「書けるAI」のいる世界で、ライターはどう働くか? Notion AIを仕事で使ってみて感じたいろいろなこと
Twitterか何かで、AIチャットによる文章を電子書籍にしたものが、すでにKindleで売られ始めているらしいという話を見た。なんかやばそうだなと思った。自分の仕事のうち半分は文章を書くことだから、今後の働き方は大きく変わる気がする。
ということで、自分もNotion AIというサービスを使ってみて感じたことをメモしてみた。
Notion AIとは…Notionが開発した自然言語処理技術を用いたAIアシスタントです。ライティングや編集、情報収集などの業務において、効率化を図るために使用されます。ただし、完全に人間に代わって業務を行うことはまだ難しいため、人間とAIが協力して仕事を進めることが重要です。(Notion AIによる解説)
AIのすごさ①「最初の一歩」がかなり楽になった
「上の情報をもとにインタビュー記事を書いて」と指示すれば、メモから記事ができてしまう。追加注文すればタイトルや見出しもつけてくれる。これはすごい。
ライターにとって「書き出すこと」は大きく苦しむポイントのひとつである。煩雑なメモと真っ白なドキュメントを目の前にして、ウーンと唸りながら一文目を打ち込む、このストレスから解放されるのは本当に大きい。
「とりあえず書き上がっている記事(っぽいもの)」の”クオリティを上げていく作業”のほうが、脳への負担が圧倒的に少ない。
AIのすごさ②校正、リサーチ、要約スキルは現段階でも使える
「校正」をしたいとき、めちゃくちゃ楽になる。これまでは「”確信犯”って、この意味で使っていいんだっけ?」などと思ったとき、正しい言い回しや単語を検索する手間があった。しかし、AIはとりあえず正しい言葉づかいで文章を成立させてくれる。
また、取材の前後で取材先についての簡単なリサーチをしなければならないことがある。そんなとき、いろんなページの情報をかいつまんでいく作業が必要だったわけだが、それはAIが得意とする分野だ。
たとえば、四万温泉で作られているクラフトビール「四万温泉エール」について情報をまとめて、と指示すれば、こんな情報を吐き出してくれる↓
ちょっと情報量が少ないな、と思ったら、「長くする」を選択することで四万温泉の温泉水の特徴などにも触れながら詳しく解説してくれる。
AIのすごさ③実は「おもしろい文章」も書ける
では、AIは「正しいけどつまらない文章」しか書けないのかといえば、そんなことはない。長い文章を会話形式に書き換えてくれたり、AIによってはジョークが書けたりする。だから、単純に「おもしろい文章は人間の仕事」というわけでもない。
フィクションを書くことも、実は得意。
以下は、適当な設定をもとにドラマの脚本を書いてもらった結果だ。
文章作成AIが奪っていくもの
ネットにある情報をもとにしたリサーチ
文章の校正、正誤チェック
長文の要約
表面上正しいように見える文章の作成
このような、編集者やクライアントが「めんどいから外注しよう」と思ってライターに発注してきたような仕事は、今後はAIと協力して自力でやってしまったほうが安いため、発注されなくなっていくと予想される。
たとえば、こういう仕事がそうかもしれない。
他のサイトを参考に、情報を切り貼りして作る記事
よくある求人広告のテキスト
歴史上の事件を取り扱ったYouTubeの台本
僕自身、こういった「”正しい文章力”だけでできる仕事」で命を繋いできた経験があるから、これが仕事として成立しなくなることで困る人も出てくるのではないかと思う。
AIの限界①まだ間違う
AIの生成した文章は、まだまだ間違いが多い。これは人間の手で直す必要がある。
論理的な間違いもあるし、何よりもヤバいのは、足りない情報を適当な検索結果から補完してしまうことだ。インタビュー相手が言っていないこと、事実と違うことを平気で盛り込んで、見た目上成立させてしまう。
たとえば、取材メモの一部がごっそり無視されることがある。インタビュー時に大事だと思った部分があっても、それを全く使わずに記事が「できてしまう」のは、もったいない。
だから、「本当にちゃんとした文章が欲しい場合」、AIだけでは成立させられない。やはり、生成された文章が大丈夫かどうかを最終的に判断するのは人間にしかできないから、結局判定者である人間は必要。
(ただしこれらは、徐々に解決されていく課題なのかもしれない)
AIの限界②ネット上にある情報しか参照できない
AIは、ネットの外にある、あらゆることを知らない。誰かの頭の中にしかないこと、紙に書いてあることを言い当てることはできない。だから、よりAIの精度を上げ、情報量を増やすためにも、まず最初の書き手になる人間が必要。
細かなニュアンス、たとえば会話している人同士の関係性が垣間見える喋り方のくせ、単語の選び方などがすべて”平されて”しまう。表現が正しすぎるゆえに、文字情報しか伝わらない文章になる。
AIの限界③新たな文脈が生まれない
これまで、いくら客観的に書かなければならない原稿だったとしても、ライターとしての自分の思想が介入してしまうことは避けられなかった。
例えば、自分が大事だと思った部分を丁寧に書いたり、ダイナミックな言葉遣いをしたりして、重点的に読ませようとすること。
例えば、経営者インタビューで「最近の若者は全然チャレンジしないから俺たちが頑張って…」みたいな言葉を記事にするとき、「若者がチャレンジしやすい環境を作るために…」といった具合に編集を忍ばせて、経営者に「僕にはこう聞こえました」と暗にぶつけること。
これがなくなると、話者と別の人間が書くことで生まれていた複雑性がひとつ失われることになるし、文章にリズム感がなくなる。
AIの限界④責任の所在が曖昧になる
「そこまで大層な文章は求めていない、綺麗にできていればそれでいい」という人もいる。
ライターがこだわりを持っていても、お客さんはそこまでこだわっていない……僕自身、そんな経験があった。
じゃあ、そんな仕事は全部AIに任せればいいのかというと、ちょっと危ない。
文章に限らず、誰が責任を持とうとしているのか?は全ての仕事において重要。
ミスしたときに対応する者、成功したときに利益を享受する者、責任の中で自由にやれる者は誰なのか。
実際のところ、制度上、失敗した場合は「責任者」が責任を「取る」のかもしれないが、そういうことではなくて、「自分の仕事だ」と堂々と言える人の所在について考えたい。熱意のある人と言い換えてもいい。
その仕事で誰かを傷つけていたり、本質を掴んでいなかったりしても、「いや、これAIがやったんで」と逃げることができてしまう。
「責任を持って仕事をする」こと、具体的には「自分のできていることやできていないことを分析し、反省し、努力する」というナラティブから遠ざかるのは、もったいないと思う。
ライターや編集者の仕事
今後もAIによる文章作成がどんどん進化していって、細かい不満は解決されていくのだと思う。それも、思っているよりも全然早く。では、人間の書き手にしかできないこと、つまり文章に関わるライターや編集者には、今後どんな役割が残されているのか。たとえば……
ネット上に存在していない情報の「最初の書き手」になること
AIが作成した文章の正誤判定・修正をし、その文章の責任者になること
リズム感やムラのある文章を作り、AIに負けないくらい読み手を楽しませること
個人やチームの思想を文章に介入させることで新しく文脈を作り、社会に少しずつ影響していくこと
こうして書いてみると、手触りがあるというか、しめりけを感じる仕事だけが残った感じがする。しかも、こっちのほうが楽しそうな感じもする。
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