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#0115【この人のためならば。トップが持つべき覚悟とは。(台頭する武士たち)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
月初の日本史通史シリーズです。前回の同シリーズ「No.105では院政」について取り上げました。

少し時間軸を戻して、台頭する武士たちを今回は取り上げます。

日本全国で開墾に勤しんでいた武士たちは公的な土地私有権を持っておらず、京の有力貴族たちの傘下に収まることで、辛うじてその権利を保持している存在でした。

不安定な権利の下、土地の境界争いなどが絶えず、有力貴族への貢ぎ物やコネが幅を利かせる時代が続きます。

この状態に不満をもった武士の平将門が939年に反乱を起こしますが、翌年には鎮圧されてしまいました。まだ武士階級の力が未成熟だったため、新しい国家像を示すことができなかったことが敗因だと考えています。

平将門の反乱は収まったものの、武士たちの根源的な不満である「公的に土地私有権が保護されていない」状態は続き、小さな反乱が各地で起きます。

このうち、もっとも大きな争乱が11世紀後半に東北地方で起きた「前九年の役」と「後三年の役」です。
都合12年間の戦乱が起きていたことを意味します。

この反乱を鎮圧したのが、武勇の誉れ高い、武士の源義家です。彼は八幡太郎と呼ばれ、多くの武士たちに慕われました。

戦にも強く、「剛の座」「臆の座」を設けて戦いで勇敢であったものと臆病であったものを区分けすることを明言し、信賞必罰で部下たちに臨みました。

この戦乱が終わった結果、義家の支援を得た土着の藤原清衡が東北地方を押さえることに成功します。

源義家は京に赴き、反乱鎮圧の恩賞を頂きたいと申請したところ、時の権力者白河上皇は「これは私闘であるため、国家が恩賞を与える必要はない」と拒否します。

せっかく命をかけて戦ったのに恩賞が出ない。なんともむごい仕打ちを受けて武士たちは悲嘆にくれますが、ここで義家は「心配するな。俺が自腹を切ってお前たちに報いる」と発言。

なんと、義家は自分の領地を功績のあった部下たちに恩賞として授けました。

武士たちが、義家に感謝したことはいうまでもありません。これがのちに武士の棟梁(トップ)は源氏という流れを産み、鎌倉幕府成立の源流になったと考えています。

しかし、このことが義家自身の経済力を低下させたことは間違いありません。

その間、西国で宋との交易などで力をつけた平氏が台頭していきます。平正盛・忠盛親子は白河上皇の信頼を厚く受けます。

一方の源氏は義家の息子である義親が反乱を起こして更に勢力を弱めてしまい、義親の息子の為義が力を盛り返そうとしていました。

為義は自分の息子を東国各地に派遣して、勢力拡大に努めていきます。

やがて、天皇家・摂関家(藤原氏)の権力抗争に平氏と源氏が巻き込まれる形で、雌雄を決する事態へと発展していきます。

この続きは水曜日にお送りします!

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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