空間現代「Tracks」を聴いて。

まず聴きながら身体を揺らしてみる。わざわざこうやって言語化しようとしてることに矛盾するけど、音楽をいかに身体聴けるかということが俺にとって最近大きな大きなテーマになってる。空間現代の音楽に俺の触手がのびた理由も身体で聴くことが少し板についてきたからだと思う。逆に言えば長らく頭で聴くことがあたり前になっていたように思う。


踊りながら文章を書く。なんてことができたらいい。書くことだって、それがスマホのキーボードでの作業だとしても身体的作業であることにかわりはない。頭で音楽を聴きすぎるとそういうことはできなくなる。考え方次第では書きながら聴くことによって身体を揺らす、つまり踊り的な行為を行うことによって音楽を聴くことに使ってしまう頭のうごきをわざと停止させられるかもしれない。


空間現代の音楽は暗くも明るくもない。そういう音楽は実はあんまり多くない。感情を揺らすために音楽が作られることは多い。むしろそっちのほうが主流。そしてそれがさもすごいことだとされる場合が多い。でも西洋音楽を起点にしている和声的な構造を持っている音楽は感情を揺らすことをしっかり研究したうえで成り立っている。ということはたとえばかんたんなコード進行を扱ったとしても構造上感情を揺らしてくる。ギターやベースなど、ルーツがそっちにある楽器を用いると勝手にそうなってしまうので、それを避けるほうがむしろむずかしい。


感情の揺れはじっとしながら聴いていても起こる。受動的でもそうなれる場合がある。スマホにかじりつきながら生活している現代人はどうしてもそっちによりがちになる。だけどそういうものだけではない。身体を揺らすこともできる。これは音楽の根源的な機能で感情を揺らす以前に存在していたと思われる。だけどこっちはある程度能動的にならないと働きはじめない機能。こういうものがこれからどんどん希有なものになってくると思う。そのことをちゃんとわかっておいたほうがいいよなと思う。

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