023.わたしの時間はわたしのもの
今朝はすっきりと起床。
昨日の頭痛は、夜中にトイレに起きたときには、もう治ってた。寝る前に飲んだ薬が効いた。よかった。
頭痛の夜の次の朝は、ドキドキする。
起きたときに痛みが残っていたら、辛い。
朝方、試しに寝返りをしてみる。痛くないと少し安心。でも、起き上がると痛いときがあるから、朝起きるまで油断できない(油断ってなに?)。
わたしは頭痛持ちだ。偏頭痛も緊張性頭痛もある。
なにかあったら、頭にくる。
頭にきやすいということは、実はわたし怒ってるのか?
そんなつもりはないけど、怒りがたまって頭痛になるのかも。
…考えてみる必要がありそう。これはまた別の機会に。
数年前、仕事以外の場で、末期癌の方とおはなしすることがあった。
その方はとても落ち着いた様子で微笑みながら
「からだじゅうが痛い。でも痛み止めは飲まないの」
と言っていた。全然病気があるように見えなかったので、驚いた。
今思えば、眠ってしまうくらいの強い鎮痛剤を飲まないと、とれないくらいの痛みがあったのではないかな。
わたしは、その人に
「すごいですね、わたしなんて、頭痛になったらすぐに薬を飲んでしまいます」
と言ったら、その方は
「頭痛はつらいわよね。飲めばいいわよ」
と微笑みながら言われた。
なにか許された気がした。
それ以来、頭痛の始まりを感知したら、ひと呼吸分だけどうしようか?と考えて、鎮痛剤を飲んでいる。
早めに対処すると痛くならない。
前は飲むたびに罪悪感があった。自然治癒力を信じてないみたいで。
でも、痛みに耐えながら過ごす時間は苦しい。
ネガティブなことしか考えられないし、体も動かない。
頭痛になるということは、なにか無理しているということだから、からだの声は受け止めて、生活を見直すようにする。
薬は痛みしか取らないから。
話は戻る。
昨夜はいつもより1時間早く寝て、途中トイレに行ったにもかかわらず、よく眠った。
いつのまにか疲れがたまっていたんだろうな。
こうしてじぶんのために睡眠として時間を使ったことがとても有意義に思えた。
わたしの時間はわたしのものだ。
だらだらと意味もなく夜更かしするのも、翌日のために早寝するのも、同じわたしの時間。
時間を大切に使うするために、事前の準備が大切だし、動ける体も大切。
ぼーっとしたいなら、ちゃんとぼーっとする。
居眠りしたいなら、しっかりと居眠りする。
だらだらしたくなったら、真剣にそれを楽しむ。
痛みを取りたくて、薬を飲むと決めたなら、罪悪感持たずに、気持ちよく飲んで、楽しく過ごせばいい。
大事なのは、わたしがなにを選択するか、なんだよね。
さて、午後の仕事も楽しく行ってきます。