書評【水平線 滝口悠生著】
書評【水平線 滝口悠生著】
1 この本を選んだ理由
「水平線」は私の好きな言葉である。これまで「水平線」をじっくり視
たことはない。
私と同じ小学校出身である特攻隊生き残りである浜園重義は、「水平
線」(ソロモンから沖縄特攻まで零戦・艦爆搭乗員の記録)を著している
(知覧特攻平和会館発行)。
浜園重義は高倉健主演「ホタル」のモデルでもある。
浜園は、水平線」について、
「水平線が全く分からず飛行する場合は、相当の経験と熟練された
操縦技術が必要である。離陸・水平飛行・特殊飛行もすべて水平線
が基準である。夜間飛行で漆黒の闇の中でも、ほんの少し水平線が
判明できたら楽である。これを人間の日常生活の中で例えてみると
水平線、それは道徳・常識・人間愛そして努力・工夫など人間倫理
であり、生きてゆく上での生活規範でもあると思う。これを見失っ
たときは、飛行機は墜落、人間は人間としての資格の欠落であ
る」、と。
迷うことなく、滝口悠生【水平線】を読むことにした。
2 基本となるデータ
著者 滝口悠生 タイトル 水平線 装画・題字 中山信一
発行所 株式会社新潮社
発行年月 2022年7月
3 著者紹介
1982年、東京都八丈町に生まれる。祖父母は硫黄島出身、祖父の弟は軍
属として島に残り、戦死した。生後半年で埼玉県入間市へ転入。 2005
年、早稲田大学第二文学部入学。その後3年ほどで中退し、輸入食品会社
で正社員として勤務。 2011年、「楽器」で第43回新潮新人賞小説部門受
賞。 2014年、『寝相』で第36回野間文芸新人賞候補。 2016年、「死んで
いない者」で第154回芥川龍之介賞受賞。 2022年、『水平線』で第39回織
田作之助賞受賞。 2023年、『水平線』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞 他の著作に『寝相』『高架線』『長い一日』などがある。 妻はブックデ
ザイナーの佐藤亜沙美。
4 本の内容
著者は八丈島生まれ、祖父母は硫黄島出身、祖父の弟は軍属として島に
残り、戦死した。執筆にあたり、全国硫黄島島民の会などを通じた聞き取
り調査と硫黄島に関する参考文献を駆使した。
著者が元島民の硫黄島訪問に参加したことから物語は始まる。戦争前の
徴兵検査拒否事案、父島への一時避難から伊豆への疎開、そして戦後の日
常生活が語られる。 東京と硫黄島は思いのほか遠い。要図化して距離感を
掴んだ。
私は、陸上自衛官として定年まで勤務し、沖縄に2回5年の勤務経験が
ある。硫黄島には海上自衛隊の基地があるだけで民間施設はない。陸上自
衛官の私には無縁の離島ではある。ただ、陸自職種学校で硫黄島研修を体
験できたのは大きな財産になった。
一般の人は遺骨収集か元島民訪問に同行する以外に硫黄島を歩くことは
できない。
同じ戦跡である沖縄と硫黄島とは、その土地を誰でもが歩けるのかどう
かの相違はある。また、地勢上の違いは明白であり地熱の差は大きい。
著者は、「この島での遺骨収集事業について知識はあったものの、地熱
で40度をゆうに超える地下壕に潜って土を掘るのは、想像以上に過酷な
作業だった」、と。 硫黄島は沖縄より地熱が高いことは体感できた。沖縄
の鍾乳洞やガマは広く涼しさを 感じた。
本作品は、硫黄島、父島、伊豆、沖縄などの背景、明治時代から現在ま
での時間軸、祖先に纏わる子孫や日常生活にかかわる近隣者と登場人物は
多く、複雑に絡み合っている。
読んでいて誰のことかと迷うことが多い。最初は相関図や地理的関係図
を作成したらいいと思った、が著者は繰り返し丁寧に書き進めて最後はわ
かってきた。
5 評価 今後参考になる点
人間死ぬときは簡単だ(P450)時間も空間も融通すれば、生き死にだっ
て融通する。いったん通じてしまえば過去も未来も、生きるも死ぬも、人
間は案外一緒くたにできちゃうんだ。死んだ人からも電話も来るしメール
も届く、海を見ていればあの世にもこの世にも漂う。過去にも未来にも行
ける。人間死ぬときは簡単だ。簡単な死なんてないなんてのは、死ななか
った奴が死んだ奴をあとから思い出すときに思うことで、死ぬときは簡単
に死ぬ。簡単さの極まったところにあるのが死だ。一瞬でころっと死ぬ。
一瞬前まで笑っていた奴が、次の瞬間に死んでいる。あるいは何年苦労し
た末に死んだとして、その複雑さは生の複雑さだ。死は絶対に簡単だ。人
間は簡単に死ぬことなんかできない。だから危ない。簡単さを見くびっち
やいけない。
著者の自衛官だった同級生(秋山さん)のこと
自衛隊というのは入隊してからも本人の意志とやる気さえあればいろん
な勉強ができ、取得できる資格なども多岐にわたる。自衛隊というのは調
べれば調べるほど待遇が篤いのだ。重厚なまでの安定が自衛官になろうと
いう大きな理由のひとつだった。
信頼は金にならない
この島(硫黄島)では多分な金があっても仕方なく、なればこそ信頼と
か愛着の意味が強すぎる。
著者は小説「長い一日」のインタビュー記事で、「愛着は感じるもの」
として、不在のものへの想像力。既にいないひとや、過ぎた時間や場所、
あるいはいまは離れていてそばにいないひとや場所に思いを向けるときに
働く感情や、その不在や隔たりを確認する働きが、僕が愛着と書いている
ものだと思います、と。
小説は「ない」ものとか「ない」事柄を表現できるものだと思うので、
小説を書くときに「愛着」という感情はとても重要だと思っています。
また、日記について、書くうちになにかを思い出し、それを書くとまた
別のことを思い出す。今日という一日には、今日だけでなくそうやってい
ろんな一日の出来事が混ざっていて、書けば書くほど、思い出せば思い出
すほど一日についての記述は長くなるとも。
6 批判
クリント・イーストウッド監督が硫黄島の戦いを日米双方の視点から描
いた「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」にもふれられていた。
録画の2作品を観賞した。そこには軍属して戦った島民の姿はなかった。
その点から本作品は島民の戦争史そのものである。
著者は硫黄島への愛着を感じて、元島民との対話と著者本人とまわりの
人々との日常生活を日記風に書きまとめ小説『水平線』とした。
藤沢周平は【半生の記】で、「海辺に立って一望の海を眺めると、水平
線はゆるやかな弧を描く、あるかなきかのゆるやかな傾斜弧を海坂と呼ぶ
と聞いた記憶がある。うつくしい言葉である」、と。
浜園重義が視た【水平線】に出会う機会を求めて「特攻」について考察
したい。
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