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そのさきへ

ラヴェルの〔ボレロ〕のフィナーレは、「はい!これでおしまい。解散!」というような後には引かないある意味清々しい雰囲気がある。

人々は手際良く自分の荷物をまとめて、「楽しかったね。」「またいつか、どこかで会えたら一緒に演奏しよう。」「じゃあ!」口々にそんなことを言い合いながら、また自分の行くべきところへ歩を進める。

時がたってもふとあの時の演奏を思い出しては胸の奥がほわんと暖かくなり、つい笑みが溢れる。あの名前も知らないあの演奏した人は今頃どうしてるかな?と思い出して、手が止まり、またいつもの日常に戻る。

そんな情景が思い浮かぶのだ。


ここのところ、ロンドン交響楽団 ワレリー・ゲルギエフ指揮で演奏された〔ボレロ〕を聴いている。きっかけはある人が、今年1年を振り返ってボレロみたいだと表現していたからだ。その人はおそらく昨年の今頃から始まったコロナウィルスに始まる世の中で起きた一連の出来事とそれに伴いそれぞれ個人にもたらされた出来事を例えていたのだと思う。そして年末に向かってクライマックスとなりフィナーレを迎えるとも。しかしこれはあくまでも例え話である。


私はこれとは違った物語が思い浮かんだ。

最初から最後までスネアドラムがリズムを刻む。はじめは微かな音。そのリズムに合わせてメロディーを奏でるものが現れる。するとそれを聴いたひとりがメロディーを奏でる。するとまたひとり、またひとり、と演奏者が増え、次は自分の番と待つものも出てくる。

先に演奏したものは、次の人に順番を変わり、自分の番を終えたものは次の演奏者の音を引き立てるようにそっと音を合わせる。

次々に演奏者が現れ、出番が終わったもの、出番を待つものは今出番を迎えたものの演奏にしっかりと耳を傾ける。出番を迎えた演奏者はここぞとばかりに朗々と音を鳴らす。耳を傾けてくれる人がいるからこそ、心地よく鳴り響かせられる音。

そして全員の演奏が出揃ったところで、皆の音が重なり合いクライマックスとなる。

そして冒頭の言葉へ。


こんな一期一会の楽団を結成したい(もちろん、比喩表現!)
2021年はこんな仕事をしようと思う。

来年の抱負。

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