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『PERFECT DAYS』 ~ 現代の『東京物語』

この映画を観た時、ヴィム・ヴェンダース監督が長い間、最も撮りたかった作品はコレだったのでは、と思った。

大学生の頃に『ベルリン・天使の詩』をリアルタイムで観た。公開の日を待ち望み、日比谷の映画館の帰り路、仲間と何時間も語り合った。
もちろん、誰もが大絶賛で、意見を戦わせるのではなく、どこに着目し何に興奮したのかを挙げ連ねた。当時そんな人々が世界には無数にいただろう。ベルリンの壁は壊され、ヴェンダース監督は世界に待たれる映画監督となった。

次回作、『夢の涯てまでも』で監督は、渋谷のスクランブル交差点にある、大型ヴィジョンを撮りに訪れた。そこは、卒業間際の私のアルバイト先だった。
その日、シフトに入ると、「外国の映画監督が撮影に来ているから、一瞬だけテロップ出して」と言われた。
「誰ですか?」
「ベンダースンとか、何とか・・・」
打ち込んだテロップを、指定の時間に画面に表示すると、監督からオーケーの返事。許しを得てオペレーションルームを離れハチ公前に降りてゆくと、そこに大柄で物静かな雰囲気の、ヴィム・ヴェンダース監督がいた。

世界に待たれる映画監督は、自らも時代を引き受けるようにして、バブルの日本の近未来都市や、最初の頃のインターネットや、キューバ音楽を映画に撮った。
それは、『アメリカの友人』から『パリ・テキサス』にいたる流れからは、どこか、決定的に、異なっていた。
『ベルリン・天使の詩』を分岐点にして、少しずつ、道は離れていった。
大袈裟な物言いであると自覚している。現代の世界的映画監督が限定的な世界観に留まる事の方が、おかしいだろう。
振り返れば、グローバル化の名のもとに、経済的強者が世界を均質に、地ならししてしまう時が続いた。

世の中の大きな流れから、取り残されてしまった人、それに逆らうでもなく現実を受け入れ、淡々と、自ら為すべき事を行う人、『PERFECT DAYS』で役所広司氏が演じるのは、『アメリカの友人』や『パリ・テキサス』で描かれたような、辺境の存在だ。

下町の風呂なしアパートに住み、毎朝早く起き、公衆トイレの掃除の仕事に向かう男(役所広司氏)が主人公の物語。
彼の日常は昨日と同じ事の繰り返しに始まり、繰り返しに終わる。(通常の映画や小説のように)特別な出来事は、起こりそうもない。
だが、外からは起伏のないルーティンに見える日々にも、何かが始まっている。彼が仕事へ向かう車の中、前時代の遺物であるカセットテープで、いにしえのロックナンバーを鳴らす時から、レトロや懐古趣味では括れない特別な空気、東京の、いや世界中、他にどこを探しても見当たらない、PERFECT DAYSな物語が展開される。

時代に取り残された場所、開店直後の銭湯の空気や、彼を「いらっしゃい」ではなく「おかえりなさい」で日々迎え入れる浅草の地下の一杯飲み屋は、経済の力でいつ押し潰されてしまってもおかしくない場所だ。
時の流れを受け入れて、ひっそりと、自らの役割を生きてゆく人々は『東京物語』の老夫婦のよう。
その儚さ尊さを、カセットテープで聴く音楽や陽の残る午後の銭湯の心地よさを、理解し彼と共有するのが、若い世代の女性たちであるところに、この映画のささやかな希望のようなものを感じる。

彼の住むアパートは、解体寸前のような外観でありながら、1階と2階があるメゾネット形式という奇妙な間取りで、ニコラス・レイが撮った建築装置のようでもある。

スカイツリーが見える下町のアパート 美術 桑島十和子

また、本稿冒頭部の写真、自転車に乗る2人のような、2人の人物の相似的な動作を描くのは、小津はいわずもがな、三宅唱監督が『ケイコ目を澄ませて』を全編それで撮った、映画的技法だ。
『ケイコ目を澄ませて』の舞台も下町的であったが、そのサブ主演(相似を描く2人の内の1人)的役割の三浦友和氏が、『PERFECT DAYS』においても非常に重要な相似的動作(是非作品を観てください)を役所広司氏と演じた事、そして三浦氏の純正二枚目ぶりが

本当に久しぶり、というか、スクリーンで初めて体験されるもののように目に映った事が、二重に驚きだった。

ブラウン管(液晶以後ではなく)の中での、国民的なハンサムを、演技の技法云々などと小賢しいことは言わず、ただ良い顔の男が良い顔に画面に映るという当たり前を、スクリーンはヴェンダースが東京を撮る時まで待たなければならなかったのかもしれない。
公衆トイレを、浅草の地下街を、あんな風に映画に撮ろうとする監督が日本にいただろうか、いたとしても、企画は却下されたのではないか、ヴェンダースだからこそ撮れた、大きな物語を必要としない物語、大きな物語を経た先の物語だったのではと、長い年月の果ての奇蹟を、感じてしまう。

最後に余談になるが、私の車には、カセットデッキが付いている。
最初にそれを付けていた車から、何度か変わったけれど、ナカミチのカセットデッキだけは、わざわざ工賃を払って外し、工賃を払って新しい車に付けた。
しばらく忘れていたけれど、すごくいい音が鳴るんだ。
久し振りに、カセットテープを鳴らしてドライブしたくなる、そんな映画でもある。

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