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表現すること 1
すごく久しぶりの投稿となってしまいましたごめんなさい。お久しぶりです、そらです。
先日の10月14日、柴咲コウさんのライブに行ってきました。そこで改めて感じたことを今回はお伝えしたいなと思います。
少し私の話をしますと、私は小さい頃からずっと柴咲コウさんが好きで毎日曲を聞いていました。見た目の美しさはもちろんなのですが、何より歌声と曲の歌詞に惹き付けられました。
一番は何かと聞かれても決められないほどに好きなものは多いのですが今回は、「ANOTHER:WORLD」と「また、うまれるころには」の二つを、、、(1では、「ANOTHER:WORLD」、2では「またうまれるころには」について書きたいと思います。)
朦朧とする感覚よ 見失い 揺らぐ 未来絵 足元掬う 誘惑に 今、立ち向かう
日々の便利な生活の中で麻痺している自分の感覚にはっとした。便利さにかまけて失っているほかの大切なものたち。地球の自然。しかしそれさえも気づかず、意識することなく生きている気がした。私は今個人的に、原発の問題について考える機会に多く恵まれた。もともと平和活動に興味があり、様々な分野において活動しているが、(今度書く予定です)この曲はまさにその私の日々の疑問にリンクしているようだった。
安全神話が流れ、生活の中に溶け込んでいた、原発。その便利さの代償は多くの人々の生活と健康、そして自然の恵みだった。そこに確かに流れていたはずの人々の営みは消え、時間はあの日から止まったままだ。私たちは今この現実を知っている。にもかかわらず、再稼働に向けての動きが進んでいることに私は驚きと憤りを隠し切れなかった。
私たちは日々、一定数の犠牲によって生かされている。けれど、その犠牲を減らすことはできるのではないだろうか。目先の者、便利さなどの誘惑に惑わされるのではなく、そのことが持つ意味を、便利さの裏側にある真実を見つめようとする姿勢が必要になってくるのではないだろうか。
今、日本はそして世界は変わろうとしている。時代の変革の時が迫ってきている。その時に私は何ができるのだろうか。私は無力な一人の女子大生に過ぎない。けれど、だからといって黙って指をくわえてみていたくはない。
始まっている革命に、いざ乗り込め
この歌詞が私にさぁすすめと後押ししてくれているように聞こえた。