#31 大国としての責任。大正デモクラシーと国際協調路線の挫折
このエピソードで学ぶこと
戦勝国日本は第一次世界大戦後、大国の仲間入りをしました。
余裕の生まれた日本は、国際協調路線を取りながら、
政治のすそ野は普通選挙の導入を経て広がっていきます。
その一方で、社会の格差も大きくなり、
世情不安は広がるばかりです。
本編(0分53秒)
・ペリー来航から約60年の時を経て、国際社会の大国の一員となった日本。
・国際連盟にはアメリカが参加していなかったため、アメリカを含めたワシントン会議で国際秩序が話し合われた。
・ワシントン体制では海軍軍縮、日英同盟の解消、日本の中国進出を牽制する内容となっており国際協調が主軸。
・一方、日本国内では戦争に参加した一般国民が納税額に関係ない男子普通選挙を求める声が大きくなった。
・特に、第一次世界大戦後に日本は不況に陥ってしまった。そのため一般国民に不満が高まる。
・その不満は資本主義体制や私有財産、天皇制への攻撃、共産主義への傾倒がじわりと起きてきた。
・そのため、男子普通選挙を認めつつ、治安維持法という共産主義の浸透を防ぐ法律を同時期に成立させた。
・ただし、不満の根源である経済が不況だという問題は度重なる恐慌の発生によって全く解消されないままだった。
今回のおさらい(9分14秒)
Q1:ワシントン体制ってザックリ言うとどんなこと?
→東アジア・太平洋地域の国際秩序のこと。海軍軍縮、日英同盟の解消、日本の中国進出を牽制する国際協調体制。
Q2:普通選挙法と一緒に公布された法律は?
→治安維持法。社会主義・共産主義の拡大を防止し、天皇制の打破や資本主義・私有財産の否定を防ぐことが主眼。
Q3:第一次世界大戦後に日本の経済・景気はどうなったの?
→輸出の低迷から戦後恐慌がおき、関東大震災での被災を経て、金融恐慌が起き、さらに世界恐慌に巻き込まれた。
Q4:世界恐慌が起きた影響について、教えてくれる?
→世界恐慌が起きた結果、各国が自国優先の政策をとるようになり、国際協調路線が挫折してしまった。
次回予告(10分23秒)
大正時代の日本は国際社会において、ある一定の地位を築くに至りました。
その地位を築いたものは戦争への勝利。戦地に赴いたのは徴兵された人々です。
しかし、多くの権益を日本国が得ても一般大衆にその恩恵が広がるよりもむしろ、
第一次世界大戦後の日本は不況にあえぐことになってしまいます。
社会主義・共産主義の浸透の阻害と、国民世論の沈静化を企図して普通選挙の導入と
治安維持法の制定を実施しますが、金融恐慌や世界恐慌の波が容赦なく日本の大衆を襲っていきます。
国際協調を守ってもむしろ日本は苦しくなるばかり、選挙権を得た大衆は日本をどう動かしていくのか。
次回、泥縄式に突入していく日本の戦争の道をお送りします。
次のエピソード⇒#32_なぜ日本は戦争への道を歩んだのか
前のエピソード⇒#30_日清・日露・第一次世界大戦。戦争ごとにステップアップする日本
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