プールの授業をさぼった日
これまでの半生のうち、記憶から抹消したいエピソードがもっとも多いのは中学時代だと思います。体を動かすこと自体はべつに嫌いではなかったのですが、体育、特に学校併設のプールでおこなわれる水泳の授業がダメでした。そもそも全く泳げないうえに、その惨めな姿と餓鬼のように痩せた裸をクラスメイトに晒すことに自意識が耐えられず、コンスタントに仮病を使って凌いでいました。
自分のこころがもっと豪快だったら全ての水泳の授業を仮病でやり過ごせたかもしれないのですが、あいつまた休んでるよ、どうせ嘘でしょ。といった別の嫌な目線を感じるようで、それをずっと続けることもできず、毎回苦しい選択を迫られていました。
中3の夏のある日、国語のあとに体育。前回の授業の終わりに、次の授業では泳ぎのタイムを測ると伝えられていました。先生たちにとっては、このクラスには泳ぎの遅いやつはいても泳げないやつはいないのであり、全員が計測の対象でした。
自分は1年2年と苦しいプールの授業を経験しており、「測る日」というのは一人一人がみんなの前で泳ぐため、泳げなさがたいへん際立つ最悪の日であることを知っていました。
女子はプール横にある更衣室で、男子は教室に残って水着に着替えるのですが、その日は仮病を使うわけにもいかない気がして(「測る日」なので)、考えぬいた結果、授業に出ないことにしました。プールに行かない、ということです。男子たちが着替えている間にトイレに行き、彼ら全員がプールに向かったところで戻り、1コマの間、誰もいない教室の床に膝を抱えるかっこうで座っていました。
体育の授業では必ず点呼をします。今日は誰が欠席していて、誰が見学しているのか。自分は、それまでの授業には普通に出席していたのに、体育になったとたん行方不明になったわけです。
もしかしたら、クラスメイトの誰かが体育の先生に「いっちー(当時のあだ名)、さっきまで学校にいましたよ」と伝えていたかもしれません。体育の先生は肌が黒くて体が大きく、大きな声で生徒を怒る人でした。担任の先生も野球部の顧問で、同じような怖さがありました。こんな行為、バレないわけがないし、どんなふうに怒られてしまうのだろう、と一旦ひんやりしましたが、そのあとは何も感じなくなっていました。むしろ、自分が普段どんな心持ちで授業に出たり出なかったりしているか、説明する機会になるのではないかと思いました。先生はマッチョな人だから「甘えるな」とか言われるだろうけど、もうどうにでもなればいいと思っていました。
結局どうなったかといえば、「市根井、お前何してたんだ!」と先生に怒られることも、「いっちー、どこにいたん?」とクラスメイトから聞かれることもなく、なぜか誰にも全く言及されないまま次の授業が始まり、その日が終わり、そのまま中学を卒業しました。
クラスメイトはともかく、先生はなぜ何も言わなかったのだろう、なんでこれが通っちゃうんだ、と不思議に思いました。あえて何も言わなかったのかもしれないし、本当に気づかれなかったのかもしれないですが、自分にとってはそれがとても助かりました。
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