ハガネの小鹿が砕けぬように(4)
4
結果から言って赤いつむじ風は【四界嵐】のたまごのようなものだったらしく、足を負傷しエンジンに不調をきたした国分寺と強烈なめまいに襲われた夜八はかなり苦労してモールまで戻った。
戻るころには嵐のたまごは収まっていたものの、国分寺の負傷がややも気になった。本人は「大丈夫です」の一点張りであったが、義体の修理をするまで両足で走れないのは明らかだった。
「ごめんなさい」と夜八は言ったが、国分寺は特に気にしていないようで、それより今日の晩御飯は何にしますか?と能天気な答えを返すばかりだった。ええとですね……と少しこめかみを抑える夜八。その日はホテルのメニューで済ませることになり、
「わー!おいしそうですね!」石狩鍋を食べる事となった。ほくほく湯気をたたえた土鍋を前に和泉が声を上げる。ぽってりとした鮭の切り身を頬張り、私にも食べさせたいくらい!とはしゃぐ。
「私にも……?」ホロウがいぶかしむと、和泉は自室からジュラルミンケースを持ってきてぱかりと開ける。「ひぃ!」目をつむって体を折りたたんだ和泉童子がそこには詰め込まれていて、異様な光景にアンドロイドはのけ反る。「ふたりで食べたらふたり分おいしいが味わえるでしょうか」和泉は口に手を当て、でも私が食べる分が減っちゃいますね!と謎の回答をはじき出し、ジュラルミンケースを閉じる。
それを横目に見ながら、夜八は携帯端末の呼び出し音に飛び上がった。鮭の切り身が小鉢のお豆腐に落ちる。単色の液晶には『フェリックス・クライン』と不吉な文字が並ぶ。
「はい、夜八です」少しだけ高い声で応答する。『どうも。フェリックスです』知ってる。
『2点お話があります、その前に。本日ナナカマドの採取に向かわれるご予定と伺いましたが、いかがでしたか?』聞かれ、食堂を出て人気のない階段口に向かい、ややも口ごもりながら今日あったことを話す。牛の尻尾がしなだれる。
『なるほど』
『それは大変でしたね。大丈夫ですか』
感情のかの字も感じられない、大変でしたね。という音だけが口から出ているような反応だったが、夜八ははい。と答えた。真実味が無さ過ぎてフラットに受け止められる。
それで少し懸念が強まりましたが、と前置きしてフェリックスが話を続ける。
『1点、まず今朝お話しいただきました函館区画役所の職員ですが、……刺青はどのような柄でしたか?』「えと、青黒い高波の和柄です」
『なるほど。……確証はありませんが、マフィアの可能性があることだけお伝えしておきます』マフィア。環境課の直接管轄区域ではごく小規模な組織しか確認されないが、遠方では大規模なグループが存在しえるとの資料がある。
『区画の公共施設が――もしかすると区画の実権が、彼らの支配下にある可能性があります。刺青が確認できたのは他に何人いましたか?』「あ、……ええと、見たのはひとりだけです」『ふむ』
少し間があって。
『単に環境課に恨みのある一般公務員なのかもしれません』と返す。
『まあ、そうであっても区画役所に向かう時は気を付けてください。仮に函館に大規模なマフィアがいれば、カシオペアの密漁も行っている可能性があります』あの弾丸が思い出される。
それで。
『次に2点目なのですが』
『【件式】についての解析結果が出ています』牛の尻尾が跳ね上がる。
『これがなんなのか、というはっきりしたことは解明されていません。6週間分のデータではわからないこともあり、メ学で直接検査してほしいとも聞いております』
今検査結果をお話してもいいですか?と念押しに聞かれ、「はい」と返す。ここまで話されて続きは帰ってから。というのもさすがにおかしい。夜八はホテルの自室まで歩いて戻ってきていて、広めの部屋の隅っこで、壁にもたれるようにして端末を握る。
『では遠慮なく』
『夜八さん、あなたのカタログスペックと出力は少々特殊です。結果のみ列挙します。
あなたは【件式】で未来予知が使えますね。それは徐々に脳にダメージが蓄積するという副作用を持ちます』
ひゅっ、と夜八の呼吸が乱れる。
『記憶の混濁が起こるとお話しされていましたね。脳内フェルミオンの消費が起こっています。
未来視とは本来、一回の観測で全身が形象崩壊してもおかしくないほど高コストの演算なのですが、なにかカラクリがあるようです。何か“ズル”をして……少ないダメージで済ませている』楽しげに笑ったフェリックスは、軽く咳ばらいをして続ける。
『失礼。――現時点では角が折れているため予測が“ブレ“て異なる可能性”の参照を行う可能性があるようです。いわばあなたは欠けた杖です。
ですので、環境課サーバーのバックアップを使用し、庁舎で有線接続とサポートを受けながら、本来の件式よりも範囲が狭い未来予知を行っています。機角は未来視のノイズを取り除くための……。いえ、これはご存知ですね』映像通信でないため見えるはずもないのだが、夜八は頷く。
『次に、あなたは振動フェルミオンの総力がかなり高いです。あなたの【電脳の中にいる何か】のカタログスペックです。
カタログスペックは高いのですが、重熱式への適性はやや乏しいです。【電脳の中にいる何か】は未来予測以外の四物現象を起こすことが苦手なようです……【バッテリー】は問題なく使えるようですので、機械のアシストがあれば平均レベルの四物行使が可能です。
――最後に、あなたはかなり優れた重覚を持っているようです。いえ、その素質があります。現時点では【電脳の中にいる何か】の大きな大きな騒音で何も聞こえないかもしれませんが、あなたの重覚における素質は数値上、聞こえすぎるほどに、敏感なレベルであると言えるでしょう。
……例えば、大きな重熱の動きを目にすることがあれば、それに暴露されれば、鋭敏な重覚が開花するかもしれません』
ぺたんと腰が落ちて、夜八は呼吸をした。なんとなくはわかっていた。けれど実際に“脳が消費されている”と聞くと、爽やかではない汗が出た。それだけでなく、一気にいろいろ話されて、少しならず混乱があった。何度かフェリックスに挨拶をして携帯端末を畳むと、今見えているものが正しいのかも分からないままおぼつかない足取りで階段を降り、食堂の席についた。
「ミドルトン先生でしたか?」既に積まれた数段重ねの土鍋の横から顔を覗かせ国分寺が聞く。「…………いえ、フェリックスさんでした」言いながら、夜八は上の空だった。
そう、モールに帰ってきてもなお、遠くにいるはずのカシオペアのその角の動向が、脳裏にうっすらと浮かぶように、目を閉じた後の花火のように、おぼろげに感じ取れていたのだ。