#0011【范蠡(中国、BC5世紀前半)】
こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
早いもので今日から2月ですね。今週は、歴史上の人物に学ぶ処世術を紹介しています。今回は古代中国の武将・政治家の范蠡(はんれい)から学びます。
范蠡は、中国南方の越(えつ)という国の人でした。
彼は四字熟語の「呉越同舟」「臥薪嘗胆」のエピソードに関わり深い人です。
当時、中国は春秋時代という時代で、多くの国に分かれて争っていました。特に呉(ご)の国と越の国は国境を接しており、とても仲が悪かったのです。
ここから、仲の悪いもの同士が一緒にいることを「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」と言うようになりました。
「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」のエピソードは、次のようにして生まれました。
ある戦争で、越軍が放った矢が呉の王様にあたり、その傷が原因で亡くなりました。父を殺された呉の新しい王様は、毎日薪の固いベッドで寝て(臥薪)、越への恨みを忘れないようにします。その後、努力がみのり、越を滅亡の淵に追い詰めたのでした。
追い詰められた越の王様は死を覚悟したのですが、范蠡の「生き抜きましょう。」という助言を受け容れ、屈辱的な条件を飲み込み、呉に屈服して生き延びる道を選びました。
越の王様は、捕らえられて呉の国で奴隷のような暮らしをさせられましたが、范蠡の交渉の結果、数年後に越への帰国が実現します。
帰国後、王様はことあるごとに胆を嘗(な)めて(嘗胆)、その苦みをもって、恨みを忘れないようにし、復讐の時を待っていました。
呉と越の事例を合わせて「臥薪嘗胆」の故事成句となりました。
王様と范蠡は、ともに国を鍛え上げる一方、呉には服従の姿勢を取り続けます。そんな越の姿勢に騙された呉は油断しました。
必要もないのに他国に軍隊を派遣し、呉の力を見せつけようと躍起になります。呉が空っぽになっている隙に、すかさず越は呉に侵攻しました。慌てて戻ってきた呉の軍隊を蹴散らして呉を滅亡させることに成功します。
さて、宿敵を滅ぼし、これまでの苦労が報われたわけです。越の王様としては、范蠡のお陰で念願かなったのですから彼に対して、莫大な恩賞と地位を提示しました。その時は偽りなき感謝の気持ちからのことだったと思います。
しかし、范蠡はこれを固辞します。
「越の王様とは苦労をともにしてきた。しかし、富貴はともにできない。」
との言葉を残し、あっさり越の国を去っていきました。
范蠡以外にも、越の困難な時期を支えた政府高官がいました。彼は王様から提示された莫大な恩賞も地位もそのまま受け取り、越の国にとどまりましたが、最後はその態度を怪しまれて、王様から自殺を強要されてしまいます。
越の王様は、長年の苦労の結果、猜疑心(さいぎしん)の塊になってしまっていたのでした。
絶頂にあって、おごり高ぶることなく、謙虚に情勢を見極めた范蠡の処世術でした。
現代でも会社のスタートアップ時点では苦労をともに夢を語らっていたもの同士が、IPO(株式公開)に成功してから、ギクシャクして内紛を起こすような事例があります。
越の国を離れた范蠡は、移り住んだ斉(せい)の国で商売に成功し、巨万の富を得たと伝えられています。
少し高等な処世術の紹介になりましたので、金曜日は卑近で露骨なゴマすり処世術を紹介したいと思います。
以上、本日の歴史小話でした!
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