「世界がもし100人の村だったら」
私は大学時代法学部で専攻は国際関係法。
学び始めて思ったこと。
200以上の宗教観・経済観・発展度が違う国々を
おなじフィールドで横並びにすることは
到底無理だろう、ということでした。
国際法は実際のところ拘束力はないし、
条約と国際司法裁判所が決めた国際慣習法にのっとって
「良い」とか「悪い」が決まっていく。
でも守ろうという優先度はとても高く、
なんとも変な法です。
子どもの頃の私の夢は、
「ユニセフで働いて困っている人を助けること」でした。
キラキラ輝くヒーローになりたかったんです。
なんなら「世界平和」を普通にかなえたいと思っていた。
でも、「大人」が近付くにつれて
それがとんでもなく大変なことだと気づき、
それでもとりあえず昔の夢に近づけるように
法学部に進んで国際関係法を学んだけど、
結局私は修士にも進まなかったし、
インターンすらチャレンジしなかった。
すこーしくらい関係あるかな?程度の就職先を選び、
私はすこーしも希望していない報道局に配属された。
そんな私が子どもの頃、感銘を受けた本がある。
「世界がもし100人の村だったら」
という本。
同世代の人だったら1回は見たことあるかもしれないですね。
私は小学生の時この本に出会いました。
そして自分がいかに裕福な暮らしをしているのか、
ということを知って絶句したことを今でも明確に覚えています。
小学校の活動の一環で
「ユニセフとの共同事業」というのがあって、
私は代表委員という委員会の委員長をしていたので
なんだかより身近に感じて、
私がこの「恵まれない子供」を救ってあげるんだ!
と幼心に強く思ったのです。
熱心に何度も何度も本を読みました。
薄くてイラストの多い本だったけど、
何度も何度も読んだ。
インターネットでいろんなことを調べた。
「戦争」「恵まれない子供」「ユニセフ」
そんなキーワードを打って読み込みまくった。
そんなある日、6つ上の姉にふと
「この本読んだ?」と聞きました。
その時姉は高校生でした。
「読んでない。
それは自分のことを幸福だと思っている人が書いている本。
自分のことが裕福だと思っているから書ける本。
貧しい国に住んでいる人は裕福を知らないから
自分が貧しいということもわかっていない。
戦争しかしらない人生の人は、
平和に憧れることすらもないかもしれない。
私たちが朝起きて準備をして学校に行って
友達と遊んで夜ごはんを食べてお風呂に入って寝るように
彼らは朝起きて拳銃をもって戦地に出向いて
友達の亡骸を運びながらも他人を殺して夜は眠るんだから。
その立場にならないと、
その立場がどういうものかなんてわからない。
相手を可哀想と思うこと自体がエゴだ。
可哀想かなんてその人にしかわからない。
だから私は読まない。」
私はそれこそ拳銃で撃ち抜かれたような気分になりました。
そんな風に考えてみたこともなかったから。
そうか、私は、気づかぬうちに
衣食住に困らずに裕福に暮らしているから、
行ったこともない国の
会ったこともない人のことを
勝手に「可哀想」と思っているのか。
それは「見下している」ということなのかもしれない、
「価値観を押し付けている」ということなのかもしれない、
と深く考えました。
でもやはりどんなに調べても
・人が人を殺す
・学びが平等ではない
・生まれた時から人生が決まっている
そんな歩みを送っている会ったこともない人たちを、
私は「なんとかしてあげたい」と思っていました。
大きくなって、
さすがにイラクやアフガンには立ち入れなかったけど、
「発展途上国」と呼ばれる国に何度も渡航しました。
姉は自分の言葉をとっくに忘れていたけど、
あの言葉は私の心にいつも刻まれていました。
だから「自分の目でちゃんと見よう」と思った。
文字で見たものだけではわからないから。
ある国では、
地雷が埋まっているすぐ目の前に立った。
地雷があるとわかっているのに、
取り除くお金がないそうだ。
そんなことってある?って思った。
ある国では、
銃弾の傷跡が生々しい聖地を訪れた。
こんなに素晴らしい建造物に
銃弾を撃ち込む、というのは
どういう心理だろう?って思った。
ある国では、
子どもが何人もいて上の子しか
学校に行かせてあげられないんだけど
家族みんなで暮らして幸せという
お母さんとお話しした。
とても笑顔だった。
行けば行くほど、
お話を聞けば聞くほど、
寄り添うなんて、助けるなんて
簡単に口にしてはいけない。
だって彼らはすでに必死に生きているから。
それをどんな立場で何様で
「助けてあげたい」と言えるのだろうか。
あぁ、エゴなんだと思いました。
「私に何かを変えることは恐らくできない」
普通にそう思いました。
話の規模のレベルが違いすぎました。
例えば、私がこの土地に住んで、
数年をかけて1つの地雷を取り除いたとして、
あと地雷は何個あるのだろう。
その間に何人の子どもが文字が読めず、
そのエリアに立ち入ってしまうのだろう。
足を失ってしまうのだろう、
もしかしたら命を失ってしまうのだろう。
私がその1つ1つに悲しみ暮れている間も
その土地に住む人は
「家族で過ごせて幸せ」と笑っている。
その現実と理想のギャップに
私は耐えられないだろうと思った。
正直想像しただけで目がくらみました。
私はそこで歩みを止めました。
正確に言うと逃げました。
最初に書いた通り、
JICAに就職したわけでもないし、
国際機関に就職したわけでもない。
1つの民間放送局の報道局に勤めた。
私は日本という平和な国に生まれ、
平和な暮らししか知りません。
戦争を見たこともありません。
戦争で大事な人を亡くしたこともありません。
学校でたくさんたくさん勉強したけど、
戦争がいいことではないということしかわからなかった。
どうして戦争しているか理論上は分かっても
納得はできなかったし、
**万人の犠牲者がという数字の後ろに
何人の家族がいたんだろうと思うと、
途方のなさに絶望もした。
「話し合えばいいじゃん」それに尽きるんだけど、
一度振りかざした拳を下すことって
もう、できないんだなとも思った。
それでも私は
80億人いる人間のたった1人でしかないけど、
平和を望みながらも、
何もできないたった1人でしかないけど、
どうかどうか、
同じ時代を生きている人たちが、
理不尽に命をなくすことだけは、
なくなってほしいなと思います。
学びは平等になってほしいし、
性も平等であってほしい。
生まれた家柄で何かが制限されるなんて
もうあってほしくない。
世界がもし100人の村だったらの中に
こんなフレーズがあります。
and most important, because you are alive.
ー 何よりも大切なことは、あなたが生きているということです。
命を差し出しても平和はこない。
平和の形は1つじゃないけど、
どの形の平和もきっと会話の先にあるものだと思うから。
命の対価ではないと思うから。
アフガンでの出来事を見て、
背景にある事象が深すぎて
浅はかな私は何も言葉にできないけど、
どうかみんな今日を生きていてほしいなと思います。