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トリックだらけの言語学

この前の哲学ワークショップの時に大学で言語学を専攻した経験のある男性が参加してくださっていました。

私の講義も言語学にチラッと触れる内容でしたので、その方からのフォロー解説をいただいたのですが…。

とにかく。

言葉・言語というのは非常に厄介なものなのです。

ダーウィンの進化論で人類がおよそいつ誕生したかはそれなりにわかったみたいなのですが、言葉・言語がいつ生まれたか。これについてはさっぱりわからない、手がかりがないみたいなのです。

言語の起源について研究を進めると、たくさんの問題がそこから出てくるらしくて、中には民族の差別を助長することにもなるなんて言われたこともあったのだとか。

フランスではなんと「今後、言語の起源について研究するのはやめよう」という紳士協定みたいなものが学会で結ばれたというのですから、これは本当に相当なものなのです。

しかも言語学というジャンルの代表選手であるソシュールという学者は、本を書いてない。本を書かずに講演をいくつかやって、若くして亡くなってしまった。その講演は言語について極めて大事な内容が指摘されたものだったけどソシュールの理論に確かなものもほとんど残ってない。

言語学というのは、一歩踏み入ると迷宮に入ったかのようなトリックだらけの世界なのです。

しかし、これが本当に面白い。

この前の土曜日は「皿」と「板」の話が出ました。

どこまでが皿で、どこまでが板なのか。

形が反ってたら皿?
まっすぐなら板?

でもお刺身や寿司を板に乗せて出すこともあるし。

反ってて皿かと思ってたら、それはそういう板だったということもある。

つまり。

「皿」とか「板」とかいうものがあらかじめ存在しているわけではなくて、それは「皿」という言葉があり、「板」という言葉があるだけなのだ。

これが言語学の考え方なのです。

こんな訳の分からない理論の沼に引っ張り込まれたら大変なわけですが、レヴィ・ストロースなどはこの壁を軽々と超えて思想界に登場したわけなのです。

ソシュールの言語学、ヤコブソンの言語学などについてもまた時間を作って見てみたいと思います。話してるといよいよ頭がウニるのですがそこが面白い。(笑)

ちなみに霊学の世界では、言葉を持った魂だけが輪廻すると言われているようです。なぜなら言葉がないと次世代も前世も天国も無いから。言葉があって初めて、あの山の向こう側とか、死後のこととか…

目に見えないところが初めて姿を現すのですから。

はじめに言葉ありき、なのです。

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