結婚式でスピーチをした
会場全体の視線を全身で感じながら、ふた呼吸くらい、完全に私ひとりの集中のために時間を使うあの数秒が好きだ。
ひと呼吸めで緊張は適度にほぐれ、ふた呼吸めで、一人一人の顔がよく見えるようになってくる。
胸に大きく息を吸い込んで、私の言葉で空気を震わせにいく。
昨年秋に、大好きな友人の結婚式で友人代表スピーチを任せてもらった。
学生の頃生徒会長をやっていたこともあり、人前でスピーチをした経験はおそらく平均よりも多い。その中でも、3本の指に入る良いスピーチが出来たと思っている。
結婚式前日の夜中に原稿を固め終わった時点で「言いたいことは言えている」と満足し、実際にスピーチをしている最中の彼女の反応を見て、私の気持ちは伝わったと確信した。喋り終わった時には達成感でいっぱいだったが、今回特に驚いたのはその後の周りの反響だった。
座席に戻ると高校同期達は泣いてくれていたし、二次会では新郎側の関係者10人以上から「スピーチが良かった」と話しかけられた。
そして先日、スピーチから連なる嬉しい反応のクライマックスのような出来事があったので、記録を兼ねて書いておく。
この後きっと結婚式ラッシュが続くだろうから、もし友人代表スピーチを任された人がいたら、何か参考になるかもしれない。
というのはまあ後付けで、2022年に私が1番輝いた瞬間の自慢である。
彼女から婚約した、という話を聞いたのは、2020年の秋ごろ、渋谷の焼き鳥屋だったと思う。気が早い私は、2021年春のhazamaの展示会でビビッと来たウン万のワンピースを「これ着て結婚式出よう」と即決し、1年間クローゼットで寝かせていた。もしかすると、友人がウエディングドレスを決めるよりも早かったかもしれない。
(ちなみにこのワンピースについては高校同期達や新婦のご家族、新郎側のご友人など色々な人に褒めていただき、最高の気分だった。hazamaはめちゃくちゃ素敵なブランドなので是非インスタチェックしてください。私が着たのはこの赤と黒のワンピース。質感も最高だし腕がばっくり空いていて超かっこいい)
そして彼女から「ぜひスピーチを」という話をもらったのも、かなり早い段階だったと思う。
伝えたいことは沢山ある。話したいエピソードも山ほどある。5分という限られた時間で、友人の佳き日を祝いに訪れた沢山の大事な人たちの前で、私は何が言えるのか。
三ヶ月くらいは色々な本を読んだりしながらぼんやりと「伝える」ということについて考えた。
1番参考になったのはやはり(?)原田マハの『本日はお日柄もよく』だった。
普通のOLだった主人公が凄腕スピーチライターとの出会いをきっかけに言葉の持つ力に惹かれ、自らもスピーチの世界に飛び込んでいく。昔読んだ時は単純に面白い小説としか認識していなかったが、自分もスピーチをするのだ、と思いながら読むとスピーチの教科書のようで、非常に勉強になった。今回の再読により、受験生の参考書のような見た目になってしまった文庫がこちら
あとは梅田悟司『「言葉にできる」は武器になる』もよかった。直接スピーチの参考になったかと言われるとそうではないが、「伝える」「言葉にする」とは、といった基本的な部分に対するヒントを得られたように思う。
実際に原稿を組み立て始めたのは1ヶ月前、一度完成して他の友人に添削してもらい始めたのが2週間前くらいだった。
1人目に赤入れをお願いした官僚の友人は「国会答弁を直す気持ちで読みました」と本気で目を通してくれ、これにより繰り返しなどの所謂「忌み言葉」が消え、文字ではなく耳で聞いてわかりやすい表現を提案してもらった。原稿を書く時ってどうしても文字で考えてしまうので、耳で聞いた時のことを考慮するという指摘はとても有難かった。
新婦のことを知らない立場としてどう聞こえるかを確認してもらうため、2人目に短歌をやっている大学時代からの友人に見てもらった。この時「これは結婚式のスピーチではないね。私小説だよ」と言われ、完全に開き直ることになる。そう、旦那さんのことをそこまで詳しく知らず、ぶっちゃけ結婚をはじめとする日本のイエ制度を本気でイマイチだと思っている私は、「結婚式 スピーチ 例」で検索して出てくるようなありきたりな文章は一切含まず、5分間ずっと彼女への想いだけを書き連ねていた。流石にやりすぎかも…と思って何となく会場にいる方を想定したいくつかの言葉を交えてはいたものの、2人目の友人からの指摘を受け、「彼女はおそらくありきたりな例文だらけのスピーチなど望んでいない。私小説で良いのだ!!!」と開き直ることができた。その後余計な言葉を削ぎ落とし、急いで頭に叩き込む。
そして迎えた当日。私と彼女以外の一切を無視したスピーチが会場に受け入れられるかどうか。私が気持ちを伝えたかったのは友人本人だけだったので、正直ほとんど気にしていなかったが、冒頭で書いた通り、新郎側関係者から物凄く誉められたのは嬉しい誤算だった。
もう一つ起きた嬉しい誤算が、彼女の職場関係者からの嬉しいお言葉の数々。スピーチをしている時から「目の前の大人たち、ここが◯◯社テーブルか…!!(好きな大手出版社を入れてください)」と若干迫力に負けそうになっていたが、翌日彼女を通して何人もの方からお褒めの言葉をいただくことができた。言葉を扱うことを職としてずっとやられている方に評価していただけたのは、単純に無茶苦茶嬉しかった。
そして先日、先方でどういうやり取りがあったのか正確にはわからないが、「編集長が喋ってみたいって言ってる!」と彼女に誘われ、3人でご飯に行くことに。
ずっと好きで尊敬している友人と、その上司と、めちゃくちゃ美味しいご飯を食べながら、自分達のことや小説のこと、文学の今までとこれからについて4時間以上もお話しさせていただいた。もうこれ以上に幸せなことってないのでは。
◯◯(好きな文芸誌を入れてください)の編集長は少年のような大人で、こんなにも目がキラキラしているおじさんっているんだ、とびっくりした。ここしばらくの私の悩みであり検討テーマである「心が燃えているか」でいうと、彼は間違いなく燃えていた。(この話はじっくり考えたいので後日また書く)
詳しくは書けないが、私の好きな小説家達の出版社裏事情もたっぷり聞かせてもらい夢のようだった。凄い世界だ。文学も出版も紙の雑誌も、終わってなんかない。好きなものを生み出してくれている人たちが素敵な人たちだと分かり、本当に幸せだった。
『本日はお日柄もよく』で主人公のこと葉は友人から結婚式でのスピーチを頼まれるが、それはこと葉自身に自信をつけて欲しいという友人からの願いでもあった。
私に頼んでくれた裏にも、もしかしたらそんな意図があったりなかったりするかもしれない。「大好きな友人に人生の大事なタイミングで言葉を添えることを求められる」というのは、正直それだけで自己肯定感が爆上がりした。マジで嬉しかった。本当にやらせてくれてありがとう。
私の口から出た言葉は、今回私のことを少し遠くまで連れて行ってくれた。言葉の持つ力って、すごいかもしれない。
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