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【国際結婚】トルコ人の妻になった私🇹🇷🇯🇵多言語・多文化で生きるということ。
Merhaba🤍
(トルコ語でこんにちは)
タイトルにもある通りですが、2024年12月に入籍し、わたくしトルコ人の妻になりました💍
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夫の存在が近すぎて、自分の中ではあまり国際結婚という意識はありませんが(笑)考えてみれば、私が大学1年くらいまで現実を知らずにただただ憧れを持っていた、国際結婚です。笑
クリスマス前から1ヶ月まるまる滞在し、婚約式やら区役所での結婚式やらいろいろとやってきたわけですが、トルコ語に囲まれて過ごす日々が、数日間、数週間の旅行なのではなくてこれからの人生において当たり前になっていくんだなとつくづく感じました。
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多言語で生きる。
夫婦間のコミュニケーション
私たちの普段の会話は基本的に英語。
実は私たちが出会った2023年の4月、夫は英語を話せませんでした🌀
私たちの間に1人トルコ人の友人がいたので、彼の通訳もしくは翻訳機で会話していたんです。
そこから夫がものすごいスピードで英語を習得し、未だに正しい英語ではないもののコミュニケーションは余裕で取れるのでオッケー🙆🏻♀️
私の英語も全然完璧ではないので笑笑
私も夫も言語習得が非常に得意なんですが、夫の場合「伝えたい」という気持ちが優先し、自分の知ってる単語を駆使してなんとしてでも伝える人間なので、本当に話せるようになるのが早かったです。笑
私的に夫に限らずですが、トルコ人はパッションがすごいので、なんとなく知ってる単語を使って頑張って話そう話そうとしてくれます。
そして私は、何回もトルコへ行くうちに耳で徐々にトルコ語を覚え、覚えたものはどんどん使いたいので、トルコへ行くたびに私たちの日常会話で使うトルコ語も増えていっています🇹🇷
夫も日本語を一生懸命勉強中なので、簡単な単語は会話で当たり前に使っていたりしますし、これからどんどん増えていくんじゃないかなと思います🇯🇵
トルコ人の夫と結婚した以上、日本に住むとはいえ夫の家族や友人らとのコミュニケーションも考えると、私は生涯多言語で生きていくことになったわけなんです。
「私たちのどちらかが英語を失ったら、私たちは会話できなくなる」
結婚する前、たまにふと頭によぎることがありました。
お互い自分の国では英語を使う機会なんてほぼないので、遠距離の私たちは3日間電話しない日が続くとちょっと話すのが下手になっていたり。
私たちの関係において、言語はものすごく大事だなあと。
来世はトルコ人になりたい
私は今まであらゆる言語に触れてきましたが、トルコ語って本当に美しい言語で、私はよく、トルコ人がトルコ語を話している姿に思わず見惚れてしまいます。
先ほども言ったように、トルコ人はとにかくパッションがすごいんです。
例えトルコ語がわからなくても、話しているのを見ているだけで感情が丸見えというか。
簡単に言えば単純でわかりやすい。
出てきた言葉そのものが彼ら彼女らの感情であり、話す時の抑揚や表情からはっきりと感情が読み取れる。
日本語はあまり口を動かさなくても発話できるし、表情とともに会話することがあまりない分、トルコ人がトルコ語を話す姿はかっこいいし美しい。
トルコ人があまりにも心で会話をするので、「これ可愛い?」と聞かれて可愛いか可愛くないか考えずにとりあえず「可愛い」と言ってしまう自分が嫌になるくらいです。
日本の建前文化はトルコ人にとって失礼なのかもしれない。
そんなトルコ人に言われて私がいつも驚くのは、Çok güzelsin(あなたとっても美しい)です。
基本的に女性ですが、買い物をしていると突然店員さんに言われたり、同じく買い物をしているお客さんに言われたり。
夫や義母の友人だったりすると、私が素の笑顔を見せただけで、「やだかわいいあなたの口を食べちゃいたい」とか、拳を握りしめながら「我慢できない噛んでもいいかしら」とか笑
私は勝手になのか日本人の持つステレオタイプなのかわからないけれど、欧米人は憧れの存在みたいに思っているところがあって、私たちは欧米人のことを「かっこいい」「美しい」と思うけれど、逆に欧米人がアジア人を見て「かっこいい」「美しい」と思うことはないんじゃないか。と今でもそう思っている部分があります。
英語話者を強く思ってしまう傾向からきているのか、ただの無い物ねだりからきているのか、ディズニーのプリンセスが欧米人(が多い)というのが理由なのか、「アジア人差別」という言葉が存在するからなのか、、、
トルコ人を欧米人と捉えるかは微妙なところですが(笑)本人たちは自分らをアジア人だとは思っていないようなので、そう言わせてもらいます。笑
そういうわけで、はじめはいつも「え、私?この日本人顔を綺麗と思うことあるの?」と思いはするんですが、トルコ人の褒め言葉には全く皮肉がないんですよね。
これはトルコ人の人柄の良さの表れであるのと同時に、それを十分に表現するだけの言葉があり、人々が日常的にそれらを使う環境にあることを意味しますね。
すごく素敵なことです。
夫が長年お世話になっていたテコンドー教室にお邪魔した際も、Sen çok güzelsin (あなたとても美しい)Çok tatlısın(あなたとってもかわいい)と、目をキラキラさせながら言ってくれる子どもたちに感動しました。
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物足りない日本語
トルコ人は、会うと必ずと言っていいほど
⚫︎Selam aleyküm こんにちは(イスラム式の挨拶)
⚪︎Aleyküm selam こんにちは
⚫︎Nasılsın? 調子はどう?
⚪︎İyiyim. Sen nasılsın? 元気だよ。あなたはどう?
⚫︎Ben de iyiyim. Ne yaptın?... 私も元気だよ。何してたの?
という会話をしながら、
①右と左2回(人によっては3回)ハグをする
②男同士の場合、握手をして右左2回頭をコツンコツンとぶつけ合う
③目上の方(年配の方)には手の甲にキスして自分のおでこにあてる
のいずれかをするというのが基本的な挨拶なんです。
会話のレパートリーはもちろんありますが、毎回これなんです!!
どんなに親しい友達でも会うたび絶対このやりとり!
電話でも本題に入るまでが長い。笑
例えば、お母さんにちょっとした確認事があるだけでも
👩🏼🦱Efendim? はいー?
👨🏼🦱Alo? Nasılsın? もしもし?調子どう?
👩🏼🦱İyiyim. Teşekkür ederim. Sen ne yapıyon? 元気だよ、ありがとう。あなた何してるの?
👨🏼🦱İyiyim. Şimdi eve gidiyorum. 元気だよ。今家に向かってる。
-続いて今日あったことなどを話す-
Sen ne yapıyon? あなたはなにしてるの?
👩🏼🦱Ben Sincan’dayım. 私はシンジャンにいる
👨🏼🦱Neden? なんで?
👩🏼🦱-説明-
👨🏼🦱Tamam. わかった
Anne, お母さん、
-本題-
みたいな感じです。笑
礼儀が正しいというよりも、この会話のやりとりを楽しんでいるんだと思います。
車のハンドルに電話の応答ボタン(📞このマーク)があるくらい電話が当たり前のトルコなので(笑)楽しくなきゃ毎回このやりとりやってられません笑
もちろん日本語にはこういうやりとりは滅多になく、何か用があれば用件だけLINEで送っておしまいですよね。笑
一緒に住んでいる自分の母親なら尚更。笑
この文の意味、ニュアンスに相応する日本語自体ないように思いますし、日本語ってダイレクトに物を伝えるのがすごく難しいんです。
トルコ語でいうと、女子友達同士で頻繁に言う
・Seni çok seviyorum
あなたのこととても愛してるよ(I love you so much)
・Seni özleyeceğim
あなたのこと恋しくなる(I will miss you)
・Öpüyorum canım
キス、私の愛する子(Kisses, my dear )
など、無理やり日本語と、わかりやすくするために英語にも訳しましたが自分でも書いていて気持ち悪く感じるほど、日本語にはない表現です。
こういうトルコ語ならではのやりとりや表現はやっぱりそのまま使いたいし、私も日本語に訳して考えることはせず、トルコ人の会話のタイミングからニュアンスと感覚で理解しています。
この日本語にはない感覚の言葉を使いこなせるようになった時、私はめっちゃ嬉しいです😂
感覚そのものが違うからこそ、多言語で生きていきたい。
いくら夫が日本語を流暢に話せるようになっても、私たちの会話は日本語だけでは物足りないだろうと思います。
夫の豊かな感性を日本語という枠組みにはめてしまうのはなんだかもったいなく感じてしまうんです。
多文化で生きる。
「当たり前」の見直し
「当たり前」と言葉ではよく聞くけれど、夫と交際を始めてから特に、「当たり前」って言葉で発する以上に深い話なんだなと感じるようになりました。
人は、自分にとって「当たり前」なことは説明しようとすらしないんです。
みんなが知ってることだと「当たり前」に思い込んでいるので。
これは人の悪い部分というわけではなく、誰もが持つ性質だと思います。
私と夫は、違う国で違う文化、宗教のもと育った外国人同士です。
何を「当たり前」と思うかも当然違います。
トルコと日本は互いに文化があまり知れ渡っていないので、実際にその場に直面して知ることがほとんどでした。
私はトルコにいる時、どうして肝心な部分を説明してくれないんだと夫に対して不満に思うことがありますが、それは夫にとって「当たり前」なことだからです。
同じように、夫が日本に来た時、私は自分にとって「当たり前」なことを夫に説明せず、「なんでそんなことするの!?」と強く言ってしまったり。
こういうことがあるので、私がトルコに行くだけではなく、夫も日本に来て私が普段何を「当たり前」としてどう生きているのかを知ってもらえたというのは、結婚前にしておいて良かったことだと強く思います。
私も夫の来日を気に、私の中での「当たり前」を見直すようになりましたし、夫が日本に移住してからは私がしっかり支えなきゃなと思っています。
異文化理解の難しさ
私と夫は、文化や価値観の違いで時に何かに対する考えを受け入れられなかったり、受け入れるのに時間がかかったりします。
でも、そういう理由で衝突した時こそ、私たちはしっかりと話し合うようにしています。
文化の違いせいでお互いの人間性や性格を誤解したくはないので、泣いても怒っても、絶対にお互いが納得のいくまで話し合うんです。笑
そうしているうちに、私たち自身の心も大きく成長していってるように感じます。
区役所での結婚式の日、義母の友人の娘が私にメイクをしてくれました。
私自身、そんなにメイクが上手なわけでもないしトルコにいるんだからトルコ流でお任せしてみようかな🎶なんて思ったわけなんですが、やっぱり顔立ちもメイクの仕方も全然違うので、彼女が帰ってから鏡を見てみると舞妓さんみたいな顔になっていました。
(舞妓さんを悪く言いたいわけではないですが)私の大事な日であるにも関わらず、過去一酷い顔をしている自分を見て半泣き状態。
思わず日本にいる友達に電話しました。
もうまもなく出発する時間だったし、義母の友人の娘ということもあって夫にすら言えず、かと言って勝手に直すのも失礼なので何もできず、完全にパニックでした。
とりあえず友達に「大丈夫」と言って欲しかったんです。笑
すると異変を察した夫が、頑なに言いたがらない私にしつこく聞いてきたので(笑)泣きながら事情を説明すると、「今すぐ直しな。全部1からやり直したっていいんだよ。Uraraのためだったら30分だって1時間だって時間つくれるから。区役所には少し遅れるって言えばいいよ。今日はウララの日なんだから。」と言ってくれたんです😭😭
その時側にいた義母は、私が嫌だったにも関わらず黙っていたこと、直さずに泣いていることを疑問に思っていました。
それに対して夫は「お母さんはトルコ人だからそう思うんだよ。彼女は日本人で、言うのも直すのも失礼だと感じるからできなかったんだよ」とはっきり伝えてくれました。
トルコ人的には、嫌だったら嫌だと言うし、直して失礼だという感覚は特にないみたいなんです。
でも私としては、メイクをしてくれた彼女が悪いわけではないからこそ、彼女を責めていると誤解を招くようなことはしたくなかったんです。
夫が義母に説明してくれなかったら、義母は私をただの変な子だと思っていたかもしれません。
結婚となると私たちだけの問題ではなくなるので、ここでもまた変な誤解を生まないために、必要に応じて相手の考え方や価値観を周りの人に説明するということも大切なんだなと身に沁みて感じました。
トルコの家族
夫と結婚して嬉しいことの一つは、大好きなトルコのみんながファミリーになったことです👏🏻❤️
夫の友人とその家族や交際相手、義母の友人とまたその家族、などなど。
実際に家族になったのはもちろん夫の親族だけですが、たくさんの愛情をくれるみんなが私にとっては大きな家族のような存在。
トルコ人は人との繋がりを大切にしていて、日々助け合いながら生きているという印象があります。
そして人を暖かく迎え入れることが大の得意なので、私はトルコに行くたびに知人・友人が増え、日本へ帰ると毎回ものすごい寂しさに襲われるんです。
でも夫と結婚したことにより、トルコはただの旅行先ではなくなったわけで、これから先何十回も訪れるだろうし、みんなが私を待ってくれています。
国が違えど一緒に生きていく仲間になったんです。
2年前まで日本だけで生きていた私が、国を超えて人に愛されることを知り、自分は贅沢なんじゃないかと感じることさえあります。
日本で暮らし、日本人、日本語だけで生きているだけでは味わえないこの愛情をどう言葉にしたらいいのかはわかりません。
もちろん夫がみんなに愛されているからこそですが、外国人である私を受け入れ、愛してくれるみなさんに本当に本当に感謝しています。
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またまた長くなりましたが、最後まで読んでくださったみなさん、どうもありがとうございます🙏🏻
書きながら私自身、国際結婚という実感が湧いてきました。笑
トルコでの入籍、婚約式についても今後お話していけたらと思います✨
Teşekkür ederim🤍
(トルコ語でありがとう)