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#32 なぜ日本は戦争への道を歩んだのか

このエピソードで学ぶこと

世界恐慌が勃発し、日本は国際協調の立場を捨て、
力による解決を模索し、満州そして中国へと進出していきます。
中国やソ連だけでなく、米国やイギリスとも対立が先鋭化し、
泥沼の戦争状態へと進みます。
何が、日本を戦争の道に進ませたのでしょうか。

本編(0分58秒)

・1920年代の日本は数年に一度、不況・恐慌が襲い掛かってきた。
・世界恐慌の結果、各国が国際協調よりも自国と自国の植民地を優先する政策偏重となってくる。
・日本は相対的に植民地含めた内需の乏しい状況であったため苦しい状況になった。
・日本は新たな権益を得るために満州へと進出をしていくことになった。これでワシントン体制が瓦解。
・1937年に日中戦争勃発、1939年にはヨーロッパで第二次世界大戦が勃発していってしまう。
・日本とアメリカとの間での緊張状態が続き、和平条件は日本が満州含め中国から撤退せよということ。
・到底、日本としては呑むことができずに太平洋戦争へと突入していくことに。
・アメリカとの戦争は最終的に国力の差を覆すことができず、日本の悲惨な敗北で終わってしまった。

今回のおさらい(9分57秒)

Q1:満州事変って何?
→日本の軍隊が満州地域を占領したこと。これによってワシントン体制が瓦解した。
Q2:アメリカとの戦争を回避するためにアメリカが提示した条件は?
→日本の満州を含む中国大陸からの撤退。日本としては経済的にも心情的にも呑むことができなかった。
Q3:日本は太平洋戦争でどこで戦っていたの?
→太平洋地域だけでなく、中国やインドシナ半島、オーストラリアに及ぶ広大な地域で戦争をしていた。
Q4:日本はどうすればよかったんだろう?
→単純に戦争反対で止められなかった。難しい問題だ。

次回予告(10分49秒)

日本は中国への権益を伸張させるべく、満州をその影響下に置くことを進めていく。
現地の軍隊の暴走とも言える満州事変を、しかし、国民は受け入れるのです。
やがて日本は中国の国民党政権とも対峙するようになり、その過程でフランス領インドシナへと進駐。
ことここに至って、アメリカが提示した和平案は日本にとっては到底呑むことのできない、
中国からの全面撤退。日本はアメリカとも戦争することを決断。戦線は東アジア全域へと広がります。
当初は日本が優勢に進めていた戦況も、本腰をいれたアメリカの強大な国力の前にじわじわと後退。
本土が空襲を受け、沖縄では地上戦が展開され、広島・長崎には原爆が落とされてしまいました。
次回、降伏した日本。戦後日本の復興への道についてです。

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