見出し画像

たったひとつの冷えたより糸

「隠岐さん、茶の子をお持ちしましたよ~」「そうですか。ありがとうございます」
そういって金属の手指がつまんだ箱が、蝋引きの紙に包まれた揚げ菓子が、脂肪と糖の複合装甲が、マホガニーのテーブルの上に置かれる。合成小麦と生成油で織り上げられたカロリーの重装歩兵が立ち並んで、ああ、ザラメの槍が、チョコレートの大楯が。見る者のボディマス指数を破壊させんと息巻いている。

振り返って、ユニコーンの女性が柔らかく笑った。“監察のバラバラにしてこない方”、“課員帳簿”、“ハードディスクドライブ食べてる人”九鬼胡桃その人だ。ゆったりした所作でカウチソファに腰掛ける。蹄の先の――金属の指が籠を作るように組まれる。「午前のお仕事もひと段落つきましたね」口を小さく開け――デコレートの多いドーナツを齧り――コーヒーをわずか口に含み――用のなくなった機密書類を口に詰め込む。
片方の眉を跳ね上げてからそれを眺めて、少女――というか童女が、イヌ科のどうぶつ人間――を模したインクの水溜りが、“監察のバラバラにしてくる方”、隠岐衿奈が上体を起こす。背が低い。幼い子供の姿で、小さな口で、目の前に出されたグレーズド・ドーナツを食んでいく。
執務室はプードルとユニコーンのふたりしかいない。時刻は昼過ぎ、治安維持――そこに割く課員の穴埋め――係間のスタッフ数の偏りの調整――人員拡充に向けて動く課内は、総務の仕事でいっぱいであった。それ自体はまあ、珍しくもない。

「ですけれど」と隠岐が切り出す。業務用の安価なストレートの紅茶を飲み干しながら。「子供の姿の出力では管理が大変なので、担当箇所を半分手伝ってほしいと言ったのは、わたしですけれど」片手に持った皿にカップを戻しながら。
「はい!私も以前担当していた箇所なので、大丈夫、問題ありません。いつでも頼ってください」と九鬼胡桃。
「いえ、九鬼胡桃、問題があるんです」こちらは隠岐。
だって、「リアムはまだいいです。ボーパル、ガメザ、マルキャットなど内部に収拾困難な事態を引き起こすファクター持ちの課員を含み全員が、“全ての項目に問題なし”とは、どういう評価ですか。ザルの目があまりに大きくありませんか」
人に手伝いを頼んで――いやさ押し付けて、この態度!人でなし――いや犬でなし――なんなら、ヒトでもイヌでもない。しかし九鬼胡桃は柔和な顔のまま「はい!皆さん素晴らしく業務に励んでいただいております。問題ありませんよ」と返す。皮肉や他意は見て取れない。まぶしい顔をしている。そうですか。と隠岐は返して、ソファになおの事深く腰掛ける。駅前のドーナツショップの紙箱の中を、ふわふわの指で漁る。
「あはは、取りにくいでしょう そこからですと」と。九鬼胡桃が身を乗り出して箱を隠岐の方に引いてやると、がしゃん。と何かが。ジャケットのあたりから落下して、マホガニーの素晴らしく磨き上げられた天板に躍り出る。
片目が。
「これは?」と隠岐は指で触れずにそのまなこを取り上げると、ビニールで保護されたケーブル視神経がぶら下がっている。一枚のカードにつながっている。何かサイボーグか、そうでなければ義体の片目のようだ。カードに刻印されている――波のような模様、ひし形の家紋。
「あ、それはですね。先ほど表に出たとき、に庁舎の周りをふた回りも全く同じ経路、全く同じ視線の動きで散歩されている方がいらっしゃいまして。目に見えない所に沢山お荷物をお持ちで、ちょっと様子が変だなと感じましたので――ご自身の手で提出していただきました
「提出」
そうですか。と隠岐は言って少し微笑み、ありがたくつまめたオールドファッションドーナツを食んだ。「ありがとうございます」九鬼胡桃は朗らかな笑顔をちょっと傾け「どういたしまして」と返した。