学生気分の終わり=教師気分の始まり
俺は今さっきまで、社会人が学生気分でいてはいけない理由がよくわからなかった
別に、サボりたいとか責任を持ちたくないとか思うのは当然のことだし、よくあることだから
なによりも、学生気分でいたほうが多分そうじゃない気分よりも楽だから
だが俺は、この学生気分の短所について考えていなかったことに気付いた
学生気分の短所、それは他人の講釈を受ける側だという点
受けてるだけでいいという考えならばこれも長所と言えるのかもしれないが、学生時代を思い出すと基本的に『授業』というものはしんどい、だるい、キッショい
机に突っ伏して寝たくなる
んなことしてたら成績が下がる
だから彼ら彼女らは、講釈する側に回ったのだ
生徒の時代を終え、教師の時代を始めたのだ
これまでの経験や知恵を教えるというのは案外、気持ちが良い
知ってもらうという喜びがある
そんな気持ち良さと喜びは学生気分ではなかなか味わえない
教えてくれていたのかもしれない
「学生気分はやめろ」のその意味
学生気分でいるよりも教師気分でいたほうが良い
そういうことだったのかもしれない
今さっき、ふとそんな考えがよぎったんだ
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