お湯に合わせてあるなら、安心して待てばいい
水が冷たい。でも、もう少ししたらこの水はゆっくりとお湯になることをわたしは知っている。我が家の水道は、水がなかなか温かくならないけど必ず、お湯になる。だって、レバーをお湯の方に動かしたから。
帰宅後、洗面所ではレバーを赤い印の方に動かして、軽く手を濡らしてから、水を止めて、石鹸で手を洗う。手全体が泡に包まれたら、水を出してすすぐ。すすぎながらお湯を待っている。水が冷たいから、泡を落とす動きは高速だ。だから、お湯ですすげるのは、最後の1秒くらい。それでも嬉しい。
毎回、結局ほぼ水で、手を洗っている。でも、最初から水で手を洗うのとは、気持ちが全然違う。違いは、レバーが赤い方を向いていること。この違いが大きい。
レバーが赤い方に向いているだけで、冷たい水で凍えながら手を洗っているのに、希望がある。期待ではなく、希望。必ず、お湯になるという安心の上での希望。
わたしは、毎日何回もこの経験をしている。手を洗いながら、茶碗を洗いながら。
手は冷たいけど、心はあったかい。
ふと人生も同じなんだろうと思った。
楽しく生きていくと決めるということは、そっちにレバーを向けたということ。あとは待っていれば良い。
欲しい結果になかなか辿り着けなかったら、いらいらくよくよして、心はかき乱されるけど、とにもかくにもレバーは楽しく生きて行くほうに向けたんだ。
ただ、それだけ。
シンプルだね。
今の生き方が、過去の設定のままで、ちょっと違ってきているのなら、レバーの向きを変えたらいいだけだ。
お湯の方にしていたけど、だんだん熱くなってきたから、水に変えようということはよくあること。
今、どこにレバーは向いていて、わたしの気持ちと違っていないか、その確認をしながら、毎日安心して生きていけたらいい。
朝の洗顔で思ったことでした。