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何度目ましてかわからん自己紹介してみる


何も書けないまま周年バッジだけがベテランになっていく

新し物好きの性というか、Facebookも旧TwitterもInstagramも日本語版がまだないくらいの時に飛びついてたクチです。
noteもできてすぐアカウント作成。
一旦潰したものの、結局その後またこのアカウントを作りすでに7周年のバッジ取得者。
これまでにも唐突にやる気を出して書いてみたり、数本記事書いてうーん違う気がするって消したりを繰り返して、残ったのはカラのページだけ。
名前も書こうとする内容が変わるたびにどんどん変えたりしてたものだから……その度はじめましてを繰り返して、一体今、何度目ましてなのやら。

そんな自分、生まれて半世紀経とうとしてて、あれこないだ四半世紀生きちゃったねなんて言ってたのに。

四半世紀から半世紀まで一瞬。怖い。

十年前くらいから本当にいつ死んでもおかしくはないと思ってはいる。
自分に残された時間でできることは多くない。
体も老いるし、脳も老いる。
いい加減、今までアウトプットしようと思っててずっとできてなかったことを、今回こそ! 本気で! ちゃんと綴っていくタイミングなのでは?
……と何十度目かの決心をしたわけです。


何を綴りたいのか

なんでこんなアウトプットしようとしてもできなかったのかと言えば、したい内容が面倒臭くてクソ重いから。

見本みたいな毒親からの精神虐待育ち。
不登校を乗り越え大学でわずかに青春を謳歌するも就職氷河期の厳しさに倒れ、時代を先取るヒキニート生活
どん底を舐め尽くしながらも独学でスキルを積んで企画制作会社に拾われる。
二十代後半でやっと人並みに人生楽しめるようになり始めたと思った矢先に、線維筋痛症発症
ほぼ寝たきりから、本当に自分に合う治療法を探す寛解までの長い道のり
母が発狂レベルの更年期と双極性障害を経て認知症発症、毒親さらに進化。
ストレスから線維筋痛症再び悪化
父も同時期からボケ始め、しかしボケてなどいないと言い張る認知症初期症状×2からの口撃・攻撃(物理)etc。ド修羅場五年
母の認知症が認定され、ケアマネに繋げることができてほっとした途端、
己が末期がんに。余命数ヶ月状態。
……からの、医者も驚く完全復活劇〜!! 
と思いきや医療過誤で障害が残り、ついでに手足のあちこちに不具合が見つかり杖常用の生活へ。
そんな状況で、今度は介護地獄が待っていて……!?

……みたいな内容なんですが。
ラノベのあらすじみたいに書けんかなと思ったけど、改めて文字にするととんでもなくひどい人生である。笑
多分わたし転生したら無双無敵の勇者になれる。…笑えん。

人生に起こるすべてはネタだと思ってる。
だから人に話す時は完全に笑い話のつもりなんだけど、人から言わせるとまあまあなホラーらしく(特に親のくだり)……口で言うのでもそんな感じなら、文章となるとじゃあもっと難しいなと。

ほとんどのことは乗り越えたものとは言え、自分が当事者である以上これを客観的に綴るのは(少なくとも親が生きてる限り)無理だろうな〜とあきらめていたのもあった。

ただ今年に入って色々と状況が変わってきて、自分も少しずつ開放されて俯瞰して整理できるようになって……きたかもしれない、と思い。
クソ重い体験談を羽にように軽くはできなくても、ゴムボールくらいの弾力性でもって、ぶつけても痛がられない程度にはできるかなあと、そんな期待を己に課してみたところです。

どうぞよろしく。


萌えと笑いは命を救う

実体験で身に染みてる真理がこれ。
追々書きたい話のひとつでもあり、わたしの座右の銘とも言える。

みんな心の底から笑おう。
推しを愛でて、転げ回るくらい萌え悶えよう。
大体の痛みはこれでまあまあ退けられる。いやマジで。

病気のデパートと周りに言われるくらい色々罹患してきたプロ患者(プロ患者とは)のわたしは、まだ線維筋痛症が世間で認知されておらず無知な医者からドクハラ受けたり匙投げられた末、

「西洋医学って限界あるんだな」
「医者の見解だけが真実なわけではあるまい」

と悟り、自分の体に相談することを決めた
東洋医学にもお世話になり、尚且つメンタルを見つめ直すセラピーなどを受け、とにかくされるがまま・言われるがままでなく、思考する患者であろうと努力した。
そうして己も試行錯誤を続けた挙句にたどり着いたひとつの真理が、「萌えと笑いは命を救う」だった。
明確に言える。
どんな鎮痛剤よりも全身疼痛に、一番やさしく・ちゃんと効く。
なぜそう思うに至ったのかは……後日書こうと思う。


今の仕事、今取り組んでいること

介護地獄が落ち着いてきたタイミングでめちゃくちゃ運良く出会えた会社があり、最近、ほぼ完全在宅で働き始めた。

そこの代表とお話しする中で、

あなたのような(世間一般的に見ればどう考えても就労が難しいと思われる)人が、どうそれを乗り越えてきたか。どう社会と、主体性と積極性をもって関われるか。そして、どう会社とすり合わせていけばお互いにとって働きやすくできるのか。
それは同じような人にとっても、今後、地域の人材不足を解消するために企業さん側にとっても、ものすごく参考になること。
ぜひ自分しかできないことだと思って働きやすさを追求していって欲しい。
そしてそれを、何かの形で発信もしていって欲しい。

———というようなことを言われ、いい会社に入ったな〜! と思った。

まさにこれは、自分が若い頃から求めていたこと。
でも当時の地方の…つまり田舎の特に小企業なんて何の先見性も柔軟性もないのがほとんど。
二十代、在宅で仕事したいと言ったら、どんな会社にも鼻で笑われた。
三十代、線維筋痛症でやむなく許可してもらえる場合もあったが、「病気で在宅だから」と買い叩かれた。雀の涙のバイト代。
四十代、コロナ禍によりようやくリモートワークが一般的になった。
わたしにとってはその世間の認識の変化は、福音とも言えた。

そんな経緯があったので、代表の言葉に俄然モチベは上がった。
田舎で、特に同世代で同じように病気や障害や家庭環境ゆえに働くことをあきらめている人たちはまだいる。
その人たちにとって何かしらヒントを提供できる存在になろう。
それが今、わたしが取り組んでいることのひとつだ。

もちろん、会社の理念に共感したからこそ入社を希望したし、仕事自体も面白く楽しんでやらせてもらっている。ありがたいことです。


どんなnoteを書きたいか

上記の通り、

  • 萌えと笑いが命を救う 〜推しがいれば大体幸せ〜

  • 根拠もソースも俺一人! 〜効いたor効かなかった治療・民間療法〜

  • 介護と癌と毒親と 〜マシな地獄を選んでよ〜

——— みたいな与太話をお送りしていきたい。

なお大事なことは漫画とアニメに教わったクチなので、時々オタクな話題を引っ張ってくることもあると思う。
そういう時はオタクの早口で喋ってる感が出てるかもしれないし、まとまりがないかもしれない(オタクの秘技・語彙喪失)
そもそも文章を書くのだって下手の横好きみたいなものなので、伝わるように書けるかも未知数。

ただ。
これまで洗練された感じで書かなきゃとか構成をちゃんと考えなきゃとか思い込んでたから、全然続かなかったという自覚がある。
なのでもうカッコつけず気負いすぎず、思いついたところから……書けそうなところから書いていこうと思う。

もし、分かりづらいとかここもう少しちゃんと説明してほしい
というようなことがあれば、コメントなどいただければありがたいです。
書けることは書く。書けないこともあるかも知れんが。

あと、基本お育ちが悪いのでお言葉遣いがよろしくないことがあると思いますがご容赦を。メンタルは4歳児です。


余談

自己紹介テンプレの中にあった質問、ついでに答えてみた。

・ここ数年の生活での変化を教えてください。
 →短期間に引越し三回。転職。PCが次々壊れる。
・何度も見てしまう映画は?
 →以前は『リトル・ダンサー』 『ギルバート・グレイプ』
  最近は実写『キングダム』シリーズ
  (最新作もよかった。王騎将軍ーッッ…!)
・一番影響を受けた本・マンガ・アニメは?
 →そのうちあちこちで書くと思う
・おすすめの旅行先はどこですか?
 →Devils Tower、Monument Valley
・あなたの黒歴史をひとつだけ教えてください。
 →表現はアウトプットした瞬間からすべて黒歴史になるものだと思う


それではそのうち、本編で。
お読みいただきありがとうございました。

#自己紹介 #がん闘病 #介護地獄 #線維筋痛症

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