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今週の木刀素振り日記・5

▼2021年6月11日~6月17日

みなさん今週もおつかれさまでした。
この1週間の木刀素振り日記をお送りします。


6月11日/グルコサミンの金曜
◆このところグルコサミンの通販CMを見ないのはなにか指導が入ったせいなのだろうか。「飲むグルコサミン」にも驚いたが、「塗るグルコサミン」の衝撃はそれ以上だった。どこまでも行ってしまうのではないか。「置くグルコサミン」「見るグルコサミン」ていどでは済まないだろう。最終的には「効くグルコサミン」だ。
◆終日、木刀素振りせず。


6月12日/粗大ごみを意識する土曜

◆使わなくなった棚を解体し、次の粗大ごみに出すつもりで自室のベランダに置いた。そのまま2ヶ月が経った。棚は計6枚の木の板となって、雨の日も風の日もそこにある。洗濯物を干すたびに視界の端に映り、「そうだった、早く捨てなきゃ、板」と思う。2ヶ月。棚ではない。板だ。なんせ2ヶ月経ったのだ。2ヶ月とはそういう時間だ。
◆終日、木刀素振りせず。

6月13日/虹の色を考える日曜
◆虹の色数は各国で異なると聞く。日本では七色だが、インドネシアの一部では四色らしい。科学現象としては同一の出来事なはずだが、文化のちがいで色数の認識が変わってくる。4色。かなり少ない気がするが、それはきっとわたしが7色の国に長く住んでいるからだ。たとえば58色の国からしてみれば、7色だってかなり少ない。あるいは「虹は青1色」と言い切る国だってあるだろう。思い切った発言だと思う。これも文化のちがいだ。
◆終日、木刀素振りせず。


6月14日/紀伝体の月曜
◆わたくしごとではあるが、電話口で「紀」という文字を伝えるとき、必ず「紀伝体の紀」と表現してしまう。紀伝体とはなんだ。たしか編年体と並ぶ歴史の記述スタイルで、中学か高校かで学んだと思うが、いまとなってはどんな特徴があったかよく思い出せない。まったく理解していない言葉をたとえに出すのはどこか恥ずかしいものの、大切なのはあくまでわかりやすさ、伝わりやすさである。
◆ちなみに「編年体の編」と説明する機会はまだない。「編み物の編むの字」と説明したほうがわかりやすいからだ。みんなぴんとくるだろう。もちろん「紀伝体」よりもしっくりくる「紀」の説明法があれば、そちらにするつもりだが、なかなか思いつかないままだ。「ジュラ紀の紀」もいいが、無邪気すぎるような気もする。
◆終日、木刀素振りせず。


6月15日/日記をめぐる火曜
◆きのうの日記が「わたくしごとではあるが」から始まっているのが自分にだけおもしろい。いまさら言うまでもなく、この文章は日記だ。わたしがわたしのために書いている。それなのに書き出しで「わたくしごとではあるが」と断るのはなぜだろう。その通り、わたくしごとだ。わたくしごとがえんえん書いてある。人はそれを日記と呼ぶ。では、どうしてきのうだけ「わたくしごとではあるが」と書いたのかがわからない。
◆終日、木刀素振りせず。


6月16日/柔軟剤変更の水曜
◆柔軟剤を変えてみたところ、ひとつ前に使っていたものがすごくよかったのではないかという気がしてきた。だが、新しい匂いにもあっという間に慣れてしまい、もう前の匂いが思い出せない。匂いは記憶のしおりになる。このことはまた詳しく。
◆終日、木刀素振りせず。

6月17日/風花雪月まとめの木曜
◆「1週間ってあっという間だな」との意見もあるが、いまわたしが全力を傾けているゲーム『ファイアーエムブレム風花雪月』では、この1週間で5年の月日が経った。5年。さすがにあっという間とは表現しにくい期間だ。
◆まあ、単に「急に5年経つ」というシナリオなのだが、想像していなかっただけに衝撃は強い。5年を境にキャラの見た目や思考も変わっているという凝りようだ。別人のようにも見えるけれど、たしかにヒューベルトはヒューベルトだし、ドロテアもドロテアのままだ。わたしがいいかげんな姿勢でプレイしているあいだに、5年が経っていた。
◆ものすごくスケールの大きな話だ。実際に(わたしがゲームが上手くないのを差し引いても)プレイ時間はかなり長くなってきた。言いたいことはたくさんあるけど、それを文章にする時間はない。いまはプレイに集中したい。
◆終日、木刀素振りせず。


以上です。
早くワクチンが行き渡るといいですね。
それではまた来週!

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今田健太郎/1mada
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