記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

宝石の国の考察という名の賛辞

この漫画に対して、考察よりも何よりもまず、最大級の賛辞を捧げなければならない。

…という姿勢で、以下に話を進めます。

漫画版宝石の国の百七話までのネタバレ前提です。よろしくお願いします。


どんな生活を送ればそんな発想に至ることができるのか皆目見当がつかない

このパートはただの感想なのですが、よくもまあこんなに美しく壮大で完璧な物語を、12年かけて百八話(言わずもがな、人間の煩悩の数)に収めてくださったものよ…

まず、著者の着眼点の鋭さに敬服の念を禁じ得ません。

市川 仏教の教典のひとつに『無量寿経(むりょうじゅきょう)』というものがあることを知りました。その一節に、「西方極楽浄土は宝石でできている」と書いてあるんですよ。極楽浄土の地は宝石でできているらしいんです。「無量寿」というのは、「はかりしれないほどの光」といった意味です。根源となる仏の教えが書いてあるんですが、極楽浄土がいかに華美で荘厳かについて描写されているんですよ。そのお経を高校在学中ずっと読まさているうちに、「極楽」と言われる“すべてのもの”が助かるような所でも、宝石は装飾にしかならないんだなとぼんやり思いました。仏の力をもってしも、すべてのものを救うというのは難しいんだなと思いました。

「CAKES掲載 2014年4月8日 市川春子インタビュー」より抜粋

仏教の見地に立って考える終盤のスト―リー展開

同じ高校であるかはわかりませんが、奇遇なことに、私も著者と同じく仏教系の高校出身です。

それ以後私は特に思索を深めたというわけではないのですが、なけなしの知識をもとに、中~終盤にかけてこれはこういう前提があったんじゃないかな~と思ったところを上げていきます。

間違った箇所等あれば、そっとTwitterまたの名をX(相良@1plus1is__)にて教えていただければ幸いです。

金剛先生の真名『金剛大慈悲晶地蔵菩薩』

『菩薩』と『如来』の違いってご存じですか。

平たく言うと、如来とは悟りきった仏様であり、菩薩はまだ修行中の仏様です。

仏像でも、如来はシンプルな服装(布巻いてるだけとか)で、菩薩は宝石でその身を飾ることが多く、服装が結構派手めです。

これは、菩薩がまだ煩悩を捨てきれていないことを表すためと言われています。

よく聞く観音様もお地蔵様も、観音菩薩、地蔵菩薩と呼ぶように、菩薩という大きなくくりの中の区別です。

このうち地蔵菩薩はどんな仏様かというと、釈迦の入滅後、如来があらわれるまでの無仏の間、衆生を救済する役目を負っています。

これらをもとに考えると、

  • 宝石たちと共にありたいという煩悩が捨てきれない

  • 如来があらわれるまでの間、衆生を救うための存在であるようにとの願いを込めて名付けられた

というストーリーの裏付けになるかと思います。

一説には(私が仏教の時間に聞いただけの話ですが)、菩薩は自分の修行を後回しにして、衆生を救うことを使命としているとのことです。

百三話『無垢』

「すべては変わっていく」

「いいこと言うじゃん」

百三話『無垢』

諸行無常の教えですね…

百四話『楽園』

「やさしい子もやさしくできなかった子も 善い人間も悪い人間も みんな幸せだとうれしいな」

「悪い人間もですか」

「善い人間は大変で 悪い人間はかわいそう」

「ええ 本当に あなた方はこの星で最も知的な生命体です」

百四話『楽園』

まさに浄土真宗の悪人正機説(本当にざっくり言うとすべての衆生は悪人(凡夫)であり、悪人と自覚できた者こそ阿弥陀仏による救済の対象となる)であると感じました。

百七話『終わりに』

最後のページに蓮の臺が。解脱して涅槃に来られたということでしょうか。

弥勒菩薩の再臨にかかる時間と、太陽が地球を飲み込むのにかかる時間

弥勒菩薩は釈迦の死後56億7000万年後、再び地上に降り立って悟りを開き、釈迦滅後の人々を救うとされています。

一方で、太陽が地球を飲み込むのにかかるとされている時間は科学的に見積もって、現在から約50億年後とされています。

太陽が地球を飲み込み新たなる生命を銀河の果てへ旅立たせたとき、フォスは如来になれたのでしょうか。

脱線:なぜフォスフォフィライトが主人公であったのか

人間の骨と同じくリン酸塩鉱物に分類されるため選ばれたのではないかという説を、私は有力視しています。

ゆえに、『キャラ読み』をしていると大変な目に遭う(が、恐らく作者の目的は読者の反応を裏切ることではなくもっと遠くにあるのではないか)

鬱漫画という評判も散見されますが、本作は百八話で終わりつつも無理やり収めた感も冗長さも感じさせることなく、愛や憎しみ、生、しかし結局すべてはうつりゆき最後は無へ向かうという諸行無常さを描いた、紛うことなき大作ではないでしょうか。

(私が初めて宝石の国を読んだのは前回の全話無料キャンペーン(九十九話くらいまでだったはずです)であり、リアルタイムでご覧になっていた方々とは少し温度感の違う見方をしていることも大きいかもしれません)

しかしながら、最初からこの結末を考えて描いたにせよ、考えていく中でこの着地点に収まったにせよ、途方もない才能と視座の高さに、著者には尊敬を通り越して畏怖の念を抱かざるを得ません。

こんなにも美しくすばらしい物語が漫画として成立していることに感謝

永久とも言える時の中では人間も石も生も死もすべてはただの現象であり、うつりかわるものの一部なのでしょう。

興奮のままに書き散らした文章ですが、ここまで読んでいただいて幸いです。
ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!