ハガネの小鹿が砕けぬように(3)
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それから4人は思わぬ足止めを食らうことになった。つまり例の【四界嵐】がモールを包んで離さなかったのだ。聞いていた通り端末での庁舎との連絡はできず、またモールの外に出るのも困難だった。幸運というか、【四界嵐】にたびたび見舞われる函館ならではなのか、モールはアーコロジーとしての機能を持っており、避難してきた周辺住民を迎え入れて、ややも活気ある様相となっていた。
「ワタシが積んでいる反応炉は重力圧縮による超高温高圧を利用するタイプなので」と国分寺。エンジンに不調があったら何が起こるかわかったものではない。なので外には出られない。
そういうわけで、およそ2日間は無益な楽しい生活となった。大浴場で泳ぎだす和泉、ボード・ゲームのルールを覚えていくホロウ、物資が有限なので必死に食欲を抑えながら蟹しゃぶを食む国分寺、枕投げで全員に勝利する夜八。
夜八は区画役所の妙な職員たちの事が――どう考えても不審な、暴力的な職員のことが気になったが、モールの住人に話を聞くのは得策でないように思われたので、回収班のメンバーに耳打ちをしてこっそりと住人の様子を伺った。けれども手や胸元や背中に高波の絵の刺青を持つ住人は見えず、区画役所以外であの青黒い波がうねった絵を目にすることはなかった。
念のため嵐が過ぎたら庁舎のフェリックスに話を聞いてみようと思いながら、夜八はふかふかの羽毛布団の中で皆と一緒に目を閉じた。
“ああ、あの場で自分が閉じ込められたのは、自分が捌きやすい小娘とでも思われたのだろうか。”と、あの時他の環境課員のように“動けば”よかったのだろうか。とも思いながら。――けれど、たくさん食べて眠ったら、そういう気分は露と消えていた。
ようやっと【四界嵐】が明けると、4人はフェリックス宛に函館の区画役所と治安のよくない職員について報告し、ナナカマドの採取のためにバスでしばらく内地の方へと向かい、さらに徒歩でしばらく白銀の道を歩いた。じゃりじゃりしていた雪の感触は次第に粉っぽく細かいものとなり、区画役所で調べ聞いたそれらしい林に差し掛かるころには、雪はさらさらの砂のようなものに変わっていた。
背の低い草と凍結した石を踏み抜いて眺める林の様子は奇怪であった。樹氷に覆われた木々の向こうには雪一粒すらついていない細身の樹木が立ち並び、林の奥へ奥へと進み目をやるたびに周囲は暗くなっていった。「まだおやつを食べる時間ですらないのにこの暗さですか……!」和泉が言う。前日の和泉はほぼ一日中おやつを食べていたので、聞いた夜八はおやつの時間がいつなのだろうと考えた。
そして夕暮れかと思うほど赤に傾いた日差しの中で、一匹の大きな哺乳類が現れる。
「キミがカシオペアですか」国分寺が薄く笑う。
カシオペアは、一見巨大な体躯以外はほとんど映像資料や図鑑で見たことのあるニホンジカと変わらないように見えた。滑らかな毛並み、伏せたような憂いのある瞳。だがその頭上には、幾多もの人間の手のひらと指のような突起を備えた、くすんだ金属の色を持つ長大で絡み合った角を戴いている。
和泉がよく見ようと体を横に傾けたとき、数メートル先にいたカシオペアが突然4人の方向を向いて、視線を完全に固定した。毛並みには大きな円形の模様が浮かびあがり、その金属の角が「ぎしり」と音を立てる。
「こんにちは!」と大声であいさつする和泉を慌てて3人は抑えたが、気が付くとあたりには大きな影がいくつも立ち並び、最初に現れた1頭目の周囲に次々と集まっていく。――優雅に歩きながらも、その視線はずっとこちらに向けられている。全ての個体がきっちりと顔をこちらに向けて動いている。
「見えますか」「はい」機角の少女と青髪のアンドロイドが小さく指をさす。
そう、カシオペアの群れは4人に対して壁を作っていた。その向こうには赤い葉を付け、ガラスの切片で覆われたかのようにギザギザの輪郭に屈折した木々があった。それだった。つい3日前に話を聞いただけでしかなかったが、光を屈折させているのは間違いがなかった。これが重化ナナカマドである。そう4人は確信した。
「皆さん!お美しい角、ですね!」と、気づくと和泉がカシオペアの1頭――小柄な1頭に歩み寄っていた。「どうしてそんな形になったんですか?なぜそんな指のような構造を?」ぎょっとする間もなく話を続ける。そうすると、“その小柄な1頭が、鋭利で長大なその角をからめとるように振り回し、和泉童子の柔らかな肢体が、細い首が、愛らしいその顔が見るも無残に引きちぎられて”
「危ないですね……」と国分寺は言って、雪の煙を伴ってホロウの隣に着地した。腕には和泉童子が抱えられ、きょとんとした顔をしている。
夜八は一瞬目に見えたカシオペアの角の軌道とその予測に呻き、ふらりと足をもつれさせる。それを見て「大丈夫ですか」とホロウが声をかける。少し頭を振って、少女は角を撫でる。頷く。
「では、向こうにあるのがナナカマドという事でいいんですね」と国分寺が向き直り、陸上選手のようにとんとんと足踏みをする。それなりに雪があるのでもう少し足がとられそうなものだが、彼女にとっては大したことのない問題のようで「ヨーソローです」と駆け出す。
駆け出して、舞い上げられた雪の向こうでは数頭のカシオペアの角が網のように広がり、それが丁寧な編み物のような軌道で国分寺に迫った。夜八は角に注視する。右、左、右、右、左、右……。
そうすると途中で後ろ宙返りをして国分寺が帰ってきた。着地でずるっと体勢を崩し、コートの裾の裂け目が見える。
「ぷおちゃん!」と和泉が驚く。大丈夫ですよと片手をあげて「2速では足りないようですね……」と、彼女は低い姿勢を取った。
そうすると脚部の装甲板の隙間から青い光が漏れ出し、周囲の雪が見る間に溶けていく。「4速で“音”になってみましょうか」立ち上る水蒸気と熱による陽炎が彼女を包み――「だめですよ!」と、夜八に止められる。どうして?
「どうして?じゃないです。音速なんかになったら衝撃波でカシオペアに被害を与えてしまいます!」「いや、私たちが先にバラバラになるんじゃないですかね……」と付け足すホロウ。
なるほど。と国分寺は立ち上がり、脚部の光が消える。溶けた雪は凍り付いて周囲が氷の板のようになっていく。「考えが及びませんでした」と足踏みをして、その氷をぱりぱりと割り砕く。
すっと和泉が前に出て「きっと、まっすぐ行くからいけないんですよ!側面から行けば……」と回り込むように歩き出す。ホロウが心配してついて回るが、その動きをしっかりと追うようにカシオペアは首を動かす。その隙に、と国分寺が2速で駆け出し――先ほどと同じように帰ってくる。「後ろ向きだと多少鈍化しますが、頭がきっちり固定されているせいか、それでも正確に狙ってきます」環境課のワッペンが角に引っかかれてはがれかけている。
むむ、と夜八は唸り、2歩引いて機角に指を添える。手袋越しに、角ばった金属のフレームが凍えているのがわかる。「ちょっと待ってくださいね。いま指揮を……」と、カメラ越しではないものの、普段のように後方からサポートを行おうとする、その時、
「ヨルハチ、あぶない!」と、国分寺に首根っこをつかまれて彼女と一緒に宙を舞う。
一瞬遅れて風を切る音と、鈍くて重いなにかが“かすめた”音がして、着地した国分寺がひざを折る。「む」と、みると朱の差した体液が黒タイツにあいた裂け目から流れ落ちていた。
弾丸だ。どこかから銃で撃たれていた。夜八を狙ったわけではないようで、何頭かのカシオペアが角をみしみしと変形させていて、そこに当たったようだった。つまり彼らを狙った球が跳弾したことになる。恐らく。状況をみればそうなる。
「ぷおちゃん」「大丈夫です。根源的に」国分寺はやや足を引きずって立ち上がる。ホロウが肩を貸し、コートについた雪を軽く払う。
ふ、と和泉はそれを横目に上を眺めて「なんかが来そうですね」と言った。なんかが。そのなんかは割とすぐに来て、それは真っ赤でうすぼんやりとしたつむじ風だった。