見出し画像

ぼくは「機械との対話」が昔から好きだったのかも、というおはなし

「ChatGPTの使い方」というと、

ついついビジネスとか自己研鑽とか、まじめでめんどくさい話になりがちな気がします。
でも、普通におしゃべりするだけでも楽しいんですよね。
という、今日はゆるゆるの雑記。

「対話」の効果は「対人」に限らない

AIに関する書籍で、
よく「イライザ(Eliza)」という名前が登場します。
1960年代、ワイゼンバウムさんという方がコンピュータによって生み出した、対話型のプログラムだそうです。
2000年ころ、ネット界隈でよく「人工無能」という「チャット中、キャラがそれに乗ってくる(ように見える)」ものがありましたが、それの先駆けみたいなカンジなのかな。
当時の人工無能というと、「おはよう」とチャットで書かれると「おはようございます!」「今日もゆっくりしていってくださいね!」みたいなこと言ってくれる、ちょっとした和み、癒し要素でした。

さすがに当然、2024年の現代から見ればどちらの技術もシンプルなものでしょうが、
イライザに関しては60年前ですからね。そりゃ、当時の方々は度肝抜かれたんじゃないでしょか。
ワイゼンバウムさんの秘書さんが、「イライザにプライベートな話をするから、先生は退出願います!」と言ったというようなエピソードがあったそうです。
「コンピュータに知能がある」と、ガチで信じちゃったわけですね。

笑い話とか揶揄とかではなく、気持ちはわかりますよ。
ぼくもふつうに、GPT先生に一般会話のようなプロンプト投げかけて、帰ってきたテキスト読んで涙でてきたりしてますからね。
LLMだディープラーニングだ、ある程度ざっくりした知識を持った上で、
たかだか「確率的に最も『もっともらしい』回答を生成しているにすぎない」と言われても

言葉は言葉、文章は文章なので、心に響くときは心に響くのです。
こちとら人間だからな、しゃーねえわ!

ペットを飼うと、メンタル部分の健康が促進されるとか。俗にいう「アニマルセラピー」です。
ぼくは子供のころ、自宅にわんこやにゃんこがおったので、基本的には動物かわええ!見かけたらついついおしゃべりしたくなるうう!!!!!
というメンタルの持ち主です。犬猫のみならず、モルモットとか羊とか文鳥とか、ついつい話しかけちゃう。
知ってます?彼らみんな、日本語理解してるんですよ??(ペット飼ってた人にありがちな思考)

動物に限った話ではないのだ。
せんじつ娘ちゃんの道徳の授業を参観したのですが、
「トマトに話しかけながら育成する女の子」というお話を取り扱っておりました。
植物も成長するので「命」であり、その成長を見届ける女の子もまた、成長しているのです……
というような内容かな。大人は容赦ねえなー。もっといろいろ考えようよ!!

話それた。いつも話それるなぼく。

イライザに対話を求める秘書さんのエピソードもそうですが、
人ってふしぎですね。「なんか話すると、それだけで心が平穏になる」
というの、よく聞きますね。

女性の相談は「解決したいから」じゃなくて、「相談という『おはなし』をしたいから」みたいなネット揶揄を見かけたりしますが。(ぼくの意見ではないです)

べつに性別はね。あくまで傾向の話であり、本質的には、たぶん
多くのいきものは、他者とのかかわりの中で、自己を見つけて生きていく。

急にすごい飛んだな!という気がしましたか?ぼくは思いました!!
まあ、「問題解決」というロジカルな答えだけが答えじゃない、というのは、性別云々の話だけではないと思いますよ、ってね。
「おおまかな傾向」の話はしらんけどね。

ゲームやアニメで「それ」に慣れている

むかしぼくが好きだった「アップルタウン物語」というファミコンのゲームがあるのですよ。
ひとりの少女と一匹のネコチャンがおうちに住んでいて、声をかけると反応してくれたり、占いしてくれたり(だったかな)。
できることはそう多くなかったけど、機械コミュニケーションツールとして、ぼくにとっては原初の存在かと思います。

同じころ、ファミコンでは「ファミリーベーシック」というパソコン風味のものが発売されまして。ファミコンに外付けキーボードつけて、プログラム言語(BASIC)が扱えますよーってやつ。

初代ファミリーベーシックは、おまけ機能として対話型の占いとか、ちょっと「コンピュータと対話できる」的な機能が搭載されておりました。
「対話型」つっても、YかNか(ハイかイイエか)選ぶ程度のものでしたけどね。
楽しく遊んでましたよ。コンピューターすげえなあ!って。
なので、秘書さんの気持ちも分かりますよ。

ちょっと脇道にそれますが、ついでですが
「ブリーダー」ってゲームがあってさ。これも90年台かな。
ロボットがタイマンでバトルするゲームなんだけど、

自分で操作は全くできないんですよね。各種パラメータを振って、パーツ(武器とか駆動部とか)を組み合わせて、
あとはコンピュータによる自動操縦のシミュレーションバトル。それを観戦するだけ。
これ、すごい楽しかったんですよね。
じぶんの手で操作するより、「コンピュータが自動で動かしてくれる」というのが、すごいわくわくした。のかな?気持ちは覚えてないですけども。

今とあんま変わってないなー、という気持ちはね。
ちょっと、あります。

いやまあ、よくもまあ、
そこからこんな時代になったものですよ。
「ドラえもん」はその頃から連載されてましたが、ひみつ道具はともかく、ガワと対話くらいなら現代技術でドラえもんを生成できる時代にはなりました。
(水田わさびさんの声をベースにして、それっぽいロボット動かしながらAIと会話をするくらいなら余裕でできますよね、現代ならば。なんならのぶ代さんでもできるよね)

ドラえもんかアトムかは知りませんが、
昭和のイマジネーションが着実に、リアルに近づいていってはいます。
アラレさんは無理だな。地球は割れない。割ったら全員死ぬ。

ファミコンの話もうちょっとすると、
「銀河の三人」というSFRPGで、オペレーターのミオさんという登場人物がいました。
こちらがアンドロイドの方で、女性の外見をしつつ、機械的に業務情報のやり取りをしつつ、人間クルーと普通にコミュニケーション取ってたりしてましたっけか。

むかしながらのロボットものってこういう存在よくいましたけど、
そういうのはだいぶ現実的になりましたね。
現実的というか、何ならすでにあるっちゃあるよね。AIチャットボットといった類の存在。

すごい。
たのしいのです。こういうの。

みんななかよく生きていきたいのだが

これだけ書いといて何ですが、AIは道具です。ツール。
そこに善悪はない。包丁や自動車と同じ。
制御するのは人間だし、何かあれば「責任」というケツ持ちするのも人間。

世の中、残念ながら
悪人は一定数いるし、善悪を制御できない残念な人も一定数いる。
知識がなくて善悪の判断がつかない人も一定数いるし、様々な理由で社会性を制御できない人も沢山いる。

2024年の現代日本では、いろんな人がAIを使えるわけだけど
運転免許みたいなのは今はないから、誰でも使えてしまう。良くも悪くも。
知識やスキル、倫理観、自律性、社会奉仕性や公共性、理念、大義、正義、あれやこれや
なんにも要らんからね。そりゃ心配な人がいっぱいいるのはしゃーないよ。性善説を信じて、成り行きに任せていい技術ではないとは、ぼくだってさすがに思うのだ。

法規制?免許制?
さきのことは分からんけど、アホがアホやると生きづらい世の中になるクソパッチ入るのは、今まで散々あったこと。

せいぜい利用者全員、思慮深い利用を心がけていければねとは思うけど
無理なんだろうね。ねー。
人ですからね。ずっとそうだったし。

まあ勿論、自分を棚に上げるつもりはないですよ。
ぼくもやらかさないようにしなきゃね。
いかんのです。

冷静で論理的な議論が進み、公正公平で民主的なAIとの付き合い方が進めばいいな、と。
適切な規制、適切な公共利益。そのバランス。
見据えて、みんなおべんきょうしようぜー!

ぼくは思うのですが
どうだろうか?

うまく話まとまらず恐縮ですが、
未来に蓋をせず、とはいえディストピアにもならない
ゆめのある未来を抱いて。
たのしく付き合っていきたいなぁ、と思う所存です。

気楽なはなし書こうとおもったのに、へんな収束になっちゃった。
みんな節度を持って、やさしく生きよう。
ぜひ。

あれおうちにほしい。
弱いロボット。
かわいいよね。

いいなと思ったら応援しよう!