見出し画像

青色食堂2号店/ショートストーリー

タヌキである。
タヌキっぽい顔の人間というわけではでなく、ガチもんのタヌキ顔生物がそこにいた。顔はタヌキである。毛むくじゃらで、目の下が黒っぽくて、鼻のあたりは意外と鋭角的で、しかし全体的なフォルムは丸っこい(冬毛なのだろうか)。
首から下は信楽焼のアレみたいにでっぷりと下腹が出ており、しかし男性器が露出しているということはなく、コックコートを着用している。コックコートなので全体的に白っぽい出立ちだが、首元と額には何やらオシャレ感のある青い布を巻いている。靴は履いていない。ズボンの裾から黒っぽい獣の足が伸びている。たぶん足の裏には肉球がある。背後ではふさふさのしっぽも揺れている。
タヌキである。

「…いや、何?」

仕事帰りで、自宅への最寄駅を出たあたりである。
最近いろいろあって心身ともにボロボロで、めちゃくちゃ疲れているし腹も減っているのだが自炊をする体力はなく、とはいえコンビニ飯にももう辟易しており、かといって遅い時間帯なので近所に開いている飲食店がない。あっても入る気力がない。仕事の後は極力人間と会話をしたくないのである。疲れているから。
そうして足を引き摺りながら、とりあえずゼリー飲料とサプリとレトルト粥を買って帰るか…などとうまく働かない頭で考えていた。最近、固形物が喉を通らなくなってきたのである。しかし食わないわけにはいかないので、「今が忙しさのピークだから、この山を越えればもうちょっと人間らしい生活に戻れるはずだから」と自分に言い聞かせていたところ。

現れ出でたのがタヌキである。
コックコートを着たタヌキである。
タヌキのそばには屋台があって、その屋台の看板にはこう書いてある。
『青色食堂2号店』。

「まじで何?」

おそらく一切合切の表情が抜け落ちているであろう顔で俺はそう呟いた。
無理もないと思う。

「お客さん、何にします?」
タヌキがしゃべった。思いのほか渋い声でビビる。

「何…とは?」
「うちはカリー屋でして」
「カリー…」
「「メニューはこっちだよ!」」
「ヒッ」

いきなり後ろから高い声で話しかけられて、か細い悲鳴が出た。
振り向くとタヌキが増えていた。
こちらはコックコートではなく、純喫茶のウェイトレスのような…エプロンドレスというのだろうか、を、着用している。首元にはやはり青いスカーフ。コート着用のタヌキおやじより小柄で、おそらく少女なのだろう。そっくり同じ体格と顔のタヌキがふたりいる。いやタヌキの見分けなんてつかないから、実際そっくりなのかどうかもよくわからんのだが。

タヌキ少女ふたりはひとつのメニュー表を掲げ、鏡合わせのような動作でそれを俺に差し出した。
それは確かにカリー屋のラインナップのようだった。

「えぇっと…」

空腹ではある。
とても疲れているし、自宅で適当な流動食を飲み込んだ後、そのゴミ捨てをしなければいけないと考えただけで億劫だ。他人が作った料理をただただ貪り食い、後片付けもせず寝ちまいたい。
屋台からはなんだか食欲をそそるスパイスのいい香りが漂ってくるし。
ついさっきまで固形物なんて食べられやしないと思っていたのに、匂いを嗅ぐとちょっとその気になるのである。しかし、胃腸は弱っている。食べた後に吐くかもしれない。吐かないにしても、胃もたれはしそうだ。それを考えると本当に憂鬱だが、しかし、えも言われぬ「好い薫り」なのである。

さまざまなカリーの種類が並ぶメニュー表を矯めつ眇めつしたのち、ちらりとタヌキおやじを見遣る。
おやじは悠然とそこに佇んでいた。
妙に偉そうにしているようにも見えるし、なんだか眠そうにも見えなくもない。タヌキの表情なぞわからん。なんだそれ、どういう感情の顔なんだ。なんだおまえ。

俺の中の理性が「こんなヤベェもんに関わるな」と警笛を鳴らしている。
幻覚なのか幻聴なのか幻嗅なのか、それとも一般人を狙ったドッキリ企画なのか、何ひとつわからんがろくでもねぇ気配がビンビンする。

しかし一方で、俺の中の好奇心が「こんな面白そうなもんをスルーする阿呆が何処にいる」と喚き散らしている。
「タヌキに化かされる」なんて、この機会を逃せばたぶん一生経験できない。
だってタヌキである。比喩でないまじもんのタヌキおやじである。タヌキおやじの屋台カリーである。スルーしちまうにはちょっと面白すぎる。

「………」
3秒ほど沈思黙考したのち、俺は理性を手放した。
「梅プルーンキーマカリーで」

「「ハァイ、梅プルーン入りましたァ」」
背後のタヌキ少女ふたりがステレオのように復唱した。
「「辛さレベルはいかがいたしますか?」」

「辛さレベル…?」
メニュー表をよく見ると、なるほど辛みに段階があると書かれていた。

・辛味なし  ・控えめ  ・ふつう
・中辛  ・辛口  ・激辛  ・世知辛

「うちの店の"ふつう"はあんまり辛くないので、フツーに辛いカリーが欲しいなら"中辛"がおすすめです!」
「へぇ」
辛いもの好きの「辛くない」ほど信用ならねぇもんもこの世にそうあるまい、と俺は思っている。
「"控えめ"で」
「ハァイ。お飲み物はどうされますか?」
「あー…水でいいです」
「ライスの量も調節できますがどうします?こっちもちょっと控えめにしておきますか?」
「あー……そうですね、量も控えめでお願いします」
「「かしこまり!」」

俺はもともと辛い食べ物に耐性がない。今は胃腸が弱っているからなおさらである。ここは無難に生きたい。あちらから"控えめ"を提案してくれたのは、俺が見るからにお疲れ様であったからか、辛いものが不得手であると察されたのか。ありがたくも少し気恥ずかしい。
それはそれとして、「"世知辛"って何??」とはめちゃくちゃ思ったが、そこは理性が勝って何も訊けなかった。気になる。とても気になるが。

「ホーゥ、ホーゥ、ホーゥ…」

タヌキおやじがサンタクロースみてぇな鳴き声を発した。
無駄に渋くて良い声なので、何故だか妙に癪である。
おやじは黒い前足で器用にお玉を操ると、手際良く盛り付けを始めた。

好い薫りである。
外食など、いつぶりだろう。
俺はタヌキ少女たちに誘導されて、屋台のそばの小さなテーブル席へ座った。あたりは闇に包まれ、すっかり肌寒い。昼の日差しは真夏のように強いのに、太陽が隠れた途端に秋なのか冬の始まりなのかわからなくなる。コオロギだかスズムシだかよくわからんが虫の声も聴こえてくるので、まぁたぶん秋なのだろう。
屋台にぶら下がっている星型ランプの黄色い灯りが、ささやかな温かみを演出している、ような気がした。

「お待たせいたしました」

ほどなく、水の入ったコップとともにカリー皿が提供された。
細かな装飾の施された銀色に輝く皿の上には、黄色いサフランライス。
控えめに盛り付けられたらしいその量は今の俺には丁度良く、不思議な可愛らしささえ感じる。ライスの上には馨しいキーマカリーがかかっており、さらにその上には黒い宝石のようなプルーンと鮮やかな紅梅が交互に並べられて、ホールケーキのようにも見えた。
美しい。そして、大変に食欲をそそる薫り。
それはいい、いいのだが。

「青っ!?」

そのキーマカリーは何故か鮮やかな青色をしていた。
瑠璃色とでもいうのだろうか、深く鮮やかな青である。とても綺麗だ。しかしこれはカリーである。そのはずだ。
何故なのか。

「看板に書いてあるでしょう、『青色食堂2号店』って」
「書いてあるけども!!」

だからといって疑問は消えない。

「え、何…?何由来の青なんですかこれは?」
「植物由来の天然色素ですね。今どきそう驚くようなものでもないでしょう。Amazonでも楽天でも青いレトルトカレーとか売ってますよ」
「売ってるの!?」
「ピンクのカレーだってあるよ」
「マジで!?」

思わず手元のスマホで調べてみたら、マジだった。

「いや、まぁ、そうね…こういう色の映えスイーツとか、あるよね…見たことある、うん…」
実際に食べたことはないし完全に不意打ちだったので、えらく動揺してしまったが。

「まぁまぁ、せっかく注文したのだからお食べなさいな。美味しいですよ」

タヌキおやじが鷹揚に微笑んだ。
タヌキ顔(ガチ)なのでちょっとわかりにくいが、たぶん微笑んでいる。
得体が知れないったらないが、しかし薫りはたしかに美味しそうなのである。

俺は5秒ほど押し黙り、ふたたび理性を手放した。




「…うま」



美味しかった。
辛さは控えめとのことだが、俺には本当に丁度好い塩梅であった。ちゃんと辛いが、優しい。疲れた時には梅干しが効くというが、梅肉の酸味とカリーの辛味がほどよく溶け合い爽やかである。梅の上には薄緑色のワサビも少量乗っていて、それがまたいいアクセントになっている。
プルーンもまたカリーやサフランライスによく合うのだ。梅とプルーンが交互に並んでいるので適度に味変ができて、飽きもしない。
深い青と黄色と紅と薄緑と青みがかった黒と…で、食物にあるまじきカラフルさだが、その配色は美しくもある。脳味噌が混乱した。しかし美味い。

「こちら、サラダと」
「フルーツヨーグルトでございまァす」

タヌキ少女たちが左右から小鉢を追加してくれた。
サラダはサニーレタスと赤キャベツと、何だろう、カリー屋でよく見かける茶色くてパリパリしたスナックが乗っている。それに白いシーザードレッシングがかけられていて、口の中がサッパリする。
ヨーグルトもまたほどよい甘味と酸味が好ましい。パイナップルと、あと何だろう、よくわからないが美味しい果物が小さく刻んで入れてあった。

今の俺には、全てが優しかった。

やることがなくなって暇になったのか、タヌキおやじは黙々と食べ進める俺を気にする様子もなく、ゆるりと見慣れぬ楽器のようなものを持ち出した。
それはバンジョーのようでもありアコーディオンのようでもあり手回しオルゴールのようでもあったが、おそらくそのどれでもない。見たことのない楽器(たぶん)である。
おやじは一抱えほどもある名状し難いそれを、革ベルトでギターのように肩から下げた。そして座った状態で膝の上へ置き、胴体の横にあるハンドルをぐるぐる回し始めた。
そうすると、やはりそれは楽器であったらしい。
知識のない俺には言い表せないが、その楽器からはきっとそういう音が出るだろうと腑に落ちる、どこか懐かしい音が奏でられた。

するとタヌキ少女たちも音楽に合わせ踊りだし、歌い出した。
もう随分遅い時間なのに大丈夫かな、とチラリと思ったが、それはとても心地の好いメロディだった。異国の牧歌のようにも、自国の民謡のようにも聞こえたが、知識のない俺にはやはり何もわからない。
なんだかよくわからんけどなんかいいな、と思うだけだ。

やがてタヌキ少女のひとりが踊るのをやめて、ふらりと俺の隣に座った。
少しギョッとしたが、相手はどこ吹く風である。特に接客トークをするつもりもないらしく、のんびり伸びをしたりしてくつろいでいた。
そんな彼女を横目で伺っていると、そのしっぽがタヌキおやじとは違うことに気が付いた。
彼女のしっぽはふさふさしているが闇夜に仄明るく見える黄金色で、先端だけ白く、まるで狐のそれであった。
思わず踊り続けているもうひとりの少女を確認する。
あちらはおやじと同じで、黒っぽい茶色である。

「何?」

横目でチラチラ観察されるのが鬱陶しかったのか、彼女はまっすぐこちらへ訊いてきた。

「あ、いや、その…」
俺は狼狽えてしどろもどろになる。
「あー…2号店ってことは、どっかに1号店もあるんです?」

どうでもいいといえばどうでもいいが、気になっていたことを訊いてみた。
彼女は「パパの故郷にあるらしいよ」と返した。
「ぼくは行ったことがないけれど」

ぼく…、と胸の内で復唱して、黙った。
俺はこの子を、なんとなく「タヌキの少女」なのだと思っていたが、実際のところは何ひとつわからない。タヌキかもしれないしキツネかもしれないし、あるいは化け猫か全く別の何かかもしれないし、女なのか男なのかどちらでもないのか、大人なのか子供なのかもわからない。コックコートを着た彼(?)とは親子なのか、そういう意味ではないのか。何がどれだと言われても納得できそうな気がしたし、とても気になるようで、至極どうでも良いことであるような気もした。

「…なんでタヌキなんです?」

訊かないほうがいいような気がしたが、訊いてしまった。口に出した直後にひどく後悔する。どうしよう。

「なんでと言われてもなぁ」
かったるそうに、あるいはどうでも良さげに返された。
いやまぁ、そうっすよね。そうなんでしょうけども…
「お客さんは見たとこヒトっぽく見えますが、ヒトなんです?」
「ええと…はい、たぶん…」
あらためて訊かれると自信がなくなるのは何故だろう。
「なんでヒトなんです?」
なんでと言われても困る。
「ね」
「…………いやもうほんとそうっすね…すいません、失礼なこと言って」
「まぁわりとよく訊かれるんで、いちいち気にしやしませんけどね」
「そっすか…」

ほんとうに気にしていないのかどうかも、俺にはわからない。
言葉にし難い罪悪感のようなものを消したくて、俺はまた余計かも知れないことを口走ってしまった。

「あの、その、しっぽ、いいっすね。サフランライスみたいで」
「は?」
「いや、黄色いのが…綺麗だなって…」

相手は虚を突かれたのか少し黙ってから、ニヤリと笑って言った。

「あんがとよ。おれも気に入ってンだ」

そのタヌキ顔(比喩ではない)のニヤリ笑いが妙に婀娜っぽく感じられて、俺はドキリとした。タヌキにドキリとさせられるなんて生まれて初めてである。たぶんこの先二度とないであろう。



「1,150円になりまァす」
「クレカ使えますか?」
「すいませェん、うち現金のみでして」
「あ、はい…」

食べ終わって会計となり、少し慌てる。現金持ってたっけ。…よかった、あった。
千円札を2枚渡して、五百円玉1枚と百円玉3枚と五十円玉1枚を受け取る。財布が少しだけ重くなる。

完食できた。よかった。
久しぶりにあたたかな飯で胃を満たした。

「「「ありがとうございました!」」」

紙幣と小銭を収めた財布を閉じて顔を上げると、そこにはもう何も無かった。


「………」

屋台もなければ、タヌキもいない。もちろんキツネもいやしなかった。
ただ、コオロギだかスズムシだかわからない虫が鳴いているだけである。

俺はもう一度財布を開いて、紙幣や小銭が葉っぱになっていたりはしないかと確認した。そんなことはない。見慣れた人間社会の通貨である。
腹に手を遣る。たしかに満腹感があった。しかし、時間が経てばこれも消えて無くなってしまうだろう。
ついさっき、ほんの少し減って増えた財布の重みも、今となってはそれがついさっきの変化だったのか、もっとずっと前に起こった変化なのか、それとも最初から何も変わっていなかったのかさえ、確証が持てない。クレジットカードなら明細が確認できるのにな、なんて益体も無いことを考えた。

冬の初めかと勘違いしそうな秋の入り口。
肌寒さにふと上を見上げると、ひらりと何かが舞い降りた。
黒いアスファルトに落ちたそれを拾い上げると、イチョウの葉であった。

あらためて暗闇を見渡すと、駅から自宅までの道程はイチョウ並木である。知っていたはずなのに、認識していなかった。
まだ色付いてはいない。聳え立つ木々はほとんどが緑色に見える。
しかし今しがた拾い上げたそれは、黄色と緑のグラデーションであった。
立ち並ぶイチョウの木々はどれも同じなようでいて、よぅく見比べれば色合いが少しずつ違う。もちろん一本の木に生えている葉っぱの一枚一枚も全て違う色である。おそらく日当たりの関係もあり、黄葉するタイミングに個体差が出るのだ。俺の手の中にあるこいつがどの木から剥がれ落ちたものかは知る由もないが。

手慰みに、その葉の細い部分を摘んでくるくると回してみる。

美味い飯だと思って食ってたものが実は馬糞だった…なんてオチは、まさかねぇだろうな、まさかな。いやねェさ、どうせ夢か幻かもわからねぇんだから、俺の信じたいものだけを信じりゃいいさ。

俺はその葉をなんとなく財布へ仕舞い込み、早歩きで家路へ着いた。
体は疲れているが、腹ごなしに丁度好いことだろう。




このお話は、最近訪れた美味しいカリー屋さんと、過去に食べた青いレトルトカレーやら何やらからインスピレーションを得た創作です。
現実でタヌキみたいな店主にお会いしたことはまだありません。


サポートしていただいた売り上げはイラストレーターとしての活動資金や、ちょっとおいしいごはんを食べたり映画を見たり、何かしら創作活動の糧とさせていただきます。いつも本当にありがとうございます!!