「普通」をつくるということ
普通ということの難しさ。/ツチヨシノ-note
https://note.mu/kokugono/n/nddf86abc9967
トラックバックのような何か
上の記事とは直接関係はしないかもしれないが私の「普通」観について書いていこうと思う
昔から私は普通志向で生きてきた
普通であろうとしてきたし、普通でないことに劣等感を持ち、普通でないものを笑い、「普通」を恐れた
私はこれらをほとんど無意識に行ってきたのだから、模範的日本人として褒められてもいいと思う
「普通」という言葉は恐ろしい
人によって何が普通かは違ってくるし、普通は武器にもなれば防御にもなる
しかし私の浅い人生の中にも色んな出来事が起こるもので、そのうちのいくつかは私の「普通」観を壊した
記憶に残るほど「普通」が音を立てて崩れていく出来事なんてあまり気持ちのいいものではないけれど、とにかくそんなことがたびたびあった
そして、と続けようとしたが、以上のことは次のことと因果関係があるかはわからない
私は「普通」を自らつくるようになった
忘れっぽい私も、不器用な私も、怠惰な私も、普通じゃない私も、すべて「私の普通」であると思うようになったし、そう発信していくことにした
未だ無意識の中には普通志向は残っているだろうが、私はこれからもしばらくのあいだは「普通」をつくって生きていくだろう
「普通」に抑圧され、「普通」の中に埋没し、「普通」から不安定な個人を救い出すものは、結局「私とは何か」と向き合うことなのだろう