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なぜ日本には印僑や華僑のような存在が生まれなかったのか
地理学習をしている際によく目につくのが、中国と、インドである。生産品目を見れば、この二国の名前がズラリ。聞けば、あのシンガポールも、インドネシアも、華僑によって発展した国だというのだから驚きだ。現在は日本が中国やインドに負けていることは反論できないが、そのように言われる前から東南アジアを発展に導いていたのが、欧米と同じくらい早く経済発展を達成し、列強に名を連ねていた日本ではないということに残念な気持ちになった。海外の日本人の活躍といっても、せいぜい思い浮かぶのはブラジルくらいであるが、それも単なる労働力に過ぎない。
何故海外で活躍する日本人コミュニティ、「和僑」は生まれなかったのか。考察していく。
華僑、印僑の歴史
華僑の成り立ち
華僑の起源は、中国本土から移住した人々に遡る。特に南部の福建省や広東省の人々が主な移住者となった。古代から中世にかけて、中国の沿岸部は海上貿易が盛んであり、アジアの商業ネットワークにおいて重要な役割を果たしていた。こうした中で、商業目的で東南アジアやインド、さらに遠くアフリカや中東に移動する人々が増えていった。
特に19世紀後半から20世紀初頭にかけて、清朝末期の社会不安や経済的困窮を背景に、多くの中国人が新天地を求めて海外に渡航した。当初は出稼ぎ労働者として農業や鉱山業に従事することが多かったが、徐々に商業や流通業での活躍が目立つようになる。
華僑の発展
華僑は移住先でコミュニティを形成し、相互扶助のネットワークを築くことで生計を立てた。中国本土との連携を保ちながらも現地社会に適応することで、次第に影響力を拡大した。特に東南アジアでは、華僑が経済的エリート層として成功を収め、銀行、貿易、製造業など様々な分野で活躍するようになった。
印僑の成り立ち
印僑の歴史は、主に19世紀のイギリス植民地時代に始まる。当時、イギリスはインドを支配し、労働力を求めてインド人を他の植民地に送り出した。インドから移住した人々は、カリブ海、アフリカ東部、東南アジアなどに広がり、農場労働者や鉄道建設作業員として働いた。
また、グジャラート州やパンジャーブ州からの商人や職人が、交易や商業目的で海外に移動したことも印僑の拡大に寄与した。彼らはインド国内での地域的格差や宗教的対立を背景に、新たな生活の基盤を求めて移住した。
印僑の発展
印僑は、現地社会に溶け込みつつ、インド文化や宗教的伝統を維持することに成功している。特にイギリスの旧植民地では、英語を活用した商業活動が進み、地域経済の中核を担う存在となった。
ケニアや南アフリカでは、印僑が小売業や貿易業を主導し、政治的にも影響力を持つようになった。また、アメリカやヨーロッパでは、IT産業や医療分野で高い評価を得ており、成功例が広がっている。
日本の海外移住について
日本の海外移住は、19世紀後半の明治時代に本格的に始まった。人口増加や国内の経済的困窮を背景に、政府は移住を奨励した。移住先としてはハワイ、アメリカ本土、ブラジル、ペルーなどが選ばれた。当初、移民の多くは労働力としてサトウキビ農園や鉄道建設などに従事した。特に1908年に締結された日本とブラジルの移民協定により、多くの日本人がブラジルに渡航することとなった。
これらの移民は、移住先で農業を中心とした生活を営みながら、少しずつ現地社会に適応していった。戦後になると日本からの移住者は減少したものの、移住先での日本人の子孫が商業や専門職に進出し、日系人社会を形成していった。現在では、海外移住は少数派となり、逆に日本が移民を受け入れる国へと変化している。
華僑、印僑と日本の海外移住の相違点
華僑や印僑の移住は主に商業目的で行われたのに対し、日本人移民は農業従事を目的とした移住が中心であった。華僑は東南アジア、印僑は旧イギリス植民地を中心に展開し、貿易や小売業で成功を収めたが、日本人移民は農地開拓や農業生産に注力し、経済活動の性質が異なっていた。
また、華僑や印僑が移住先で相互扶助を重視したコミュニティを築いたのに対し、日本人移民は個々が現地社会に溶け込む形で活動することが多かった。これは、移住政策の違いや文化的背景が影響していると言える。華僑や印僑が故郷との結びつきを維持しつつ、現地での経済的成功を目指したのに対し、日本人は定住を前提に現地社会へ順応する姿勢を取ったことが、この相違を生んだと考えられる。
さらに、日本の海外移住は政府主導で計画的に行われたものであり、華僑や印僑のような個人や家族単位での移動とは異なっていた。このため、日本の移民活動は地域的な分散が進み、まとまった規模のコミュニティ形成にはつながらなかった。
なぜ日本には華僑や印僑のような海外コミュニティが形成されなかったのか
日本に華僑や印僑のような大規模な海外コミュニティが形成されなかった理由として、いくつかの要因が挙げられる。
1. 国策移民と個人移民の違い
華僑や印僑の移住は個人や家族単位での自主的な移動が中心であったが、日本の移住は国策として推進されたものであった。明治政府は人口過剰問題や経済的困窮の解決を目的として移住を奨励したため、契約期間終了後の帰国を前提とする移住者が多かった。これにより、現地での長期的なコミュニティ形成が困難であったと言える。
2. 移民の目的の違い
華僑や印僑が商業活動を中心に行動したのに対し、日本人移民の多くは農業従事を目的としていた。都市部を拠点に商業ネットワークを構築した華僑や印僑と異なり、日本人移民は農村地域に点在し、地理的なまとまりがなかった。これにより、経済的な影響力を発揮するようなコミュニティ形成には至らなかったのである。
3. 同化政策と文化的背景
日本人移民は、現地社会への同化を重視する傾向が強かった。これは、移住先での差別や摩擦を避けるための選択であり、また、日本文化の「和」を重んじる精神に基づいている。このため、華僑が中国本土との結びつきを維持しつつ独自の文化を守り、印僑が宗教や伝統を軸に強いアイデンティティを持つコミュニティを形成したのに対し、日本人移民は現地社会に順応する道を選んだのである。
4. 人口規模の違い
華僑や印僑は、それぞれ母国から送り出された移民の規模が大きく、移住先で一定の勢力を維持することができた。一方、日本からの移民は相対的に少数であり、移住先でも分散して生活していたため、大規模なコミュニティ形成が難しかったのである。
5. 政治的背景と戦争の影響
日本は20世紀前半に軍事的進出を行い、アジア太平洋地域での緊張が高まっていた。このため、移住先の社会で日本人移民が差別や監視の対象となり、戦時中にはコミュニティが解体される事例も少なくなかった。このような政治的背景も、コミュニティの形成を阻む一因であった。
まとめ
華僑や印僑が移住先で独自のネットワークを築き、母国との結びつきを維持しながら現地で成功を収めたのに対し、日本人移民は個人の努力によって現地社会に同化する形で活動してきた。この違いが、日本に華僑や印僑のような海外コミュニティが形成されなかった主な要因であると考えられる。
日本人は、郷に入れば郷に従えというように、相手の文化を尊重する文化をもつ。日本人はワガママでなかったがために、和僑を形成できなかったのだ。