅像があった。街には必ず広場があるのは、社会主義時代を感じる。
市場(ザハ)にいく予定だったが、まだ開いていなかったので、予定を前倒して先へ進むことに。
途中で休憩を挟みながら、オフロードの道なき道をひたすら進んでいく。
運転手はノリノリの音楽が好きらしく、カザフのイケイケの曲を延々と爆音でかけてくれた。バラードは即飛ばすので笑ってしまった。
時にお尻が宙に浮くようなオフロードも、ノリノリの音楽に合わせて自ら縦揺れすることによって車の揺れを相殺できるような気がして、ずっとウェイウェイやってた。超楽しかった。
景色は、ウランバートル近郊の草原とは全然違い、乾燥していて規模が大きかった。妙な感想だが、ユーラシア大陸を感じた。
事前に日本から布と自分の寸法を送り、ツェギーさんのお母さんにオーダーメイドでデール(モンゴルの民族衣装)を作っていただいていた。
空港で受け取った後、我慢できず、1回目の休憩地点で着てみることに。
帯は用意がなかったが、車の揺れ対策で持ってきていた腰用のベルトがなんとなくマッチ!
デールを着ると一気に現地の人感が増して、最高の気分だった。ぼーっとしてる瞬間を撮られた写真も、なぜか絵になる!!
スタートしてから約3時間で、チンギス村に到着。
とある食堂に入ると、店員さんが1人しかいないので捌けないと思ったのか「他のお店の方がもっと色々メニューありますよ」と追い出された。
仕方ないので、別のお店へ入る。
カザフの料理だと紹介され、一体どんな食べ物かもわからないまま「ディスバルバフ」を注文すると、出てきたのは朝スーパーで見た謎の四角パスタに近いもの!こうやって食べるのか!
人口数百人ほどの小さな村だったが、道を歩いている人がやたら多い。特に若者が手ぶらで喋りながらフラフラ歩いており、同じ数百人規模の村でも、日本の過疎地域とはだいぶ雰囲気が違うことに驚いた。
食べ終わって今後の行程を確認した後は、町の外れにある橋へ。なんと全て木造!!車で通る時はヒヤヒヤしたし、降りて下から橋桁を眺めると本当に全てが木で出来ていて、びっくりした。
村を抜け、また数時間ひたすらオフロードを進んでいく。ナビどころか標識、否、道すらもないのに、一切の迷いなくガンガン進んでいくドライバーさんのテクニックに驚きっぱなしだった。
一面に背の高い草が広がる場所では、たくさんの人が草を刈って背の高いトラック山盛りに積んでいた。モンゴルの夏は約3ヶ月と、かなり短い。長く険しい冬に向け、牧草を貯めておくのだろう。
途中、沼を突っ切った時にエンジンに水が入ってしまったのか、一度車が止まってしまう小トラブルも。
心配する我々に対して「心配しないで、よくあることだから」と声をかけ、テキパキとエンジンルームを開けてガチャガチャ作業し出すドライバーさんに、賞賛の嵐だった。
赤黒く見えていた岩山が、近寄ってみると剥離しやすい柔らかな石でできていて、かつ赤いのは石ではなく苔だとわかったのもとても面白かった。実際に触ってみないと、何もわからない!
またしばらく行くと、白濁した川に出会った。ドライバーさんが「ミルクみたいな川だから、スーゴスと呼ばれている」(スー=ミルク、ゴス=川)と教えてくれる。山岳地域から流れてくる川で、上流のどろを含んでいるから白濁しているらしい。曇ってしまっているのであまり伝わらないが、本当に綺麗な乳白色だった。
すぐに視界から消えてしまうので写真は撮れていないが、道中では野生の動物をみることができた。水辺にいた鶴っぽい鳥(草原鶴、と教えてもらったけど正式名称は分からず)や、タルバガン(モンゴルマーモット)を見つけた時には、「家畜ではない生き物」がいることがなんだか不思議で、車内は大盛り上がりだった。一回、運良くタルバガンが車の近くを疾走した時には、丸々と太った体に目が釘付けになり、みんな「あれを蒸し焼きにして食べるの、気持ちがわかる…」と納得だった。
ひたすらスーゴスの脇を上流へ遡っていくように進む。場所によっては黄色い花が密集して生えていて、とても綺麗だった。
それにしても、村を出てから約4時間、ほとんど人の気配を感じない。これだけ水が豊かなのに村がないのは、やはりスーゴスの白濁した水はどうしても飲用水にはできないからなのかもしれない。
そしてウルギー時間の19時過ぎに、とうとう目的地の集落(?)に到着!!休憩込みでオフロードを約6時間進んだ先に現れた集落は、スーゴスに並行して透明な水が流れる川の結節点のような場所にあり、やはり飲める水が人の住む場所に影響を及ぼすのだなあと思った。正確な世帯数はわからないが、1km圏内くらいに10弱くらいの家族が生活しているような気がした。
2晩貸してもらうゲルに到着すると、近くにラクダが!荷物を運んだりするのに活躍しているのだろう。
小さな子どもたちも、せっせと動き回っていた。
夕飯は、お昼にテイクアウトしたボーズ(羊肉を小麦粉の生地で包んで蒸したもの)と野菜と調味料でボーズのスープを作った。ボーズを温め直すことができないから、もうスープの中に入れちゃえば良いんじゃない?という思いつきだったが、とても美味しかった。
朝2時半から起きて動きっぱなしだったので、ご飯を食べた後は即爆睡。朝方あまりの寒さに目が覚めてしまったが、しっかり眠ることができた。
翌日は馬に乗って氷河にアタック。
字数と気力の関係で、一旦旅行記その1はここまでで終えようと思う。続きは近いうちに書きます。
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