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ぶらっと散策 菊池飛行場ミュージアム

神無月となっても暑い日が続いている。ぶらりと小旅と思ってもこの暑さ、とりあえず外出する。行先は一度訪れたいとしていた「菊池飛行場ミュージアム」に、車では自宅から30分、よくよく考えわずかな勇気で、あるいてバス・電車に乗り継いでいくことに、正午過ぎに自宅をでた。マスクは忘れずに、メモノート、一冊の本とお茶をリックにしまいこんで。

あるいてバス停「新地団地」へ、なんとバスは1時間に1本で30分の待ち時間である。
日差しが強い、近くの木陰へ退避する。一冊の本を取りだす。先日ご逝去の佐野眞一「私の体験的のノンフィクション術」だ。
佐野さんが中学生のとき読んだ宮本常一「忘れれた日本人」、わたしは結構遅く出会った「忘れれた日本人」、やはり「土佐源氏」はよかった。
宮本常一的調査にはいい本で、佐野さんの「私の体験的のノンフィクション術」第1章「あるく調査術、みる記録法」を読む、定刻にバスが来る。待ち時間をうまく使えていい気分なり。

次は電車にのるため「堀川」駅でバスをおり、電車は30分間間隔、20分持つ、平日ではあるが客人はいる、ほとんどの客人が先に来た熊本方面の電車に乗り、ホームはわたし一人となって菊池方面の電車を待ち乗る。思いのほか客人はいる。多くが仕事人で野球帽をかぶった旅人は私だけか。

電車は「御代志」どまり、ここからバスで菊池方面に、またまた30分ばかりの待ち時間がある。ここでは御代志駅周辺の人々の出入りを駅のベンチで眺めて過ごす。菊池行きのバスに乗り泗水孔子公園で降り「菊池飛行場ミュージアム」をさがす、なかなか見つからず。

「菊池飛行場ミュージアム」は、こじんまりではあるが、体験者の話や貴重な資料をもとに菊池飛行場や当時のことを展示紹介した資料館である。
また、菊池飛行場の跡地には高架給水塔、木造格納庫基礎、ガソリン貯蔵庫などが今でも残っている。
館長の息子さんとの対話で、菊池飛行場は沖縄作戦の中継基地として知覧特攻基地を経由したこと、知覧特攻基地と同じように高台にありなんといっても水が豊富であったこと、また、現在は「花房飛行場の戦争遺産を未来につたえる会」が皆様の募金により運営している。行政の援助はなく運営はなかなか大変でご支援・協力が必要ある、とも。
戦争体験者が減少している今、戦争と平和を語れる資料館は必要であり遺産とするために官民の援助が重要であると思う。

久しぶりの電車、窓から実った稲を眺めながら、先日会った山都町の友人が「台風15号は風が強かったが稲は倒れていない」の言葉どおりで稲は真っすぐに、今年豊作だな。やはり電車から眺める風景はこころ和む。

「新須屋」駅で降り、いつもの散歩コースである堀川沿い歩くことした。私のカササギ公園近くで電線で鳴いているカササギを撮る。カササギ公園の巣から育ったカササギであろう、大きくなれだ。
すると、「カササギを撮っていましたね」と声かけられた。赤シャツに青パンのマラソン練習中の男、なんと88才である。こんな元気な人がいるのかね。カササギ談義をしながらカササギ公園の巣に案内した。
男は言った。今年再開される熊本マラソンは1回目から走っている、今年の応募はインターネットだけしかできないと市役所直訴も断われた嘆いている。阿蘇マラソンでも走るかと赤青の男は走り去った。

久しぶりのわたしの小さな旅は楽しかった。
佐野眞一の「私の体験的ノンフィクション術」は再読しよう。
そして、宮本常一の「あるく・みる・かく」の生活を少しでも取り入れた日常生活にしたい。


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