「令和の虎」で醜態を晒す志願者をせせら笑う人たちは、危機感を覚えた方が良い
「令和の虎」をご存じだろうか。
起業や事業の拡大などの野望を抱いた志願者が、出資者側である「虎」にプレゼンを行い、虎を納得させられたら資金提供を受けられるというYoutubeのチャンネルである。
我々視聴者は、時折りヒートアップしたりもする視聴者と虎とのやり取りをエンタメとして楽しむことができる。
……これが、我々視聴者がこのチャンネルを視聴する「表向きの」理由かもしれない。
だが、私は大多数の視聴者がこのチャンネルを見る本当の理由は、もっと別のもであると考えている。
それは
「醜態を晒す志願者姿を見て優越感を感じ、ドーパミンを放出させる」
ことである。
そして、チャンネルの運営側も恐らくこれを分かった上で視聴者に望み通りのものを提供しているのではないか。
あくまで私個人の感想として、そう思う理由を綴っていこうと思う。
令和の虎に出てくる志願者の多くが、そのビジネスプランを披露する中で醜態を晒し、虎たちから手痛い指摘を受ける。
志願者の中にはキレたり、ふて腐れたり、泣き出す者も少なくない。
そして我々視聴者はその姿を見て、コメント欄で次々に嘲笑のコメントを書き込むのだ。
そのコメントの中には、直接的な表現は避けていても、暗に志願者を発達障害者であると決めつけているようなものまである。
そうやって志願者の醜態を叩くことで相対的に自身を上の立場に置き、優越感に浸ることで放出されたドーパミンをむさぼり食らっている。
もはや志願者の披露するビジネスプランなどどうでもよくて、醜態を晒す姿を観ることが目的化してしまっている視聴者は多いのではないだろうか。
だが、そんな志願者の醜態を叩く視聴者たちでも、志願者と同じ場に立てば同様の、あるいはそれ以上の醜態を晒す者も少なくないだろう。
「コイツはひどい。俺はこんなクズとは違う」
そう思っていても、自分よりもはるかに知識も経験もある成功者を前にしてビジネスプランをプレゼンする恐怖は想像に余りある。
これを想像する力の無い者が、自身の能力を過信して志願者を嘲笑う。
まさに「目くそ鼻くそを笑う」というやつだ。
まぁこんなことを言えば、こういった反論が返ってくるかもしれない。
「いやいや、俺は起業なんて大それた野望は持たずに細々と暮らしているんだから比べるなよ! 令和の虎に出て金を出してもらおうって奴らなら、それ相応の能力と人間性を兼ねそろえているべきだろ! 叩かれるのが嫌なら家で大人しくしてろ!」
一見まっとうな反論にも見える。
だが、野望の多寡は一旦置いておいても、一人の人間として比較したら志願者を嘲笑できるほどの高い能力を持った視聴者はほとんどいないはずだ。
それに、大いなる野望を持ち、金を出資してもらおうとする者であればそれに見合った能力や人間性を有しているべきである、などという言説は、金を出す側である虎が言うならまだしも、ただの視聴者がのたまうにはあまりにお門違いではなかろうか。
ちなみに上で「目くそ鼻くそ」などというひどい物言いをしてしまったが、私は令和の虎で醜態を晒しただけでその志願者を無能だと決めつけてしまうのはあまりに視野が狭いと思う。
チャンネルの性質上、あの場では会話によるプレゼンをせざるを得ない。だが、人間にはそれぞれ得手不得手がある。
会話以外に何か極めて優れた能力を持っている可能性もあるのだ。
大谷翔平が草サッカーのペナルティーキックで空振りをしてしまったのを見て、「コイツは運動神経ゼロだ」と断定してしまうのが愚かな判断であることに異論はないだろう。
ましてや自分の素顔を含めたプレゼンの様子がYoutubeを通じて全世界に配信されるかもしれないという極限状態だ。そこでうまくプレゼンができなかったからといって無能と決めつけてしまうことが、いかに厳しいことか一考してみてもよいのではないだろうか。
さて、ここまで私が述べてきた持論「大多数の視聴者が令和の虎チャンネルを観る真の目的は、醜態を晒す志願者姿を見て優越感を感じ、ドーパミンを放出させること。そして運営側もこれを理解して望み通りのものを視聴者に提供している」ことが事実であるならば、一つ大きな疑問点がある。
それは、時おり登場する非常に優秀な志願者の存在である。
「令和の虎」を観ていると、数は少ないが非常に優秀なプレゼンをする人物が定期的に登場する。
一つ例を挙げると「リライブシャツ」の佐々木氏だ。
氏は、着るだけで身体能力を向上させるというシャツを開発し、それをもっと世の中に広めるための出資を求めて「令和の虎」に登場した。
なお、私はこのシャツを購入していないのでその効果のほどについてはここでは言及しない。
しかし、氏のプレゼンテーション能力はまぎれもなく本物だ。
リライブシャツ回の冒頭で、氏はこの商品を開発した経緯をとうとうと語った。その語り口に虎たちは魅了され、「もしかしてアナウンサーではないか」とまで口走った虎もいたほどだ。
通常「令和の虎」では、チャンネルの冒頭で志願者が一方的に長々としゃべって語りが長くなることは「悪手」とみなされている。
これまでこの失敗を犯し、虎たちから「説明が長い」「簡潔にって言ったよね」などと怒られ、のっけから状況を悪くした志願者の例は枚挙にいとまがない。
氏の語りも、その長さだけで言えば上記の虎たちから怒られてきた志願者たちのものと同じかそれ以上だった。
だが、氏の場合はその卓越したしゃべりのスキルにより、逆に語りの長さを虎たちを魅了するメリットに変えた。
まさに「長々と」しゃべる事と、「とうとうと」しゃべることの違いを体現したプレゼンだったといえよう。
さて、少し話がそれた。
つまりこのような優秀な志願者を登場させることは、志願者の失態を観に来た視聴者たちの期待を裏切ることにならないかということだ。ともすれば、優秀な志願者を観たことで視聴者に劣等感すら抱かせ、チャンネルからの離脱をも招きかねないのではないか?
しかし、私はこれも運営側の戦略の一環だと考察している。
「令和の虎」に時おり優秀な志願者を登場させる理由は「マンネリの防止」と「視聴者への言い訳の提供」だ。詳しく説明する。
いくら視聴者が志願者の失態を観に来ることが目的だったとしても、動画の内容が全てそれだけで構成されていれば、気づきたくない己の胸中に気づいてしまう。
つまり、自分は他人が失態を犯す様子を観て喜ぶためにこのチャンネルを観に来ているのだ、という事実だ。
だが、時おり優秀な志願者が動画に登場したらどうだろう。
その動画を観て彼らに賞賛のコメントを残すことで、自分に「言い訳」をすることができる。
自分は人の失態を見に来ている訳ではなく、あくまでそのプレゼン内容を精査しているのだ。その証拠に素晴らしいプレゼンをした志願者にはちゃんと賛辞を送っているだろう? と。
これで視聴者は自らの卑しい深層心理にフタをした上で、安心してチャンネルを楽しむことができる。
運営側も実によく考えたものだと思う。
恐らく「令和の虎」チャンネルには人間心理に長けたブレインが存在する。そしてチャンネルのタネがバレないようにバレないようにと、絶妙なバランスで志願者を属性分けして適切な順番で動画を配置することで視聴者の離脱を防いでいるのだ。
最後に、私は全ての視聴者がこのような目的で「令和の虎」を観ていると主張している訳ではない。
もちろん純粋に志願者のプレゼンや、虎とのやり取りを観て番組を楽しんでいる人もいるだろう。
だから、どうか怒らないでほしい。