文化祭の前日と耳の湿りと遺伝子と
高校生時代、シャイだったぼくでもそれなりの青春は送ってきた。
隣の席になった女子に消しゴム借りたり、隣の席になった女子に教科書借りたり、隣の席になった男子を無視したり。それなりの青春を過ごした。
もちろん文化祭の前夜にみんなでキャンプファイヤーをやるという妄想もしっかりとし。
楽しかったなぁ、文化祭。
ところで文化祭のメインは、文化祭の準備にあると思う。当日よりも準備の方がなんであんなに楽しいのか、あなた知ってますか?
どうですか、知っていますか?
そうです、それです。それが楽しいから文化祭の準備って楽しいのだと思う。さらにもう少し突っ込んで言うと、教室の端から端まで机や椅子をなぎ倒しながら担任の教師がぶっ飛び、それを助けようとした校長が宇宙の真理に引っかかるまでが楽しいのだろう。わかります。
ぼくは自分のクラスよりも隣のクラスが大好きで、準備中によくちょっかいを出しに行っていた。なぜなら、隣のクラスに好きな子がいたからだ。見た目はパッとしないが、誰かも人気のある女の子だった。
確か名前は「サグラダファミリア・ピョコ子・サンジェルマン茂」みたいな名前だったような気がする。20年以上前のことなので、違っていたら許してほしい。
でも結局その子とは何も起きず、ぼくは地中深くに埋められることになってしまうのだが……。
※それはそうと
ぼくは青春時代に、やり忘れたことがある。
ひとつのイヤフォン(以後、イヤホン)を、女子と片方ずつ共有して使うことだ。
左のイヤホンがぼく、右のイヤホンがあの子。曲は当時流行っていた「野猿feat.CAの曲」だ。
夕暮れの教室、文化祭の準備もあらかた終わった。本来なら下校の時間だった。しかし、先生たちのはからいで、一生の思い出となる時間を仲間たちと過ごしていた。
ベランダで黄昏る不二雄。
黒板に落書きをするフジコ。
こっそりタバコを吸うF。
今日くらい先生だって許してくれるはずだ。
おれは少し離れた窓際の席に座って、校庭を見ていた。
机の上に置いたMDウォークマンがオレンジ色の光を反射して、頭ん中では野猿が響いている。
「Be cool」
いつもの癖でつぶやいてしまい、おれは少しだけ体温が上がった。
ふと気がつくと、前の席に詩織がいる。
背もたれを抱きかかえるようにして座り、ニヤついた顔でおれを見ていた。
「なんだよ」
「ふふっ、べつに」
いたずらっぽく笑う顔が、いつもより大人びて見えた。おれは自分の心臓が少しだけ早くなるのを感じ、なぜか姿勢を正した。
詩織とは幼馴染であり、幼馴染ではなかった。今日出会ったような気もするが、幼稚園から一緒だったような気もする。
詩織はまだおれを見ていた。
その視線が何を意味するのか、おれにはわからなかった。いや、正確にはこのときのおれでは理解できなかったというべきか。あと二年、年を重ねていればと今でも思う。
詩織の視線から逃げるように外を見て、おれはもう一度、野猿のBe coolを最初から再生した。
詩織をわざと無視して口ずさんでいると、肩をこづかれた。
チラと見る。もちろん詩織。
「なんだよって」
「何聴いてんの?」
詩織の顔がぐっと近づく。
おれは大げさに避けようとして窓ガラスに頭をぶつけた。
「なんでもいいじゃん」
「どうせモー娘とかでしょ?」
「モー娘じゃねーし」
「じゃ、なによ」
「───野猿だよ」
ひひひひひひひひひひひ。詩織は口の両端を耳まで近づけて笑った。
「確かに、野猿みたいな顔してるもんな!」
「うるせぇなぁ」
おれは詩織が好きだったのかもしれないと、今でも思うときがある。いつも一緒にいたわけではないが、記憶のところどころに詩織がいる。ふたりで遊んだり、電話をしたりということも無かったがそう思えて仕方がないのだ。
文化祭の前日、初めてキスをしたが本当にそれだけで、それだけだった。
気がつくとイヤホンからは「野猿feat.CAのFirst impression」が流れていた。
おれは自然と片方のイヤホンを外し、
「聴いてみ」
詩織の手にそっと置いた。
……
っていう感じのこと、やりたかったなぁ。あー、やりたかった。間違いなくやりたかった。
こいつはぼくのこと好きだろうな。そう言われたことはないけど、どうみたって僕に好意あるもんな。告白したら確実にいけるんだろうな。
みたいな相手とイヤホンを片方ずつ共有して野猿を聞きたかった。でもできなかった。
なぜなら、おれは、耳くそが湿っているから!
耳くそが湿っているとどうなるか知ってるか!
イヤホンがベトベトになってんだ!
一日中使ってみろ、夕方にはベトベタンに進化だ!
モンスターボールを喰らえ! ばか!
好きな子にベトベトのイヤホン差し出せるわけないじゃない。
「聴いてみ?」とか言えるわけないじゃない。
イヤホンがだめなら、ヘッドホンはどうかなと思ったこともある。ヘッドホンの耳の部分がぐるっとなって反対向きになるタイプのやつあるじゃん。あれならいけるかと思った。でもだめなんだよヘッドホンじゃ。
ものまねグランプリの審査員にしか見えないんだよ。
夕暮れの教室で、ものまねグランプリの審査員やってるやつはキスできないよ。
優勢とはなにか。湿りとは。
ぼくは、この湿った耳くそを一生背負わなければならない。だからこれからもイヤホンの共有はしない。
この耳にアポクリン腺が多くある限り、ぼくは湿り続ける。しかし、それでも生きよう。
これが、太古の昔から引き継いだぼくの遺伝なのだから。
ちなみに文化祭の話は9割うそ。知り合いに詩織なんていない。詩織はぼくが好きだったゲームのヒロインです。ありがとうございました。