#0156【鬼は退治される(日本の暴君考)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週の暴君特集最後は日本から取り上げたいと思います。ところが、日本には暴君と言えるような人物がなかなかいません。
No.154のネロやNo.155の煬帝と比べると、どうしても小粒に見えてしまいます。理由を考えてみましたが、強大な権力を握った人物が限られているからだと思います。
日本では聖徳太子の時代から「和を以て貴しとなす」の国であり、独裁者や独断専行、和を乱す存在を嫌うのです。
独裁者は排除されてしまうのです。作家・評論家で、元通産官僚・経済企画庁長官の堺屋太一氏はこのことを指して「鬼は退治される」と著作の中で言っています。
こういった日本の風土の中で、あえて暴君のイメージがある人物を挙げるとすると、比叡山焼き討ちや長島一向一揆に対する殲滅作戦などを行った織田信長や、同じく比叡山を焼き討ちしたり、自分への反対者の粛清を進めたりした室町幕府六代将軍の足利義教(よしのり)などでしょうか。
この二人は、どちらとも最後は謀反にあって非業の死を遂げます。絶頂期を迎えた時に排除されました。その頃の二人は特に恐怖や畏怖の念をもって接せられていました。
特に部下に対するプレッシャーが大きかったと思います。
信長は本能寺の変で部下の明智光秀によって自害に追い込まれました。
義教は嘉吉の変で部下たる赤松満祐によって謀殺されました。
信長と義教は、部下の手によって「鬼退治」されてしまったのです。
話は前後してしまいますが、義教の没年は1441年、信長は1582年ですので、義教の方が先の時代の人物であり、信長の悪行として語られる比叡山の焼き討ちですが、実は足利義教が信長よりも前に実行しているのです。
せっかくなので、信長よりもマイナーな足利義教についてもう少し取り上げたいと思います。
室町幕府の四代将軍足利義持は、息子である足利義量(よしかず)を五代将軍に就任させましたが、酒毒がたたり若くして亡くなります。息子を失った義持は、失意に陥り後継者を定めないまま、今度は義持自身が危篤に陥りました。
義持の後継者をどうするか。ここで幕府関係者は前代未聞の手段に出ます。
なんと義持の弟で仏門に入っていた4人から籤引き(くじびき)で選ぶことにしました。そこで選ばれたのが、足利義教だったのです。
籤引きで決めるというと、何とも不合理的に思えるかもしれませんが、逆に義教自身は「神に選ばれた」という認識でおり、我々が考えるよりも当時としては、神意に問うという姿勢は不真面目な態度ではなかったのです。
室町幕府は、守護大名という地方領主の上に室町幕府の将軍がいるという構図で、守護大名自身は独立した力をもっており、将軍の権力は限定的でした。そのため、義教は守護大名たちの権力を削ぎ落していきました。
特に鎌倉に大きな勢力を張っていた相手を滅ぼし、室町幕府の最大領域を達成することに成功しますが、その絶頂のさなかにあって部下の赤松満祐によって謀殺されてしまいました。
義教によって、自分の領土が奪われると赤松満祐が思ったことが原因だったと言われています。
信長も各地の地方領主を倒していき、天下統一を目前としたところで、明智光秀によって自害に追い込まれました。
どちらの鬼、独裁者も絶頂期にイニシャルA・Mによって退治されてしまったのです。
鬼退治をした赤松も明智も短期間のうちに滅亡の憂き目にあったのも、歴史は繰り返す一つの証左のように感じます。
以上、今週の歴史小話でした!
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