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#0106【不遇を乗り越え、アルゼンチンを動かした若き女性政治家(エバ・ペロン)】

ども、りーとんです。
今週の歴史小話は20世紀の中南米女性政治家特集です。

馴染みの薄い人物ばかりかと思いますが、とても魅力的な方々です。

これをきっかけに日本から地理的に遠い中南米に興味を持って頂けたら幸いです。

さて、本日取り上げるエバ・ペロンは、アルゼンチン・ブエノスアイレス州の寒村で1919年に私生児として誕生しました。
父は地元の有力者だったようですが、愛人家庭を顧みることがなかったため、エバは不遇の幼少期を過ごします。

ところでアルゼンチンは、21世紀初頭にデフォルト(債務不履行)を起こしたことからグローバル経済から弾かれてしまい、現在は経済的に低迷しています。

しかし、この国は豊富な資源を有し、広大な農地に支えられた豊かな国だったのです。

特に20世紀初頭においては先進国的なポジションにあり、第一次世界大戦を中立で過ごしたことから経済的な荒廃を免れることができました。その結果、1929年には世界第5位の経済大国、南米の雄として存在感を持ち始めます。

そんなアルゼンチンにもアメリカから始まった世界恐慌が影を落とし、経済対策が後手に回った政府に対して、1930年に軍事クーデターが発生しました。その後、アルゼンチンの政治は混乱をきたしてしまいます。

この混乱の1930代に多感なティーンエイジャー時代を過ごしたエバは、映画館のスクリーンに上映される美しい都会生活に憧れます。

女優となることを決意し、1935年に首都ブエノスアイレスへと飛び出しました。困窮生活をしていた彼女には、実家から持ち出すような荷物はなく、夢だけを持っての上京でした。

夢や憧れだけでは女優として活躍することができず、苦労して手に入れた出演機会は端役にとどまり、なかなか芽がでません。

1938年になるとようやくラジオドラマの声優としてささやかな成功を得ることができます。

1943年に軍事政権が樹立されると有力軍人とのコネが必要と感じたエバは、フアン・ペロンと恋仲になります。

フアン・ペロンは軍事政権の中でも労働者寄りの姿勢を見せて、多くの支持者を得ます。その姿を危険視したフアン・ペロンの反対者が1945年に彼を幽閉してしまいます。

フアン・ペロンの政治生命が終わったかと思われましたが、この事実を聞きつけた労働者たちが大挙して首都に結集し、フアン・ペロンの解放を求めます。労働者の声に屈した反対派はフアン・ペロンを解放し、彼は劇的な復活を果たします。

労働者たちの結集には、ラジオドラマで鍛えられたエバの演説力も大きく貢献したものと考えられています。

フアンは、1946年に大統領選で圧勝します。エバはその頃にはフアンと結婚し、大統領夫人として救貧活動・女性参政権運動・女性の経済的地位向上に取り組みます。

極貧の労働者階級からの出世と彼女の美貌、そして社会的貢献活動が重なりあい、彼女は異常なまでのカリスマ性を得ます。

しかし「希望の貴婦人」と称されたエバに病魔が忍び寄ります。子宮ガンを患い、1952年に33歳の若さでこの世を去ってしまいます。

アルゼンチン全土が、言葉にならない嘆きに満ちました。

なお、エバはアルゼンチンの救貧だけでなく、1949年・1950年には戦争で荒廃した日本にも食糧や衣料品を援助してくれています。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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