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#0219【保革交代政治が前進を産む(大英帝国の絶頂、イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。ナポレオン戦争も勝ち抜いたイギリスは、着実にその地位を伸張させます。

(前回:No.218【新旧両大陸に挟まれて(大英帝国の動揺)】)

そして1837年に即位したヴィクトリア女王の治世下において、大英帝国は絶頂期を迎えます。

彼女の時代に、イギリスはインドを完全に植民地化(1877年)。さらに中国の清王朝にアヘン戦争(1840年~1842年)で勝利、香港割譲。南アフリカではダイヤモンドの権益を手に入れるなど、破格の拡張期を迎えます。

一方、国内では産業革命の歪みが生じ、炭鉱の発掘で狭い坑道を行き来するために少年が酷使されるなどの弊害も起きていました。こういった社会矛盾を是正するため、政治が効力を発揮します。

名誉革命以降、英国では「君臨すれども統治せず」といった言葉に表されるように国王や女王は政治的実権は持たず、選挙で選ばれた政治家によって政治が進みます。

産業革命以降、貴族だけでなく市民階級が力を伸ばし、保守党と労働党という現代英国にも連なる二大政党制が成立します。

労働党政権からは労働基準法や児童の就業を規制する法案などが成立します。

保守党が政権を担っていた時代には、スエズ運河の国有化や全インドの植民地化などの拡張主義が取られました。

タイミングによって必要な政策を、得意とする政党が担うといった理想的な二大政党制が機能していた稀有な時代です。そこには政党だけでなく、政党の党首を担うだけの実力を兼ね備えた人材に恵まれた面もあります。

労働党からはグラッドストンという総理大臣が生まれます。彼は中国とイギリスの戦争であるアヘン戦争に反対したことが有名です。

モノが溢れている中国との貿易において、イギリスは対価が銀しかなく圧倒的な貿易赤字となっていました。

これを是正するためにアヘンを中国に輸出しましたが、アヘンはケシの実から作られる中毒性の高い麻薬です。中国の民衆にアヘンが広まると民衆の健康を損ね、中国からの銀流出をもたらします。

見かねた中国政府はイギリスのアヘン商人を摘発し、アヘンを没収しました。これに対してアヘン商人たちがイギリス本国に対して助けを求めたことがアヘン戦争のきっかけとなります。

要請を受けた本国政府の議会では、中国許すまじとして艦隊派遣を議論しますが、これに対してグラッドストンは「そんな恥知らずなことはすべきではない」と演説をします。栄光ある大英帝国が、アヘンの密売などといった悪行に手を出すべきではないとの姿勢です。

現代の観点からみれば圧倒的にグラッドストンの視点が高潔であり、まっとうに聞こえますが、膨張主義に進んでいたイギリス議会では多数派を形成できずにアヘン戦争へとイギリスは突き進みます。

中国はイギリスに敗れ、賠償金とともに領土の割譲(香港)、さらには開国・貿易の自由化(アヘンも含まれます)といった一方的な条約を結ばされます。この英中関係をみた、他のヨーロッパ諸国も中国への進出を進めていくことになりました。

上海はヨーロッパ列強たちに支配された租界だらけとなり、のちに日本から視察にやってきた長州藩の高杉晋作や土佐藩脱藩者の坂本龍馬などは、中国民衆の悲惨な姿をみて、日本が開国して海外の力を学ばなければならないと目を見開いたと伝わっています。

世界史は一つの大きな流れの中で関係しており、アヘン戦争がなければ、日本の開国は全く違った歴史・経緯を辿ったことでしょう。

イギリスは1851年に世界最初の万国博覧会を開き、その絶頂を見せつけました。

以上、今週の歴史小話でした!

少し間をおいて、大英帝国の斜陽から第一次世界大戦の流れを紹介します。

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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