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わたしを愛するためだった

アウトプットのためのノート作りが、ようやく落ち着いた。
ノート作りも、ノート作り熱も落ち着いた。
今は、穏やかな気分。

ノートを作っているときは、その目的を完全に忘れていた。一心不乱に作り続けて、飽きるくらいに打ち込んでしまった。
100均にシャレオツなノートが売っているのを見て、シャレオツノートに嫉妬した。

わたしは、手作りノートでアウトプットをしたかったんだった。シャレオツノートだと、気を使ってしまって書きなぐることができず、きれいに書いてしまう。内容もこころがこもらなくなる。
それは、違う!
とにかく、書く書く書く!というものが欲しかった。

それで、書くのはなぜかというと「わたしを知りたい」からだった。

思えば、わたしはいつだって、自分のことを知りたくてしょうがなかった。
いろんなことをやってみて、夢中になったり、ならなかったりしている全ての行動は「わたしを知る」ためだった。
いまだにまるで子どもみたい(子どもの時に、親の顔色が全ての指標だったからか?それとも実はそういう人は多いのか?)。
そのときわたしが何を感じたかを大切にしていない。だから、いまだに「わたしを知りたい」とか思うのだろう。
さらにわたしは、自分のネガティブな感情をみたくないところがある。
すると、感情の半分以上を見ないことになり、いまだに……以下省略。

いろいろハッキリしたから、わたしは、わたしを知るために、そのときわたしが何を感じたのか、記しておく。感じたことをもっと大切にしていく。
嫌な感情もわたし。
そんな感情があるわたしのことも知って、許して、愛していこう。

「わたしを知りたい」の先には「わたしを愛したい」があるということもわかってきた。

わたしの全ての行動は、「わたしを愛したい」が源になっているんだね。



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