#0032【神谷美恵子(日本、20世紀)】
こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今日は神谷美恵子をご紹介します。
ご存知ない方も多いかもしれませんが、彼女は1914年に日本に生まれます。
父前田多門が国際労働機関(ILO)理事会への日本政府代表としてジュネーヴ駐在となったため1923年に渡欧し、1926年の年末に帰国した昭和初期には珍しい帰国子女でした。
1932年に成城高等女学校を卒業すると津田英学塾(現津田塾大学)に進学します。
翌1933年、キリスト教伝道者の叔父がハンセン病療養所へ講話に赴いた際にオルガン伴奏者として同行し、美恵子は初めて見るハンセン病患者の姿に大きな衝撃を受けます。
ハンセン病(癩(らい)※)という病気は、現在では特効薬で治療ができるようになり、患者数は激減していますが、20世紀前半まで不治の病として、結核とともに大変恐れられていました。
結核は体が白くやせ細っていくことから美人薄命のイメージを以て文学上で語られることがある一方、ハンセン病は体組織が崩れながらも、死に至らないことから患者をより悩ませます。
過去には遺伝病と錯誤されていたことから、ハンセン病を発症すると一族の「恥」とされ、家族からも見捨てられるという悲惨な扱いを受けていました。この病気は聖書の中にも登場するほど長く根深いものでした。
(※「癩」という言葉は避けるべき表現ですが、古い文献等を今後参照される方のために、あえて記載しました。)
美恵子は医師となることを志し、東京女子医学専門学校への受験準備をひそかに始めますが、両親の猛反対を受けて断念します。
1935年から1937年にかけて美恵子は肺結核を患います。この間、病床でギリシャ語を独学し、新約聖書やマルクス・アウレリウスの自省録などを原語で読破していきます。
結核が治癒した後、奨学金を得て1938年に渡米し、ギリシャ文学を専攻します。この時、父もニューヨークに赴任します。在米中の1939年5月、ニューヨーク万国博覧会を家族で見物に行きました。そこで美恵子は公衆衛生医学館に釘付けになります。その姿をみて、遂に父も美恵子が医学の道へ進むことを認めます。
喜んだ美恵子は、同年6月にはコロンビア大学理学部・医学進学コースへ早速転籍しますが、1940年には日米関係の悪化と将来医師として日本で働くためには日本での医師免許取得が必要であったことから、単身7月に帰国します。
帰国後は、1941年に東京女子医学専門学校(現:東京女子医科大学)へ編入します。
医学を学ぶ過程で1943年に瀬戸内海にある長島愛生園というハンセン病療養施設を訪れて実習を受けます。光田健輔園長の人柄にふれ、大きな影響を受けた美恵子は卒業後に愛生園で働きたいと思うようになりました。
しかし、日米開戦後に交換船で帰国していた父からの猛烈な反対を受けて卒業後の進路を精神医学に定めました。
1945年の終戦後には父が文部大臣となり、美恵子はその縁で文部省で書類の翻訳などの仕事やGHQとの交渉における翻訳・通訳の仕事をします。
政府の仕事をしている中、極東軍事裁判が開廷されます。開廷後に被告席で東条英機元首相の頭を突然、思想家の大川周明がパシパシと叩き始めました。彼は精神異常をきたしたとして退廷させられました。
大川周明は、本当に精神異常なのか、それとも罪を逃れるための偽装なのか、精神鑑定が必要です。美恵子は助手として、その精神鑑定にも関与しました。
多岐に亘る活動をした美恵子ですが、家庭のこともよく守りました。1946年7月に結婚後、二人の息子の養育と夫のサポートを行いながら、語学の家庭教師や『自省録』訳書の出版をします。
子どもに手がかからなくなり始めてから、医学の道を再度歩みます。1956年に13年ぶりに長島愛生園に訪れた美恵子は、非常勤講師としてハンセン病をテーマとした精神医学的研究を開始します。精神科医としてカウンセリングを通じてハンセン病患者の心のケアに従事することになりました。
医師として患者たちの悩みに向き合う中から、主著『生きがいについて』の構想が生まれ、1966年に出版します。
「同じ環境・状況に置かれても生きがいを感じる人と感じていない人がいる。」
人間が生きがいを感じることは一体どういうことなのだろうかと自分自身の生きがいと重ねて思索します。興味ある方は、是非みすず書房から出版されている『生きがいについて』をお読みください。(Amazonからも買えます。)
その後、1971年頃から心臓病に悩まされるようになり、1979年に65年の生涯を閉じました。
以上、本日の歴史小話でした!
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https://note.mu/1minute_history/n/n795bcdc3d424
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