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めくるめく掲載作品への感想について

拝啓みなさま、お疲れさまです。木端みのです。
先日『めくるめく』3号の執筆者様募集に応募いただいたみなさま、ありがとうございました。決定した執筆者さんには連絡をさしあげ、作品制作をおねがいしています。よろしくおねがいいたします!

わたしも作品を楽しみにしていますし、
他にも漫画を読めるのを楽しみにしているかたがいると思います。

できあがった作品を見て、心を動かされ、作者さんに感想を伝えたいこともあると思います。
ですが、すみません。

『めくるめく』自体はコメント欄を閉鎖しており、お問い合わせフォームにつきましても、個々の作品への感想をお断りしております。
今回はそのことについて、お話します。

まだ始まったばかりの企画で、反対意見も集まりやすい。それを見たかたへの影響を減らすため、というのもあります。
ただ、今後この企画が受け入れられ、好意的な意見が増えたとしても
基本的には感想をお断りする方針をつらぬきたいです。

ひとの感想というのは、いいものと悪いものに単純にわけることができません。一見誉めている感想のなかにも、発言者の願望がつよかったり、思い込みがまじったりします。悪意がなくても、必ずしもいい影響があるとは限りません。
受け取る人の信念や状況、また送る人や受け取る人の全く関係がないところ(社会情勢などのタイミング)などによっても、よい感想が悪になったり、悪い感想が良薬になったりします。
それは、きっちり線引きをすることができないものです。

わたし個人としてはよい感想を受け取るのであれば、悪い感想も同じように受け取りたいと思います。それは『わたしにとってのよい感想』であり『わたしにとっての悪い感想』だからです。その良し悪しは、伝えてくれる人の善意や悪意とかならずしも一致しないからです。

ですが、私はむかし心を壊して数年間廃人になったことがあります。
気持ちがひとの意見に左右されやすい自覚があります。だから、よほどのことがない限り、エゴサーチをしません。誰かが伝えたいと思って伝えてくるまで感想を知りません。

描きたいものを真剣に楽しんで描く。
そのために、いまは作品作りをともにしない人の意見はシャットダウンしています。でも、どこかで私が描いたものを読んでくれて感想をくださるかたには感謝しています。いつもありがとうございます。

いつか私が心を整えて受け入れることができるなら、感想を受け取りたいと思っています。その時は、いい意見も悪い意見も同じように受け取りたい。

と、これは私の話です。参考程度に聞いてください。
ここからは『めくるめく』の話です。

なんども描きましたが、『めくるめく』の目的は何百年あとも描くことを残すことです。そのために、いまここ描いている時間を楽しむことが必要です。

伝わることはいいことです。
評価されることもすばらしい。

だけど、いちばん大事なのは自分が伝えたいと思えることを話すことです。
思ったことを、自分の言葉で話すことです。

このSNS時代に、評価を気にすることで、消えてってしまう思いがあると感じます。いいねがついても、それが他人の言葉ではしょうがない。
自分でしか伝えられないこと。消えないために、どうするか。

前も書きましたが、できるかどうか。伝わるかどうか。評価されるかどうか。その勝率は努力であげられます。ほとんど努力でしかあげられないかもしれない。

が、努力しても100パーセントかなうかはわからない。
めちゃくちゃ時間をかけても、見られないなんてザラにあります。

必要なのは、描いた後ではなく、いまここ一本の線を引くこと。登場人物の会話を想像し、形にすること。時にできなくて、できないけれど、周りから自分で方法を見つけ、ためしてを繰り返し。その時間をずっと楽しむことだと思う。

いまより成長しようと思う時、程度の差こそあれ苦しさは不可避。苦しさがあるから、乗り越えられてうれしいと思える。ロープウェイで簡単に頂上へ行って見た景色は見たくない。自分自身はそうやって生きていく方法しか知らなくて、それが最高におもしろいので、それを伝えていきたいと思っています。

だから、色々ある道のひとつとして、めくるめくを通ってみたいと思ってくれる人がいたら、一回は登ってみられるように登山道をあけています。
めくるめくの募集が、審査なし・先着順・未経験者優先である理由です。

長くなりましたが、そういった理由から、めくるめく自体は感想をお断りしています。個々の作家さんで、感想を受け付けるかどうかはお任せしております。

参考にしていただけますと、幸いです。

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木端みの
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