3人の退職から見えた調和への道
昨日のnoteで書いた職場の同僚が3人一度に退職という事件について
日中はわりと落ち着いて過ごせた。
夜になって、自分の時間ができた途端、怒りがまた出てきた。つくづく、怒りの感情からの妄想って残虐だと思う。
存分に残虐な妄想を終えて、ふぅと息を吐いたとき、涙は止まらなくなってしまい、わたしは泣いていた。
とてつもなく悲しかった…みたい、実は。
悲しいのは、ひとつの職場がぱっくりと別れてしまったことに対して。辞めていく3人と残る人の一部が仲がよくなかったのは事実としてあったけど。でもみんなで大笑いしてお昼ご飯を食べていた頃もあった。
なんで、分離したの?
と泣きながら、問いかけたけど、答えは出てこなかった。
代わりに、わたしは調和を目指しているんだということに気づいた。
多様性を認めた上での調和。
涙も落ち着いてきたら、次は
しかし、120人利用者のいる訪問看護ステーションで看護師3人が退職することを1か月に伝えるって…
いやー普通はしないよねー
しかもそのうちの一人は副所長だよ。
という思いが出てきた。
そこで、「普通ってなんだ?」と思った。
辞める人たちの普通は、退職を1か月前に伝えれば、いいよねー。法には触れていないから。ってことになるのかもしれない。
価値観も多様だけど、「普通」も多様なんだな。
そんな人たちが調和していける社会を目指していく。
3人が抜けた新しいステーションは、そうありたいと思う。
まずはわたしが、そう意図する。
よし、これで眠れます。
おやすみなさい。
読んでいただき、ありがとうございました。