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#0131【源頼朝と鎌倉幕府の成立①(日本史通史シリーズ)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
あっけなく滅んでしまった平家から政治の中心は鎌倉に移っていきます。
鎌倉で総指揮を執っていた源頼朝の政治目的は、武士の悲願である「土地所有権の確保」でした。
天皇家・大貴族からの武士の独立闘争と言っていいでしょう。
そのため、平家との戦いにあたって頼朝は、弟義経に対して「三種の神器」を取り戻すことを厳命します。
三種の神器とは、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物をさし、
「八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)」です。
京都の朝廷との交渉材料として、三種の神器が必要だったのです。
平家が安徳天皇を連れて西日本に落ち延びていった後、京都にいた後白河法皇は自分の任命によってのみで後鳥羽天皇を即位させました。
しかし、三種の神器は安徳天皇が持っているままでした。
平清盛の孫で、平家が擁している安徳天皇は三種の神器を持っていることが最大の正統性の根拠でした。そして、後鳥羽と比較したときに三種の神器の重みの分だけ、安徳天皇に分があると考えられていました。
源氏や後白河は、平家に対して三種の神器の引き渡しによる講和条件を持ち掛けますが、平家は頷きません。
なぜなら、それが平家の正統性を担保する唯一の資産だからです。喪ってしまえば、安全の保障が覚束なくなってしまいます。
現代では、北朝鮮が核開発に固執する姿勢にも似たものを感じます。
話を元に戻します。
源氏が平家から三種の神器を取り戻せば、後白河など天皇家・貴族に対して大きな発言権を得ることに繋がるはずでした。
しかし、三種の神器は壇之浦で平家とともに海へと沈みました。
二種は引き上げられましたが、草薙剣だけは見つけ出すことができずに終わります。
そもそも実際の儀式に使われるのは三種の神器の「形代」(レプリカではなく神器に準ずるもの)であり、実物については祭主たる天皇でも実見が許されないため、その現存は確認できません。
壇之浦で入水した剣は、「形体」だったとはいえ、それまで天皇家に由緒正しく受け継がれてきた三種の神器の一部が失われたことに対して、頼朝は義経を厳しく叱責します。
しかし、義経は、兄が何に対して怒っているのかが理解できません。父の仇であり、他の兄弟たちや親族の仇である平家を滅ぼしたのは間違いなく自分の功績であるからです。
平家滅亡にあたって功績のあった源義経と、鎌倉で総指揮を執っていた兄の頼朝の間に不穏な空気が流れます。
以上、本日の歴史小話でした!
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発行人:李東潤(りとんゆん)
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