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#0102【緒方洪庵(日本、19C前半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今週は幕末に影響を与えた思想家・教育家を取り上げていますが、最後に緒方洪庵(こうあん)を紹介します。

緒方洪庵は、1810年に岡山県の下級武士の家庭に生まれました。幼いときに天然痘に罹患しますが、何とか命を取り留めたことから医学を志します。

大坂・江戸・長崎で、漢方医学と西洋式医学・蘭学を学んでいきます。当時は日本と交易している西欧諸国はオランダ(蘭)のみでしたので、西洋式の医学を学ぶためにはオランダ語に通じている必要がありました。

29歳の時に大坂で医者として開業すると、同時に蘭学塾である適々斎塾(適塾)を開校します。

この適塾では、
 慶応義塾大学の創設者である福沢諭吉。
 明治新政府軍の指揮官を務めた長州藩の大村益次郎。
 安政の大獄で処刑された橋本左内。
などが学んでいました。

当時は辞書がとても高価なものであり、一人一冊などとても持てなかったため、塾生同士で回し読みしていました。

ものの数時間で海外に渡航できることや、インターネットで簡単に単語検索ができる時代がやってくることを当時の塾生が知ったらどう思うでしょうか。

時代の流れ、特にこの150年での技術革新・進歩の目覚ましさを改めて実感します。

緒方洪庵の功績として、教育面での成果以上に知られているものが、「種痘の普及」です。

1849年に京都で天然痘ワクチン「種痘」を入手した洪庵は、天然痘の予防接種を始めました。

このワクチンは牛を使って作っていたことから、庶民は接種すると牛になってしまうのではないかと恐れられていました。

初期には抵抗感がありましたが、徐々に普及が進み、1858年には幕府に公認されました。

幼いときに天然痘に罹患しながらも助かった少年が、日本から天然痘を撲滅することに成功しました。

1862年、洪庵は幕府から奥医師(幕府御用達の医者)として召し抱えられ、医学所頭取(幕府公認医学校の学長)に就任することになりました。

その翌年、惜しまれながら世を去ります。

以上、今週の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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