コロナ下の企業経営、過去を振り返って②

つづき

サブスクリプション。1998年、会社は大きなビジネスモデルの転換期を迎えた。MS-DOSのシステムからWindowsに切り替えるタイミングで、売り方を変えたのだ。ソフトを買い取ってもらってたビジネスをやめて、ソフトを月額課金で使ってもらうレンタル制に切り替えた。いまでいうサブスクリプションだ。営業マンは慌てふためいた。一本100万円近くの商品を売ってたからだ。私はソフトの使用量を月額5000円とした。営業マンは何本売っても今までのように売り上げを上げることができなくなったのだ。月に1-2本売ればノルマを達成できてた。「社長、これから何本売ればいいんですか?」私「月30本売ってこい。」結局、30本も売れることはなかったが、安くなったことに対してそこそこ売れた。売り上げはかなり減ったが、消費税増税の大赤字で前年大きなリストラ、経費削減ができてたのでギリギリどうにかなった。今となっては綱渡りのような経営であったが、私には月額課金制度は勝算があった。それは15年くらいしてadobeがイラストレーター等でやり始めてくれたのでみんながサブスクを使うようになった。今でも私は元祖サブスクだと思ってる。ただ2020年コロナ下、サブスクはもう終わりだとも思ってるが。これはまた後日詳しく書いて説明しようと思ってる。

選択と集中。2000年になって、販売してたシステムはMS-DOSからwindows98に切替が終わり順調に動き始めていた。私の会社のシステムのシェアは同業者の中では、まだまだ下から数えられる順序だった。同じようなシステムを大手のCASIOやSHARP、NEC、富士通、東芝などの関連会社が作り、うちの会社のシェアはまだまだ小さかった。しかし私の会社のように、すべてのお客様をWindowsに切り替えた会社はなかった。私の会社にはMS-DOSの旧システムと、Windowsの新システムの両方を開発、サポートしていく余力はなかった。しかしながらWindowsに一本化することで他の大手メーカーに比べ余力が出てきた。数年もたつと大手メーカーの撤退が目立つようになった。いつのまにか私の会社のシステムがその業界の大手システムとなった。

転換期。うちの会社のシステムはNECのPC98で動いてた。私が会社を作ったころ、世の中にNEC98、IBM5550、富士通FV7、富士通9450Ⅱ、シャープMZ、SODRなどが動いてた。知ってる人は、なんて懐かしいんだ、と思われるかもしれない。でも30数年たって、知ってる人が少なくなった。私は会社を作ってどのメーカーを選ぼうかと思ったとき、NECを選んだ。私がPC88、PC98シリーズになじんでいたこともあるが、NECのシェアの高さに賛同したからだった。2000年を超えたころ、NEC、PC98の背景が怪しくなった。IBMがDOS-Vという機種を出してきて、そちらのほうがシェアが高くなってきた。Windowsが出てきたことも災いした。WindowsはDOS-V機が標準だったが、NEC98は無理やりWindowsに対応した様子だった。EPSONもNEC98互換機というものを作っていたが、途中からDOS-V機に乗り換えた。私もNEC98は好きではあったが、ソフトがWindwsのためNECではなかなか動作が怪しくなってきたためとうとうDOS-V機に乗り換えた。これもMS-DOSでシステムを作ってた大手メーカーに印籠を渡すこととなった。転換期にうまく乗り換えられた瞬間だった。

クラウド。2000年その当時は事務所にPCを立ち上げ本部サーバーと言ってた。事務所にサーバーを置くということは、拠点が各地にある場合、各拠点にサーバーを設置し、各拠点のデータを束ねることができないってことだった。そのため私の会社はインターネット回線を使って当時2002年にASP(アプリケーションプロバイダー)というオンプレサーバーを岡山の大手教育会社のサーバールームに立ち上げた。今でいうクラウドだ。この呼び名ASPは気に入らなかった。今のクラウドのほうがシンプルでかっこいい。ASPサーバーを立ち上げることにより、作業は激変した。経営、グループの異なる会社の売り上げデータ等がASPの中に同居し一か所に集まるのだ。メンテナンスは各拠点に訪問しなくていい、一か所だけメンテナンスすればいいのだ。2002年当時、まだ同業者でクラウドもどきを使った業者はなかったので、画期的でよく売れた。その時のお客様は今でも私の会社のクラウドを使ってくれている。

また、長くなったので後日続きを、

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