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やっぱりちょっと、2度目の春が来る
ひらひらと虚ろうトンネルの明かりを見ながら、オノマトペを考えていた。
きらきら
てりてり
てろてろ
ちらちら
ピカピカ
ひらひら
ひらひら
しーん
どれだけ考えてみても、目の前の光を光以上の物として受け取ることはできなくて、自分の限界を思い知る。
える、しっているか。文字に起こされるオノマトペでカタカナの物は実際にそう聞こえるもので、ひらがなの物は概念からやってきたものである。
自動ドア「ウィーン」
本「パラパラ」
下駄「カラカラ」
雪「しんしん」
夏「じめじめ」
雨「しとしと」
ね
だから私の左側から入るこの光は全て、ひらひら
光は物を言わないから、ひらひら
「でも電気や雷鳴って『ピカ!』て書きませんか?」
......まぁそういうことも、あります。
こういう中途半端な知識と、中途半端な感性と一緒に、なんにも納得できないまま二度目の春を迎える。一度目の納得できない春は、ぼんやりとしたまま通り過ぎた。「あれ、私って、実際なにも出来ることなくない?」その疑問と仲良く手を繋いで、一緒に生活をして、一年が過ぎて、三寒四温の三寒がそろそろ終わって、四温がやってくる。気がつけば、二度目の、未完成な春が来る。
完成してしまったらその時きっと、私は止まってしまうから。だから未完成なのは悪いことじゃない、けど。自身の思い描く姿と実際の技量がなにも釣り合ってないままの、二回目の春は、やっぱりちょっとだけしんどい。
頭の中に流れるままのリズムで句読点をつけるけど、やっぱりちょっとだけ読みづらくて書き直す。どうして私の頭の中は、いつも整理されていない。
さあ、今年はそんな頭と、去年から引き続いた疑問と共に、三人で冬を越す。
来年の春を迎える頃にこの二人がいなかったら、ちょっとだけ嬉しいけど、多分その時にはまた新しい仲間がいるんだろうな。それはもう分かる
そうやって悩みをすげ替えてすげ替えて、やっぱりちょっと憂鬱な、何度目かの春が来る。
とりあえず今は目先の春を、この豆がら茶色の仲間たちと一緒にゴロゴロと転がっていく。
願わくば、各々の分岐点で、綺麗に別れられますように。