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埼玉にラーメンを食べに行ったらパンが焼けた

予定

・目的地
埼玉県新座市
・日程
午前出発 日帰り
・旅の目的
人気店のラーメンを食べること
・所持金
5000円

実際

・行った場所
埼玉→東京(板橋)→山梨
・日程
1泊2日
・壊れたもの
原付
・食べたもの
ベーコンレタスバーガー
ポップコーン
クリームパン
牛めし
・焼けたもの
ネオバターロール

このような旅行をしたことがある。



10年以上前のこと。大学受験に対するモチベーションが終わっていたおれは、絶対にそんなことをやっている場合じゃないのに原付で埼玉へラーメンを食べに行こうと計画した。「計画した」とはいっても群馬と埼玉を往復するだけであるし、思いつきの日帰り旅行なので、今思えば気楽なものだった。

目的地は埼玉県新座市にある「ぜんや」。埼玉で食べられる塩ラーメンの中ではトップクラスの人気で、殿堂入りの店と評されていた。群馬で言えば「支那そば なかじま」みたいな感じだと思う。

イカしてやがるぜ

乗っていた原付は、キムコという韓国メーカーの「スーナー50ss」。うるさいが加速は良く、かわいげのあるバイク。人生で初めて手にした原動機付きの乗り物ということもあり、本当に毎日乗っていた愛車だ。

🛵

群馬県前橋市から埼玉県新座市へ。原付は高速道路を走れないため下道で行くことになる。片道90km弱、自動車で行けば約2時間の道のりだが、50ccなのでパワーが小さいし、そもそも原付の法定速度は時速30kmだからもう少し時間がかかる計算になる。

ちなみに当時は実家暮らし、そしてバイトをバックレたばかりで、所持金は5000円だった。クレジットカードは持っていないし銀行口座の残高も1000円未満。つまり、本当にこの手持ちの5000円だけで戦わなければいけない。

ラーメンは1杯せいぜい800円くらいだし、原付は比較的燃費もよいため何度か給油しても間に合うだろうという算段だった。金も計画性もない。持っていたのは「おいしいラーメンが食べたいな」の気持ちだけだった。

バイクに乗る時は長袖を着た方がいいです。危ないので

途中コンビニで休憩を挟んだり、「埼玉入った!」などとツイッターに書いたりしながら、また「トッピング何にしようかなァ!」「人気店だし行列すごいんだろうなァ!」といった期待や想像をしながら運転し、「ぜんや」に到着したのはなんと16時ごろだった。

当然ランチ営業は終わっており、店頭には「スープ切れのため本日の営業終了」との掲示。当時はどうだったか不明だが、現在、人気店である「ぜんや」は昼しか営業していない。ではなぜこんなに遅くなったのかといえば午前10時過ぎに実家を出発したからだ。高専に通っていたのに「じかんのけいさん」もできないんじゃあ、ねえ。リベラルアーツって大事なんですね。

🍔

とりあえず腹は減ってしまっているので、周辺のマクドナルドで220円のベーコンレタスバーガーを食べながら今後の動きを考えることにした。

せつないですね

マクドナルドはいつだってうまい。しかし、いつだってうまいからこそ、旅先になったとたん食事の選択肢から真っ先に外されがちなのだ。だから一周回って大冒険のあとのマクドナルドは「良い」とも言える。そんなことないか。ラーメンが食べたかったね。

ネットカフェ等に泊まって翌日「ぜんや」に行くのはどうか、とも思ったが翌日は定休日。新座市にある他のラーメン屋に行くのも、それはそれで何かに負けた気がする。

ここで帰っておけばよかったものを、おれは諦めなかった。せっかくガソリン入れたし東京に行くか…という謎のもったいない精神を働かせ、板橋・成増のネカフェに泊まることにした。1日目の走行距離は145kmだった。

樹林公園という場所で一休みしていたときの写真。セミがめちゃくちゃうるさかった

ネットカフェに到着したのは20時。プランの関係で朝4時に起きねばならないが、実は初めてのネカフェ宿泊で、入眠までにかなり時間がかかった。隣のブースから漏れ出るいやらしい音声は思春期の脳を刺激してくるし、防犯のためか深夜になっても薄ら明るい。ネカフェに寝泊まりしている人って本当にすごいんだなと思った。23時ごろ夕食としてポップコーン(150円)を購入し、なんとか眠りにつく。

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寒くて3時に起きる。田舎根性あふれる当時の朝のツイートがこれだ↓

※この記事を書くためにスクショしたので現在のプロフィール画像になっています

そのまま眠れず、予定通り4時にネカフェを出た。

人生で初めて経験する東京の早朝は、寒かった。半袖だったからだ。ギリ耐えられるが、若干ムカつくくらいの寒さ。なんかゴミもすごい散らばってたし、遠くで男が大声で何かを叫んでいる。これが東京か。

本当に一人でここまで来たんだな。そんな感覚に興奮を覚えたおれは、またもや突然の思いつきで少し背伸びした場所へ行きたくなった。近場のツーリングスポットを検索して、なんとなく奥多摩湖を目指してみることにした。奥多摩湖がどのへんにあるのかは全く知らなかったが、おれにはGoogleマップがあるし、名前を聞いたことはあるので大丈夫だと思った。

すき家で朝食を食べようと思ったが取りやめ、セブンイレブンでパンを買った。綺麗な湖を見ながらパンが食えれば、今回の旅は無駄じゃなかったと思える気がしたからだ。

さすがにガス欠を恐れ、あらためて満タンに給油して奥多摩湖を目指した。所持金は1000円程度になり、時刻は朝5時前。まだ薄暗く、それに寒い。過去に山道を走った経験は一度だけあったのだが、それは赤城山で遭難しかけただけなのであり、自分で選択して走ったのは初めてだった。

走り進めると山はどんどん深くなり、視界は灰色から徐々に緑色へ変わってゆく。東方向に走る時は太陽がまぶしくて応えたけれど、朝のフレッシュな風を切りながら孤独に湖を目指す、この状況はかなり気持ちがよかった。なぜか味覚がおかしくなり水筒に入れていたアクエリアスが麦茶の味にしか感じられなくなるなどしたが、そんなことはどうでもよかった。

着いた

到着は8時。気付けば3時間以上ノンストップで走り続けていた(信号では、停まったよ)。不思議な幸福感があり、ほとりでクリームパンを食べた。

これにて満足、お疲れ様でした、なんだかんだ色々あったけど良い旅でしたね……と終われば一件落着なのだが、おれは若かった。

案内標識には、山梨県の表示。山梨なんて本当に行ったことがない未知の世界だ。もう行けるところまで行ってしまおうか。思えば高専を1年半で中途退学し、家族には受験頑張って大学入るからと言ったが「勉強」自体がアレルギーのようになっており、意気揚々と買ったものの一度も開かなかった参考書と過去問の綺麗な表紙を眺めながら毎日ため息をついていた。でもそれは、逃げてきただけだ。自分の選択に、人生に、覚悟が持てていなかっただけなのだ。

今、おれは自分の意思でここに居て、スーナーちゃんに跨っている。金はほぼ尽きた。しかし、走ることしかできないなら、走ればいいんだ…………

案内標識に「伊豆」と書いてあるのが見えて、怖くなっちゃって帰ることにした。伊豆ってあの伊豆?海じゃん。海ってもうそこなの?もしかして今かなりやばい状況?まだ10代の小僧、赤城山での遭難未遂を思い出し、すぐさま来た道を引き返したのであった。

🥯

ボロボロになりながら、あきる野市のすき家で牛めしを食べ、自宅を目指す。所持金は500円程度になったが、なんとか持ちこたえた。

帰路の途中、信号待ちで「なんかいい匂いがするな」と思ったら、食べずに残していたネオバターロールがバッグを貫通して焼け焦げていた。というのも原付のメットインにバッグの持ち手を噛ませ、ハーレーのサイドバッグみたいに運用していたからだ。マフラーの温度は数百度なので、かなり美味しくなっていた可能性がある。

愚か者

無計画な旅路はこうして幕を閉じた。帰宅は16時。早朝からほとんど走り続けて2日間の合計走行距離は383kmだった。水曜どうでしょうの神回?

スーナーはその後数日間は乗ることができたが、無茶な加速などもしていたのでエンジンが破損していたようだった。ちょっとかっこいい散り方すんな。

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