エステルの加水分解で結合が切れる位置は?
エステルの加水分解やアルコール交換反応の後にできるカルボン酸のOはどこ由来であるか?
機序はともかく結果だけなら高校の有機化学でも習うレベルの話かもしれない。
ただ、単純な問いにも芋づる式で復習していくのが効率的な勉強。
問題の導入が簡単な時ほど復習は深く細かくやっていくのが良い。
ここでは、この問いに答える上で必要なことを思い出しながら(脱線しながら)まとめていく。
ちなみに自分自身、有機化学は苦手で国試でもほぼ捨てていたような科目であったため、説明は冗長かつ感覚的なものになる。
まず疑問点を明確にしておきたい
今回知りたいのは「エステルの反応後にできるカルボン酸のOはどこ由来であるか?」ということであり、これは言い換えるなら「エステルの加水分解やアルコール交換反応で開裂する結合はどこなのか」ということ。
結論から述べると、H側ではなくカルボニル炭素との間で切れる。
よって反応後のOは、加水分解なら水由来、アルコール交換反応ならアルコール由来。
答えは①、たったそれだけのことであるが、このシンプルな問答に対してどこまで細かく理由を説明できるか。
理由を考えた時に、下に並んだ語句たちは頭に浮かんだだろうか。
また、反応機構はすぐに頭に思い浮かんだだろうか。
ただ、「こっちで切れる」とだけ覚えてしまったのでは意味がない。
答えは、『エステルのカルボニル炭素が求核攻撃を受けやすく、反応機構の途中でできる四面体中間体から-OR'が脱離するから』である。
これだけでは何言ってるのかよくわからない。
なぜ求核攻撃を受けやすいのか?なぜ-OR'が脱離するのか?の理由もわからない。
せっかくなので回り道して基礎から立ち返って復習していく。
ちなみに②で切れる勘違いをしてしまうのは、おそらくカルボン酸の解離イメージに引っ張られているから。適当なカルボン酸RCOOHだったら、RCOO-とH+に分かれるからそのノリで考えてしまう。でもこれが起こるのは、カルボン酸の電離後にできるカルボキシラートイオンが共鳴構造を取って安定化できるためであり、また、OとHの間の電気陰性度(電子の引っ張り合い)に差があることも要因の一つである。一方でOとCではそれほど大きな差はない。よって、普通のCとOの間で結合が簡単に切れることはあまりなく、切れるとしたらCに電子吸引性基がくっついていて電子密度が低くなっているようなときであり、まさにエステルのカルボニル炭素の状況である。
ついでに共鳴安定化についてもさらっと。
求核剤とか求電子剤とかのざっくりしたイメージについては以下の別noteにて解説。
それでは本題、まずエステルの加水分解について反応機構を見ていく。
エステル加水分解には酸による加水分解と塩基による加水分解がある。
酸性条件下でのエステル加水分解
エステルは過剰の水と強酸存在下でカルボン酸とアルコールに分解される。
このとき、酸は二つの役割を担っている。
カルボニル酸素をプロトン化し、求核攻撃に対するエステルの反応性を高めること
四面体中間体のアルコキシ酸素をプロトン化し、その脱離能をいっそう大きくすること
またも何言ってるのかよく分からない。
最初に起こるカルボニル炭素へのプロトン化の意味について考えていきたい。
ただ、さらにその前にそもそも酸性とは?プロトン化とは?というところから復習。
酸性とは?プロトン化とは?
まず酸性、もっと言うと強酸というのはどういうことか。
それは、プロトン(水素イオン、H^+)が多く存在するということ(『^』は乗数とかを表す時に使用する、ここでは上付き文字の代わりとして使用。例えば「2^3」って書いてあったら「2の3乗」を意味する。「H^+」は「エイチプラス」、つまりプロトンのこと)。酸性かアルカリ性かを判定するにはpHという指標があり、これは小・中学生でも習う。7が中性でそれより小さければ酸性、大きければ塩基性。
では、pHとは何によって決まっているのかというと、プロトンの濃度である。pHのpは-logを表し、-logHというのは日本語で言うと「負のHの常用対数」。Hというのは水素の元素記号であり、ここではH^+はプロトンのモル濃度を表すために取り敢えず文字として置いていると考える(わかりやすく表す場合、高校化学では〔H^+〕みたいにカッコを付けて表していた)。繰り返しになるが、pHとは、液中のプロトン濃度の負の常用対数値をとったものである。濃度の単位はmol/Lであり、例えば塩酸(HCl)のpHが1だったとするとプロトンが10^(-1)mol/Lあることになる。pH1はかなり強い酸性であり、プロトンが大量に存在することを表している。これはHClが水溶液中でH^+とCl^-に解離しやすいためである。
酸性条件下ということは液中はプロトンまみれということであり、プロトンが多く存在すればカルボニル酸素にもプロトンがくっつきやすくなる。
厳密にいうとこれが起こるのは『求核剤(ここでは水)の共役酸のpKaがカルボニル化合物の共役酸のpKaと同じくらいだから』である。もし求核剤のpKaが大きいものであれば、そいつがプロトンをごっそり持っていってしまうのでカルボニル酸素のプロトン化が難しくなる。
…この説明もかなり意味不明だと思う。
ここの解説は少し後にして、pHに引き続き今度はpKaとか共役酸の話から復習。
pKaと共役酸
pKaが小さいやつはプロトンをよく放出する。その逆でpKaが大きいやつはプロトンを回収しやすい。今、カルボニル酸素がプロトン化するかしないかという時に、カルボニル酸素よりpKaの大きいやつがいたらそいつにプロトンが持っていかれてカルボニル酸素のプロトン化が起こりにくくなる。このエステルの加水分解においては水が求核剤となるが、水の共役酸(H3O^+)のpKaはカルボニル化合物の共役酸のpKaと同じくらいだから、水にプロトンを取られすぎることもなく、カルボニル酸素のプロトン化は普通に起こるよね、っていうこと。
改めてプロトン化の利点
もともとカルボニル炭素は求核攻撃を受けやすい。
で、話は戻ってこのプロトン化の利点について。
プロトン化されたOの電子は多少ではあってもプロトンとも電子の引っ張り合いが行われる影響から、カルボニル炭素の電子をさらに引っ張り、カルボニル炭素の電子密度は低い状態になる。求核攻撃を受ける側は電子密度が低い方が攻撃を受けやすいので、カルボニル炭素は求核攻撃を受けやすくなる。カルボニル炭素が求核攻撃を受けることで反応は始まっていくので、求核攻撃を受けやすくする最初のプロトン化は反応を進めやすくしていると言える。
そうして求核攻撃を受けるとカルボニル炭素は二重結合を失い、結合の手を四つにする。この中間体は四面体構造をとっている。カルボニル化合物の付加・脱離反応を考えるとき、出発のカルボニル化合物は三方形構造をとっており、求核攻撃を受けた後は四面体の中間体を経る。この四面体中間体では電子の引っ張り合いが起こっていて非常に不安定な状態になっている。どこかの結合を切断してまたカルボニルの三方形になる方が安定するので四つのうちの一つの結合を切りたくなる。
どこでもいいなら求核攻撃を受けたところを切ってもとの構造に戻る可能性もあるのでは?とも考えられる。もちろん可逆反応でありもとの化合物に戻る可能性もあるが、四面体中間体からは脱離しやすいものが脱離するため、この場合、目的の反応物が得られる方向に進みやすくなる。その脱離能に寄与しているのが、またもプロトン化である。エステルでもともと結合していた-OR’のO部分(アルコキシ酸素)がプロトン化され、先ほどのカルボニル酸素と同様で電子の引っ張りが起こって脱離しやすくなる。これが先に示していた、エステル加水分解における酸の役割2つ目(四面体中間体のアルコキシ酸素をプロトン化し、その脱離能をいっそう大きくすること)である。
以上より、エステルの加水分解で切れる位置はカルボニル炭素とOの間であり、生成されるカルボン酸のOは求核剤としての水由来である。そしてそれは求核攻撃によりできる四面体中間体からの脱離能の違いによって説明される。ここまでは酸性条件下の話。
塩基性条件下でのエステル加水分解
塩基によるエステル加水分解は、酸触媒による加水分解とはいくつかの点で異なる。
まず塩基によって、水が脱プロトン化され水酸化物イオン(OH^−)になる。水のままだと弱い求核剤であるが、水酸化物イオンになると強い求核剤となる。これによって水酸化物イオンの求核攻撃が起こり、四面体中間体を経てカルボン酸ができる。このあたりは酸性条件下と同じように見えるが、塩基性条件では「プロトン化によって脱離基の脱離能を上げる」ということができなくなっている。水酸化物イオンもメトキシドも強塩基であり脱離能は小さい。よって段階1の反応は右へ進みにくく、逆反応も起こりやすい可逆反応であると言える。
では、どうやって反応が進んで最終的にカルボン酸が出来上がるのか。まず、前提としてカルボニル基の炭素と酸素の二重結合は強く、安定なものであり、かつ四面体中間体はエネルギーが高く不安定であるため、脱離能の小さい脱離基を放出する場合でもカルボニル化合物への変換は通常発熱反応であるということが挙げられる。つまり、四面体中間体のまま留まることはなく、左であれ右であれ反応は進む。そして、鍵となるのは段階2である。塩基性条件下では段階2のカルボン酸とメトキシドの酸塩基反応が非常に有利に働く。つまり、段階1で放出された強塩基のメトキシドがカルボン酸を素早く脱プロトン化しカルボキシラートイオンを与える。塩基性条件下で酸が作られたらすぐさま酸塩基反応で消費される、つまり段階1の反応右側にあるカルボン酸とメトキシドはどんどん消費されていくので、それを補うために段階1の平衡はどんどん右へ傾いていき、結果的にカルボキシラートイオンが生成される反応が有利に進んでいく。最後の仕上げにこのカルボキシラートイオンを酸性水溶液で後処理してやれば晴れてカルボン酸性生物が得られるというわけである。
なお、アルコールによるエステル交換反応も類似の機構で起こるため、結合が切れる位置は同じである。ここでは説明省略。
以上、エステルの反応で切れる位置はどこであるか、でした。
単純な疑問で、内容のほとんどが基礎化学の復習になってしまったが、たまにこうやって基礎の基礎まで思い起こさないと忘れてしまうのでいい機会になったと思う。化学はイメージや感覚が重要だと個人的に思っている。電子が非局在化していたら安定、とかをパッと構造見て何となくそう思えるようになるくらい「化学での常識」を感覚的に身につけると理解は進みやすくなる。後半に進むにつれてその常識が前提で話が進むので早いうちから慣れておき、定期的に基礎を見直すのが良いと思う。
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