これからの時代はマイペースに生きたもん勝ち
マイペース街道まっしぐら
『瑞希ちゃんは、マイペースねえ!』
って小さい頃から言われて育ったぐらいに
私は【超マイペース人間】です🤭笑
誰かの楽しそうな事に、自分の心が反応したのであれば便乗するのは大好きだし、
いわゆる【フッ軽】といわれる方だとは思います。(興味が湧けば、ね!)
だから合わせようと思ったら、全然合わせられるんだけども、基本私のペースを守れることが前提条件です。
って言い切っちゃうぐらいには、私はマイペース人生を採用しています。人によってはワガママというやつです。笑
もちろん場の雰囲気や空気感を読んだ上でやります。やっていい場とそうじゃない場がこの世には存在するからね!
(自分をしっかり生きていたらその見分け方が出来るようになると思ってる)
ただ最近、発見しちゃったのが
『マイペースでいること』は
自分らしく、自分の素質を生かして
しあわせに生きるコツ
なのだと思ったの。
これからの時代は『マイペースで生きる人』が絶対強い。大人も子どももそうであって欲しいと思ってます。
それと同時に
【マイペースでいることへの罪悪感】
これが、自分の心の中と社会全体の意識の中にもあるんだなあって思ったのです。
マイペース罪悪感の始まりは4歳から
『マイペースでいることは、他人に迷惑が掛かる行為だ。』
そう感じたきっかけは、
4歳ぐらいの時かな?ママに叱られた時に
『おめが中心で世界は回ってねえんだよ!』
(秋田弁なの。ヤンキーじゃないよ👹)
(私のママ、ユーモアたっぷりで普段は面白いよ🤭🤭)
って言われたこと。笑
私、昔の記憶や過去のことは綺麗さっぱり忘れる特技があるんだけど、これは結構強烈に覚えてます。
といっても、今私が大人になって、子どもたちの側にいるお仕事をしてみて、ママがそう言いたかった気持ちがとてもわかりました。
なぜなら私
*夜泣き酷い、寝ない
*好き嫌い多いからご飯が永遠に終わらない
(食事をする意味が小さい頃、分からなかったぐらいに食べなかった)
*基本行動がゆっくり、トロい
*自分が決めたことは曲げない
(力づくで曲げようとする大人に反抗するw)
いわゆるちょっと扱い難い子だったのね😇
見た目大人しそうなのに、中身コレなのと
ママはお仕事や家の中のストレスがあるから
自分の日常をこなすのに必死なところに
マイペースなお子様(私)がいるから
たぶんイライラが爆発したんだろうなあ
って今なら本当にわかる🤣🤣🤣笑
そしてママなら共に生活してたから、
まだ分かるのだけれども、
保育園の先生にも
『瑞希お嬢様!!!』って揶揄されるぐらいにマイペースを怒られてきたの🤣笑
だから余計に、ダメって染み付いた。
(先生を自分でやってみて、自分みたいな子がいたら言いたくなる気持ちは分かったんだけどね!!だけどめんどくさいヤツっていう気持ちは子どもに伝わるのよ🥺)
思い返してみると『人生がうまくいかないとき』は【マイペースを崩したとき】
そんな訳なので
『ちょっと周りの人の声も聴いて生きる必要があるんだな』って思い、周りのお友達の気持ちを割と聴く側に徐々になっていきました。
割とファンキーな地域なので、周りを聴くことで立ち回りを変えていく生き方をとったのもあります🤭
大人になってからも、なるべくその場のルールと人間関係を読んで場に入るようにしてました。
ただ、それが保たれるのは最初だけなんです。
最初のコミュニケーションがちょっと人より上手なところがあったりするから、
なんかコイツできそう!
って期待を寄せられるんだけどね!
期待に応えるってことを履き違えちゃって
自分の感覚よりも相手のニーズ中心で
動いちゃう癖ができていきました。
今までのマイペースから逸れたせいでのやらかしたち
*できそうと思わせておいて、興味のないところを覚えるキャパがないのにも関わらず自分の分野以外の仕事を担っちゃって、疲れる。
→期待に応えられないと感じて一人で病む。
*親、上司、恋人など『ちょっと自分より上に見えちゃう部類の人たち』の指示通りに動こうとする。
→体調を崩す。倒れるまで働く。笑
たぶんこれって
私だけじゃないはず。
ほとんどの人間の大きな失敗の多くは、
自分の感覚やペースが狂ったことや打算的になり過ぎたこと、なんじゃないかな🤔?
命に委ねる
その人、その人に沿った『命の流れ』は存在していて、それはみんな違う。
『そっかそっか!私はこのペースで生きていたんだった!!』
それを思い出したら、無理な人間関係も無理な仕事も全部全部なくなって、大事なものが手元に残った。
私が自然に還ったんだ。
自然界の生き物たちは、みんなマイペースに生きている。
それぞれが自然な命の営みを淡々としているだけで、花は咲き、水は流れて、戯れあっている。
自分の命を全うしているだけで、偶然にも食べる、寝るを繰り返して子孫を生んで死んでいく。
人間もこれでほんとはいいんだよね。
そこを自覚した時に初めて、
自分の性質で強みといわれるところを全面に出して生きることができる。
必要な出逢いや御縁は、自然に生きていたらすべてすべて成り立つのだから。自分の自然な営みをただただ信じて流されてみる。
これらを覚えておくのって、
これからますます変化が大きくなる時代において大切だと思うんだ。
変化が大きい=自分を見失いやすくなる
その確率が上がるから。
その分、楽しいことがいっぱいだけどね!
そして付け加えておきたいことが
相手を喜ばせる、期待以上の感動を与える
っていうのは
とてもとても大切なこと!
笑顔の連鎖と総量が大きくなれば、しあわせって大きくなるよね🌸
たくさんの命に繋いでもらった私たちだから、たくさんの笑顔をつくれると思うんだ。
それぐらい私たちは
素敵な命を宿して生きているの。
自分と他人を行ったり来たりして、ちょうどいい塩梅を表現していけば、良いのだっていうお話☺️
個の時代に突入。幼少期の過ごし方。
コロナもあって、ますます自分として生きることが大切になる中で、どんな状況が来ても揺るがない土台を作っておくのは何よりも大切。
揺るがない土台っていつからできるの?
これは
小さい頃にどう生きたか?
これに尽きます。
いわゆる
どう遊んで生きてきたか?
です。
好きなあそびができる=マイペースの尊重
=自分ってやりたいことやっていいって言われちゃうぐらい愛されて大切な存在なんだ(自己尊厳)
この環境をどれだけ味わったかが、未来を大きく変えていきます。
でね!
自分を生きることを学ぶ時期と
他人と関わることで自分と社会を知る時期が
年齢や性格によってタイミングがあり
その時期にそれぞれのことを学びます。
命の流れに沿っていたら、マイペースを確立する時期と、他者を知る時期とが実はそれぞれの命のごとに(子どもごとに)決まっています。
それを、どう見て知るか、
そのキーはあそびを見ればいい。
子どもたち、1人ひとりのあそびの中に
*今は何を学ぶフェーズか
*どう生きたいのか
*どんな風に関わってほしいのか
それらが出るから、
面白いなあ〜!!!
と思って見て遊んでる私です😳☀️
それを理解できるようになったのは
*ひたすらマイペースに生きる人生を基本的には自分にも他人にも尊重してもらったから!
→1人で空想の世界で遊んだり、意味もなく散歩して歌って夢中になって走り回ってた!
*ひたすら人に合わせまくって生きたから
どちらも行き来したお陰様です。
マイペースに生きること。
マイペースに生きる自分を認めること。
それを叶えられたのは
ひたすらに遊んだ昔の日々を思い出したから。
あそびって神秘。ずっとずっと奥が深い。
あそびで、
自分を知り、他者を知り、社会を知り、文化を知る。
生き方を創るんだ。
そんな訳で
もっともっとあそびを伝えたいので!
あそびから学ぶこと知ることを
ゆるりゆるりと書いていきます🌼
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